47 愛のカタチ3

 イリスに用意されたのは優しい色合いの調度品で揃えられた1階の客間だった。泊りでお勤めをすることもあり、大神殿から与えられている居室から彼女は一通りの着替えを持ち出していた。夜着に袖を通し、今日もらったオパールの首飾りを眺める。蝋燭ろうそくの灯りできらめくその美しさはいくら眺めていても飽きそうにない。正直、まだこれが自分の物だと実感も湧かないのだが……。

 夜も更けて来たのでそろそろ休もうかと灯りを消して寝台に横になる。だが、初めてラウルの家にお泊りしている緊張感からかなかなか寝付けない。何度も寝返りをしながら寝る努力をしていると不意に大きな音がする。

 

ドカッ! ガッチャーン!


「な、何?」

 驚いたイリスは飛び起きた。寝台の上で震えていると、何やら言い争っている声が聞こえる。中の1人はどうやらラウルの様で、珍しく怒りを露わにしている。彼女は寝台の脇に置いていた薄手の上着を羽織り、そっと部屋の扉を開けた。

「何考えているんだ、この馬鹿親父!」

「おうおう、親に向かってなんだその口の利き方は?」

「自分がしでかした事をよく見てから言え」

 暗がりの中、手さぐりで廊下を進み、居間に向かう。灯りを落とした部屋の中、目を凝らしてみると、2人の男が対峙していた。暗がりでも片方はラウルだとすぐに分かった。一方、対峙している相手は彼よりも小柄な男性で、腰に手をあててふんぞり返っている。

「あらあら……。旦那様、お帰りなさいませ」

 そこに手燭を手にしたデボラが反対側の廊下から居間にはいってくる。彼女は手早く部屋の灯りを付けていき、そこでようやく部屋の惨状が明らかになった。居間に置かれていたテーブルとソファが無残に壊れ、テーブルの上に飾られていたはずの花瓶も割れて床に散乱している。そして小柄な男は、どういう訳か外れて床に倒れている玄関の扉を踏みつけていた。

「アレはまだ着いていないじゃろう? 今回はワシの勝ちじゃ」

 話の流れからするとこの人がラウルの父親なのだろう。袖のないシャツにひざ丈のズボンをはいているのでとても騎馬兵団の副団長を勤めている人物とは思えないのだが、非常に筋肉が発達しており、グンターよりもいかつい顔をしている。

「また奥様と競争ですか?」

「そうじゃ。ワシの勝ちじゃ」

 男は勝ち誇って胸を張っているのだが、一方のラウルはその姿に呆れた様子で見ている。

「どうでもいいけど、これどうするんだよ?」

「どうでもいいとは何じゃ! ワシとアレの神聖な勝負だぞ!」

「時と場所をわきまえろ。それに鍵のかかった扉を蹴破る事ないだろう」

 この騒動で近所からも人が出て来て何事かと様子を伺っているらしく、外が騒がしい。確かに、夜も更けたこの時間にこの騒ぎは近所迷惑だ。

「何じゃと!」

 激昂した彼は息子に詰め寄る。そんな親子を尻目にデボラは慣れた手つきで片づけを始めている。手伝った方がいいだろうか悩んでいると、人の気配を感じたらしい男が振り向いてバッチリ目が合った。

「む、不審者め!」

「あ、違う、待て!」

 ラウルが止める間もなく男が間を詰め、その恐ろしさにイリスは腰を抜かして尻餅をついた。


ゴツ!


 腕を掴まれそうになって目をつぶる。すると何か固いものがぶつかる音がする。恐る恐る目を開けてみると、目の前にラウルの父親が白目をむいて倒れていた。近くに木の置物が転がっており、どうやらこれを投げつけられたらしい。

「大丈夫かい?」

 顔を上げると背の高い女性が立っていた。兵団服を纏い、腰に剣を下げている。笑いかけて来るその顔はどこかラウルに似ている。

「お袋」

「脇が甘いわよ、ラウル。この子があんたの大事な娘だろう? ちゃんと守ってやらないとだめじゃないか」

 壊れたソファの残骸を乗り越えてラウルが近寄ってくる。そんな彼を女性は一睨みするが、それを無視してイリスの側に跪く。

「親父がゴメン。大丈夫か?」

 問いかけにうなずくものの腰が抜けて立ち上がれない。気付いたラウルはそんな彼女をそっと抱き上げた。

「イリスさんだったね? 私はノーラ。この不肖の息子の母親だ。で、ここで伸びているのが父親のアンドレアス。それにしてもうちのが悪かったね。こんなかわいい娘を不審者と間違えるなんて。きっと脳みそまで筋肉になっちまったんだよ」

 どう答えていいのか分からず、イリスは曖昧にうなずいた。抱き上げてくれているラウルの服をギュッと掴んだ手はまだ震えている。

「怖い思いをさせちまって悪かったね。今日はもう遅いから、朝になったら改めて挨拶と詫びをさせてもらうよ。グンター、デボラ、とりあえず大雑把に片付いたら今日はいいよ。残りは自分でさせる」

 そういうと、ノーラは伸びたままのアンドレアスの襟首を片手でつかんで引きずって行く。そしてそのままソファの残骸を乗り越えて階上へと上がっていった。

「デボラ、ごめん。彼女に何か飲み物を頼む」

「ええ、ええ、ちょっとお待ちくださいな」

 とっさに断ろうとしたのだが、ラウルは彼女をさっさと客間に連れて行き、置いてある椅子に座らせる。それからほどなくしてデボラは安眠効果のあるハーブティーを用意してきてくれた。

「すみません……」

「お嬢様が謝ることは無いんですよ。全ては旦那様が悪いんです」

 デボラは笑いながらハーブティーの茶器を手渡してくれるが、目は笑っていなかった。これからあの惨状の後片付けがあるのだから無理もないだろう。忙しい彼女は後をラウルに任せて部屋を出て行った。

「それにしても本当にゴメン」

 お茶を飲む様子を見守っていたラウルが頭を下げるが、そもそも不用意に様子を見に行った自分も悪いのだ。そう伝えると彼は深くため息をついた。

「あんなのが親父でびっくりしただろう? 普段はそうでもないんだけど、お袋と勝負を始めると見境が無くなるんだ」

 寝台の傍らで跪く彼は項垂れている。きっと、こんなことは今までにも何度かあって、彼等はその後始末に奔走してきたのだろう。イリスは空になった茶器を傍らのテーブルに置くと、宥める様に彼の肩にそっと手を置いた。

「ラウル様、じゃあ、もうちょっと一緒に居てもらっていいですか?」

「女神官様のお望みのままに」

 ラウルは肩に置かれた手を取ると、その甲にそっと口づけた。実は婚礼を上げるまで同衾はしないと固く心に誓っているのだが、そんなラウルには深夜に密室でイリスと2人きりとなっているこの状況は試練だった。それでも彼は沸き起こる欲望を必死に抑え、彼女の気が済むまで話に付き合った。

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