11.ドッジボールと紅葉
「父さん、カッター借りていい? 大きいの。明日図工で使うから」
キッチンでポトフの鍋にローリエを放り込んでいた父は振り向きもしないで頷く。勝手に持って行けということだろう。
和樹はリビングの隣の父親の部屋へと向かう。デスクの引き出しから普段はあまり使わない大ぶりのカッターナイフを取り出す。机の上に広げっぱなしになっているアルバムが嫌でも目に付く。几帳面な父親が片付けておかないなんて珍しい。夕飯を作り始める前まで眺めていたのだろうか。
以前、母親の部屋で見つけたのと同じようなアルバムで、写っているのは小学生たちみたいだ。ということは小学校の卒業アルバムだろうか。見開きのページにはいろいろな行事のスナップ写真が散りばめられていた。
中央のいちばん大きな写真には、詰襟の学ランを羽織って長いハチマキを締めた子どもたちが写り込んでいる。運動会の応援合戦だろうか。つい先月、和樹たちが繰り広げたのと同じような光景だ。いつの時代でもどこの学校でも変わらないもののようだ。
さほどの関心もなく視線を流した和樹だったが、「待てよ」と気付いてまじまじ写真に見入る。互いに張り合うように向かい合っている応援団長らしいふたりの児童。片方は髪の長い女の子だ。頭の後ろの三つ編みがハチマキと一緒に背中に垂れ下がっている。顔が小さくて分かりにくいけれど、姿勢がえらく良い立ち姿は、和樹がとてもよく知っている人と重なる。
(お母さんだ)
がちゃっといきなり扉が開いた。やや慌てた様子の父親がとりつくろった表情で入って来る。
「あったか?」
和樹に尋ねながらさりげなくアルバムを閉じる。
「うん。大丈夫」
無表情に頷いて手にしたカッターを示し、和樹は先に父親の部屋を出ながら内心で肩を竦める。こっそりお母さんの写真を眺めていたのを知られることが恥ずかしいのだろうな、と。
自分の部屋に戻って明日の支度をする最中にも、和樹は思わず笑みをもらした。花梨があんなに見たがっていたお母さんの子どもの頃の写真を、自分だけ見ることができた。それが嬉しかった。
「ただいまー」
帰宅すると、母親はまず手を洗う。それからおもむろに和樹をハグする。それから髪や頬を撫でながら和樹の顔をじっと見つめる。何か変わったことはなかったかと表情から読み取るように。
もう、こんなふうに小さな子どもにするみたいにされるのは正直いって恥ずかしい。だが、ここで抵抗してお母さんがすねたり泣いたりすると父親が怖いから、和樹は黙ってされるがままになっている。
気が済んだ母親は、今度はテーブルの椅子に座って和樹がそこに揃えて置いておいた学校からのプリント類に目を通し始める。
「校区対抗市内ドッジボール大会……」
「うん。選抜チームが校区の予選勝ち残ったから」
和樹は選抜Aチームのレギュラーだ。今週末行われる市大会に出場しなければならない。予選リーグの組み合わせを食い入るように見つめていた母親は、キッと鋭い目を上げた。
「和樹。聖城にだけは負けないで。ぜっったいに」
市内随一の名門校、聖城学院小学部の選抜チームも大会にエントリーしている。母親は、かつての母校を尋常でなく目の敵にしている。さっき見た卒業アルバムには、あんなに生き生き写っていたのに。
「う、うん。頑張る……けど、聖城はちゃんと監督がいるから、監督のいないチームじゃ勝てないだろうって……」
ギランと母親の眼が更に据わる。
「監督ね、綾小路を呼び出そう」
すぐさま家電に手をのばそうとする。話を聞いているのかいないのか分からないふうだった父親が、そこでようやく止めに入った。
「やめろ」
「なんでさ。喜んで飛んで来るでしょうに」
「そうなったらそうなったで面倒だからやめろと言ってる」
じとっとにらみ合う両親を前に和樹はそうっと自分の首筋を撫でる。さいわい、母親の方が折れて不毛なケンカにならずに済んだ。和樹は心の底からほっとする。母親と父親が本気でケンカをすると室内にダイヤモンドダストが発生するからだ。和樹の記憶にある中では発生したのは一度しかないけれど。
夜のニュース番組では秋の行楽シーズンの紅葉情報を流していた。気を取り直した父親が母親に尋ねる。
「今年は行かないのか?」
「紗綾ちゃんに会うとなると、日帰りじゃ済まないからなあ」
紅葉が好きな母は、秋には毎年京都に出かける。春には伯父の巽の別荘、夏には従兄の淳史の翡翠荘、秋には友人の紗綾がいる京都を訪れ、冬にはどこにも行かずにのんびり過ごす、という行楽パターンだ。その中でも京都は遠いから母親はいつもひとりでふらりと出かけていたのだが。
「どうせ泊りになるなら和樹も一緒に行こうか。そろそろ史跡めぐりも楽しいんじゃないかな」
和樹はぱっと顔を輝かせる。連れて行ってもらえるなら一緒に行きたいに決まってる。そこでふと、和樹は考える。
「旅行なら、あいつらも一緒の方が良いと思う」
妹弟たちのことを敢えて口にする。正直に言えば、ここで忘れた振りをして自分だけが母親と出かけたい。けれどそういうわけにも行かない。なにしろ和樹は長男なのだから。
駈はまだ小さいけれど知識欲が強いから有名なお寺や博物館に行きたがるだろう。花梨はお母さんと旅行ができるとなれば無条件でついて来るに決まってる。
「そうだね。じゃあ、みんなで行こうか」
母親はとても嬉しそうに微笑んで、優しく和樹の頭を撫でた。
「よし。じゃあ、子どもたちと四人で行くからよろしくねって紗綾ちゃんにメールしよう」
うきうきとパソコンデスクの方へ行く母親の背中を不機嫌そうに見送る父親の顔が視界に入ったが。和樹はそれを見なかったことにした。
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