14.天ぷらと意地(中編)
結婚二年目で早々に子作りを提案されたとき。誠はしばし固まったまま、なんの応答もできなかった。無言でまじまじ見つめれば、美登利は不安を滲ませた真率な表情で誠の反応を窺っていた。自分の本音をさらすとき、彼女はこういう心配そうな顔をする。
「本気か?」
よくわかってはいても確認してしまうのは、これまでの痛い経験ゆえなので仕方ない。
「本気だよ」
早すぎないかとか、子どもが子どもを作ってどうするとか、そんなふうな月並みな反対意見をひとしきり述べた誠に、美登利は眉をひそめて言った。
「そんな心配ばかりしてたら、いつまで経っても人の親にはなれないって苗子先生が言ってたよ」
敬愛する恩師の名言を聞かされては黙るしかない。
「私がちゃんとしてないからダメなの?」
そんな人並みのことを彼女が口にしたことにも驚いた。そんな、普通の女みたいな。
――私もちゃんとするからふたりのことは許して。
あのとき、しおらしく言っていたわりには、自由気ままな生活は相変わらずで、学生の間の気晴らしかと思っていた便利屋家業がなまじ軌道に乗ってしまったが為に、訳の分からない行動がますます増えた。
「フツウに会社勤めができるわけじゃなし」
「俺は養うつもりでした」
「だからって先輩が何もしないわけないんですよね、おれも盲点でした」
「箱入りお嬢様がいよいよ鳥かごから飛び出しちまったわけだ。糸の切れた凧の方か?」
野放図な娘をかごの中でおとなしくさせ、凧の糸をしっかり握っていた義父はやはり偉大だったというわけだ。
依頼のないときにはロータスで暇そうにしているが、即時対応がモットーであるゆえ、その一時間後には住宅展示場で不細工なキャラクターの着ぐるみを着て謎のダンスを踊っていたり(宮前仁の依頼だ)、謎の暗号文と格闘していたと思ったら資料集めをしてくる、と数日間姿を消したり(貴島教授の依頼だ)。
上流の旧家が立ち並ぶ住宅街での犬の散歩代理も長く続けているので、そちらからのコネクションも増えた(お子様からお年寄りまで、庶民からセレブまで)。
毛嫌いしていた映像系の出演も、身バレNGを絶対条件として、船岡和美や岩下百合香経由の依頼を受けるようになっていた(坂野今日子がマネージャーとして同行して目を光らせているので安心ではある)。
どんな仕事なのかは彼女は決してもらさないが、巽と共に行動することもあった。たいていは志岐琢磨も一緒で、そういうときにはロータスは休業になる。なんとなく察してはいたが、巽と琢磨はビジネスのパートナーであるらしい。
琢磨がかかわるのなら荒っぽいことはないのかと正人は気を揉んでいたし、達彦はひたすら巽の動向を警戒していた。
誠はといえば、妻に対して「放任主義」だと揶揄されても反論できないくらい、無関心を装っていた。
――あの子は僕のものだよ。
義父から結婚の承諾をもらったあの日。優しく微笑みながら言い切った、巽のあの澄んだ眼差しが忘れられない。澄み切って、なのに底が見えないほどで昏くて怖かった。
巽はずっと誠には(宮前にもだが)優しかった。子どもの頃には美登利と一緒に面倒を見てもらったことが多々あるし、恋人になってからも態度は変わらなかった。
それは単に、幼馴染というアドバンテージで彼女の隣にいるにすぎない誠のことを歯牙にもかけていなかったのと、もっと憎むべき相手が他にもいたからなのだろう。
牙を剥かれたのはあのときだけだ。そして一度で充分トラウマになった。
正人もやられたことがあるのか、こと巽のこととなると諦めのような、悟ったような顔つきになる。巽に対抗できるのは達彦だけなのだ。
そんなふうだったから、美登利の思いがけない発言は、巽が関係しているのではないかと勘繰ってしまったのは仕方ない。もちろん口に出してはいない。
過去も今もこれからも。兄妹の関係について発言するつもりはない。誠には決して見せないよう、あれほど必死に彼女が隠した秘密をあばくつもりはない。
すべてを知っていたいと思った。すべてを見ていると覚悟を決めた。そのことで彼女を追い詰めたいわけじゃない。もう傷つけ合いたくない。
そうは思っても修業が足りず、ときおりは意地悪な気持ちにもなるが。
だが、押し切られる形で始まった家族計画に基づく生活は、混じりけなしに幸せな気持ちになれた数年間だったといえる。
いらぬ嫌疑をかけられるのがめんどうだったのだろう美登利は、子づくり宣言と共に自宅にひきこもり、便利屋を休業してロータスにさえ足を向けなくなった。限られた女友だち数人が訪ねてくるだけで、正人も達彦も完全に蚊帳の外に置かれた。
彼女はいざとなればこうやって切り分ける。明日は我が身と思えば喜べはしないが、それでも、やっと夫婦になった実感を持てて幸せだった。
家庭内でも美登利は相変わらずで嬉しいのか泣きたいのか怒っていいのか、でもそれも幸せだった。
もう二度と、一生、料理はするなと、何度も懇願するはめにはなったが。
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