56 幸せになる権利2
「大丈夫? あっと、このままじゃだめだ。ちょっと着替えるからここ座っていて」
キリアンは上半身裸だったことを思い出し、ディアナを手近の椅子に座らせる。彼女は過去の辛い記憶から異性の裸に強い拒否反応を起こしてしまう。動揺して状況を把握出来ていないのか、パニックを起こしていない今のうちに着替えてしまいたい。
以前に彼女に気がある騎馬兵の1人が男の肉体美を披露などと訳の分からない理由で彼女の前で上半身裸になった。当然、彼女はパニックを起こし、倒れてしまった。医務室に運ばれて事なきを得たが、その後は食堂では騎士服を着用という規則が出来ていた。
そこへ見習い竜騎士がお茶を持ってきてくれた。ディアナを連れて来てくれたジーンが指示したのだが、その後さっさと帰ってしまっているらしい。帰りは送っていかないといけないなと思いつつ、見習いがお茶を淹れてくれている間に隣の寝室で手早く身支度を整えた。
「落ち着いた?」
湯気の立つ茶器を手にしたディアナは小さく頷いた。顔色も幾分良くなっている様にも見え、安堵したキリアンは控えて居た見習いを下がらせると、彼女の向かいに座った。自分もお茶を飲もうと茶器に手を伸ばそうとすると、ディアナが淹れなおしてくれる。
「ありがとう」
好きな人が淹れてくれるお茶はやはり格別だった。討伐から帰ってすぐに治療を受け、その後は部下を叱責していたので一息つく暇もなかったのだ。もっと味わいたかったのにすぐに飲み干していた。
「お怪我は大丈夫ですか?」
「ああ。問題ない。このくらいならすぐに良くなるよ」
「よかった……」
ディアナは安堵した様子で顔を
「ところで、バートは?」
「仕事に行くつもりだったからドレスラー家で預かって頂いてます」
「それならいいが、仕事は?」
「えっと、ジーン卿の勧めで休むことになって……」
ディアナは事の発端になった令嬢の話はごまかして事情を説明する。しかしそれだけでは納得してくれなかったらしい。ゆるゆると追及されているうちに結局は令嬢の件は口を滑らせていた。この辺りはさすがの手腕としか言いようがない。
「全く……」
「ごめんなさい」
呆れた様子のキリアンの前でディアナは小さくなって項垂れるしかない。彼はブツブツと何か言いながら席を立つ。ああ、呆れて相手にするのも嫌になったのだと思い、悲しくて涙がこぼれそうだった。
「え、ちょっと、何で泣いているんだ?」
ディアナが涙を零しているのに気付いたキリアンが慌てた様子で駆け寄り、彼女を抱きしめた。その行動に驚いた彼女は彼の腕の中で固まった。
「えっと、あの……呆れて嫌われたんじゃないかと……」
「それはない」
ディアナの懸念を彼は一言で吹き飛ばした。そして懐から出した何かを彼女にそっと握らせる。
「本当は春になってから渡そうと思って用意していた」
手の中にあるのは花を象った美しいブローチだった。高価な宝石も使われており、ディアナは驚きのあまりまたもや固まってしまう。
「ディアナ、俺をバートの父親にしてくれませんか?」
「え……」
養子に欲しいと言うのだろうか? 彼の言葉の真意を掴めずにいると、抱きしめられている腕に力が入った。
「結婚しよう」
驚いて顔を上げると、額に口づけられる。男性との過度な接触が怖いディアナに配慮しているのだろう。本当なら、こうして抱きしめられているのも怖いはずなのだが、キリアンが相手だと不思議と安心していられる。
「……私でいいの?」
「君でないと嫌だ」
「キリアン様……」
「返事を聞かせて欲しい」
頷きたいところだが、脳裏をよぎったのは昨日の女性だった。
「でも、あの女性は……」
「向こうの勝手な思い込みだ。もうかかわってこないよう話を付けておく。それに勘違いしないで欲しい。俺には君だけだ」
必死に言い募る様子から、キリアンは本気で言っているらしい。本音を言うと、ディアナにとって既に彼は特別な存在になっている。結婚してほしいと言われ、嬉しくないはずはない。
「何度でも言う。君だけだ。結婚してほしい」
なかなか返ってこない返事に焦りが出たのか、畳みかけてくる。ディアナはもう胸がいっぱいで、ただ頷くしかできなかった。
その日はもう日が暮れてしまい、ディアナは砦に一泊して翌朝、総督府までキリアンに送ってもらった。彼はそのまま痛い勘違いをしている女性と話を付けるつもりでいたのだが、ジーンから先に話を聞いていたリーガスによって女性は既に捕らえられていた。
悪気はないと言ってはいるが、怪我もさせているし脅迫めいたことも言っている。反省の色が見えない彼女には厳しい罰が与えられ、牢に入れられた。親が保釈金を用意したのですぐに出れたが、キリアンやディアナへの接触は一切禁じられている。結局、ロベリアに居られなくなり、春を待たずに親子ともどもロベリアから出て行った。
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