第4話
今日の母は少し苛立っていた。仕事か男か、なにに対して苛立っているかはわからないけど、そういう日は必ず暴力を振るわれた。食事もまともに与えられていなかったので、抵抗する気も起きなかった。
家を追い出されて行く場所はいつも近くの公園だった。昼間はそれなりに人がいるけど、夜は人気が全くない。その方が都合がよかった。
煙草を押し付けられた手の甲を水道水で冷やす。少しヒリヒリした。
それからベンチで寝て朝になるのを待つ。それの繰り返し。誰かに助けを求めたことはない。母は少し癇癪持ちなだけで、普段は優しい母だった。服もお菓子も買ってくれて、夕飯を作ってくれる。学校で習ったことや今日あった出来事を話すと楽しそうに聞いてくれる。
だから月に数回の八つ当たりに、我慢できた。
「本当に?」
声が降ってきて、顔を上げた。いつの間にか目の前に男が立っていた。背は高く、顔は影になってよく見えない。
「何が?」
今野朔太は聞き返した。
「痛いんだろう。我慢しなくていいんだよ」
男は朔太の前にしゃがみこみ、火傷をした手を優しく握った。大きく細い手で、あたたかかった。
「痛くないよ。これくらい平気」
「いつもは目立たない所を殴られたり蹴られたりするのに。火傷は初めてのようだね」
男は朔太しか知らない秘密を口にした。
「煙草を押し付けられたんだろう? いつもの八つ当たりで」
「何でわかるの」
「それは秘密。だけど君のことは知ってる」
「名前も?」
「今野朔太。小学四年生。一人っ子。算数が得意」
自分のことを知っている男は、まるで魔法使いのようにぺらぺらと朔太の情報を披露した。見知らぬ男が自分のことを知っている恐怖はなかった。それはこの男が人の良さそうな顔をしていたからだ。
いつまで話していただろう。数時間かもしれないし、ほんの数分だったかもしれない。その頃には傷の痛みも緩和していた。
「お兄さんの名前は?」
「ヒラカズ」
「外人さんじゃないの?」
そう聞いたのは、ヒラカズが日本人離れした顔立ちをしていたからだ。彼は笑って答えた。
「ハーフだよ。母親が外国人なんだ。だから外人みたいな顔してるけどね」
ヒラカズは立ち上がり、ずっと握っていた手を放した。
「もうお帰り。夜中に子供一人は危ないし、お母さんならもう仕事に出たから家に帰っても平気だよ」
「すごい。なんでわかるの?」
「秘密」
彼は口元に人差し指を立てて微笑んだ。
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