48 愛のカタチ4

 イリスが目を覚ますと、既に日は高くなっていた。慌てて身支度を整え、乱れた夜具を直してから部屋を出る。居間に行くと、いくつかの調度品が無くなり少々殺風景になってしまっているが、それでも昨夜の惨状が嘘の様に片付いていた。

 台所の方から音がするので覗いてみると、デボラが野菜を洗っていた。時間的に昼食の下ごしらえをしているのだろう。

「すみません、遅くまで寝てしまって」

「あら、お目覚めになられたんですね。ゆっくりなさっていいんですよ」

「ですが、あの……」

 焦っているイリスをデボラは手近に椅子に座らせる。沸かしてあったお湯でお茶を淹れ、一先ず落ち着かせた。

「昨夜の事もございましたし、奥様も坊ちゃまもゆっくり休んでいただこうと言っておられたんですよ」

「そうですか……」

「若様は裏で鍛錬中です。あと、奥様と旦那様は朝一番に呼び出しがあって出かけておられます。お昼には戻られるとのことでしたので、それまでゆっくりなさって下さい」

「あの、でしたら何かお手伝いさせてください」

 お客様しているのはイリスの性に合わない。そう申し出るとデボラは困ったような表情を浮かべたが、何かを思いついたように席を立つ。

「でしたら、坊ちゃまにお飲み物をお持ち頂けますか?」

「は、はい。お任せください」

「すぐ用意しますね」

 デボラはそう言うと盆の上に冷やしたお茶や茶菓子を並べてあっという間に準備を整えた。イリスはそれを受け取ると、デボラに教えてもらった通り裏口から外に出る。

美しい花壇がしつらえてある表の庭と異なり、裏庭は所々芝が生えている広場となっていた。その中央で長剣を手にしたラウルが鍛錬をしていた。どのくらい動いているのか、腕を振るうたびに汗がほとばしっている。

「ラウル様」

「……イリス?」

 一段落したのか動きが止まったところで声をかけてみると、振り向いた彼は驚いた様子で固まった。

「もう大丈夫なのか?」

「はい。デボラさんが飲み物を用意してくださったんですけど、休憩されますか?」

「あ、ああ、そうだな。少し休もうか」

 ラウルは長剣を収めると、井戸端に移動して汗を吸い切ったシャツを脱ぎ捨て頭から水を被る。木陰に盆を置いたイリスは、そんな彼にそっと乾いた布を差し出した。

「どうぞ」

「ありがとう」

 長く神殿に居たので、異性の裸を見るのは恥ずかしい。慌てて視線を逸らすが、それでも鍛えた体が目に入ってしまい、羞恥で頬が染まる。着替えを終えたラウルが声をかけるまでどうにか気持ちを落ち着ける努力をした。

「昼を食べたら本宮に戻ろうか?」

「そうですね」

 2人の休暇は夕刻までだったが、マルモアから戻ってくる一行を出迎えたいと言う気持ちは一致している。遠距離なので次はいつ一緒に過ごせるか分からない。寂しいのだが、仕える立場なのでその辺はままならないのが現状だ。

「さて、もうちょっと頑張ろうかな」

 お茶も茶菓子も空になり、ラウルは立ちあがって伸びをする。怪我であればやむを得ないが、1日でも鍛錬を休むと動きが鈍ってしまうので最低限はこなしておきたいのだろう。

「じゃあ、私はデボラさんをお手伝いしてきます」

イリスも茶器を乗せた盆を持って立ち上がる。

「ゆっくりしてていいんだよ?」

「落ち着かないんです。でも、美味しいご飯作りますね」

「それは楽しみだな」

 イリスの手料理を食べられるとなると、ラウルも無理強いは出来なかった。むしろ楽しみになる。額に口づけた彼女が頬を染めて屋内に戻っていくのを見届けると、彼は再び長剣を手にし、基礎の鍛錬を始めた。




 デボラと2人、台所に立っていると、本宮に呼び出されていたラウルの両親が帰ってきた。伸び放題だった髭をそり、髪を整え、兵団の正装をしているアンドレアスの姿は、前の晩、暗がりに立っていた姿とはまるで別人だった。彼はイリスの姿を見付けると、神妙に頭を下げる。

「昨夜は大変失礼いたした」

「それだけじゃだめよ」

 同じく正装姿のノーラは背後で仁王立ちしている。何だか、昨夜以上にかっこいいと思っていると、アンドレアスはその場で膝をついた。

「勘違いから怖い思いをさせて申し訳ない。こんなバカな父親を持つ息子の事をどうか見捨てないでいただきたい」

「何でそこに俺が出て来るわけ?」

 その場でアンドレアスが土下座するので、イリスがあたふたしていると、鍛錬を終えたラウルが入ってきて、父親の姿に眉をひそめる。

「そうね、昨夜の事は貴方の独り相撲。イリスちゃんに許してもらうまでそうしてなさい」

 ノーラは容赦がない。イリスは慌てて側に膝をついてやめさせようとしたが、背後からラウルに抱きしめられた。

「ラ、ラウル様?」

「そのまま放置で。とりあえず昼飯にしよう」

「そうね」

「そうですな」

 無情な宣告に母親も本宮に同道したグンターも同意する。食堂に移動しながら話を聞くと、昨夜は閉門後にも関わらず、皇都の城門を無理に押し通ったらしい。更にはあの騒ぎで周辺の住民から苦情が来て、他の4人はその事後処理に追われて大変だったらしい。

「今日はお嬢様も手伝って下さったんですよ」

「まあ、それは楽しみね」

 アンドレアスは完全に放置され、昼食が始まった。それでもその後、気の毒に思ったイリスが許すまで、彼はその場で微動だにしなかったのは反省の表れだと思いたい。

「マルモアに行くことになった」

「第4騎士団の立て直しに力を借りたいとアスター卿も言っておられましたが、誰かさんがなかなか帰ってこないから、困っておられました」

 呼び出しは昨夜の不始末だけではなく、新たな辞令の交付もあったらしい。しかも今日にでも出立しないといけないらしい。慌ただしいのだが、元はと言えば彼が帰還命令に従わなかったのが原因だった。

「手ごたえのあるものが居るといいの」

「そういえば第7はどうなった?」

「まだまだじゃが、基礎は叩き込んできたぞ」

 親子で会話を交わしながらものすごい勢いで料理を平らげて行く。特にイリスが作った卵のスープと肉詰め料理はあっという間に無くなった。

「俺達も昼食済んだら本宮に戻る」

「そうですか……また寂しくなりますね」

 一家がそれぞれの任地に行ってしまうと、グンターとデボラは夫婦二人だけの生活になる。デボラはそっとため息をついた。

「あの、それでしたら、またお休みの日におうかがいしていいですか?」

「いいのか?」

「それはもちろん構わないわ」

 イリスの申し出に一同は驚きながらも大歓迎する。そして改めてまたこの家を訪れると約束し、賑やかな昼食は済んだのだった。


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