154 廻る命3

 エドワルドは夜中にふと目を覚ました。夜明けにはまだほど遠い時間なのだが、言いようのない焦燥感により目が冴えてしまっている。夢の中だが、彼女に助けを求められた気がしたのだ。

「……フロリエ」

 お守りを握りしめ、エドワルドは愛しい女性の名を呟く。深く息を吐くと、寝る努力を諦めて彼は燭台に火をともすと机に向かった。

「殿下? お休みになられて無いのですか?」

 そっと戸が開き、ウォルフが驚いた様に声をかけてきた。

「目が冴えてしまったのだ」

「お疲れなのではありませんか? 昨日は討伐にも出られたのに……」

「そうでもないさ。君こそ寝ていないのだろう? 私の事は気にせずに少し休んできなさい」

「ですが……」

 ウォルフには無理をしているように見えたのか、なおも言いつのろうとするのだが、それをエドワルドは手で制す。

「朝まで一人にしてほしい。だから、君は休んできなさい」

「……分かりました」

 エドワルドの断固とした言葉にウォルフは力なくうなずき、そのまま自分の部屋へ下がっていった。

「……」

 1人になり、再び机に向かうが、思った様に仕事は捗らない。脳裏を横切るのは愛しい人の面影と声。彼は深くため息をつくと椅子から立ち上がる。

「月……か」

 帳の隙間から光が差し込んでいるのが目に入る。帳を開けて見ると、今宵は珍しく晴れていて月が出ている。

「大母ダナシアよ、どうか我が妻子を守りたまえ」

 エドワルドはその場に跪き、祈りを捧げる。自分の事であれば、ただ祈るよりも己の才幹で切り抜けていく自信はある。だが、居場所の分からない妻子の事は祈らずにはいられなかった。彼はその場で妻子の無事を祈り続けた。




 ディエゴは報告書の束を手に足早にミハイルの執務室に向かっていた。通常の報告書であれば下官に使いを任せればいいのだが、極秘扱いのものでもあり、シーナが家で休んでいるので、様子見を兼ねてルデラック公王である彼が直々に足を運んでいるのだ。

「義父上、失礼しますよ」

 シーナが離れて2日は経過している。惨状を覚悟して扉を開けるが、部屋は思いの外片付いていた。

「……ディエゴ、ノックぐらいしてくれ」

「それは失礼」

 いつもの苦情をさらっと受け流し、ディエゴは部屋の中を見渡す。書類が散乱しているが、足の踏み場がないと言った状態にはなっていない。物珍しそうに見渡しながら部屋の主が仕事をしている机に近寄る。

「片付けは……必要ないみたいですね?」

「……ここで休憩するなと言われたからな」

「なるほど」

 有能な妻は悪阻による体調不良で父親の補佐を離れる時に、当人のみならず彼の身の回りの世話をする侍官にもこの部屋での飲食厳禁を通達した様だ。休憩する時と部屋を分ける事でどうにか部屋の状態を維持できているらしい。

 以前離れた時は彼が無理やり彼女を攫って行ったので、その通達を出す暇が無かったのだろう。

「ところで、急ぎの用事は何だ?」

「先のワールウェイド公に雇われていた竜騎士の正しい身元が分かりましたよ」

「ほう……」

 グスタフの死を理由に討伐期に入る直前で契約を無効として国外に出てしまった竜騎士の行方をディエゴは伝手を頼りに調べ上げていた。元々が本名では無かったので、少々時間がかかってしまったが、先ほどようやく最終的な調査報告書が彼の下に届いたのだ。

「こちらをご覧ください」

 差し出された資料に目を通していくうちにミハイルの表情は険しくなっていく。そこにあげられていたのはタルカナやエヴィルの貴族や礎の里の高神官の子息の名前だった。いずれも竜騎士を数多く輩出している家柄で、挙げられている子息達は残念な事に力が足りずに飛竜に選ばれなかった若者達だった。

 しかもここに上げられた面々の実家は、以前にガスパルが手に入れたベルク主催の春分節の宴の招待客と大部分が符合している。

「前々から流れているタランテラで修業をすれば竜騎士になれるという噂は、ただ単に竜騎士の経験を積めるからだと思っていましたが、どうやらあの薬を使っていたようですね」

「ベルクが薬を売りさばいた客にワールウェイド公が飛竜を用意していたと言う事か。薬で力を高めただけでは普通、飛竜はパートナーとして選ばない。だが、パートナーを失った飛竜なら可能性は有るな」

「そうですね」

 討伐等で命を落とした竜騎士のパートナーは一旦神殿に預けられ、まだ若ければ次のパートナーを選ぶことが多い。最初のパートナーを選ぶ基準よりも随分と妥協する事が多く、飛竜が先のパートナーを無くした悲しみから逃れる為に早く次のパートナーを選ぼうとするからだろうと言われている。討伐期が長く、竜騎士の死亡率が高い北国ならではの裏技ともいえるだろう。

「これも当代様に報告しよう。勿論、アリシアにも教えておかなければ」

 そこへ遠慮がちに戸を叩く音がする。ミハイルが返事をすると、次席補佐官が見事な細工を施した書簡筒を持ってきた。その筒を使用するのはただ1人。現在ラトリに滞在している彼の妻、アリシアだった。

「おお、ちょうどいい所へ」

 それを受け取ると、ミハイルは首から下げている鍵を使ってその筒を開封する。

中から書類を取りだし、素早く目を通していく。

「では、私は席を外しますよ」

「いや、待て」

 次席補佐官がすぐに席を外したので、ディエゴも奥方からの手紙を読むのに邪魔にならない様、気を効かせたつもりだったが、当のミハイルによって呼び止められる。

「何か、重大な事でも起こりましたか?」

「赤子が生まれたそうだ」

 あちらで出産を控えているのは1人だけ。誰のとは聞くまでも無い。

「早くないですか?」

「手違いがあって、ベルクの妄言が彼女の耳に入った。そのショックでお産が早まったらしい」

「マジか……。で、お生まれになったのはどちらで?」

「皇子だそうだ。父親譲りのプラチナブロンドに顔のつくりは母親譲りだそうだ」

「おお、タランテラ皇家待望の皇子ですね」

「そうだな」

 ミハイルの口元には笑みが零れている。

「早く生まれてきた割には、赤子は元気いっぱいだそうだ。ただ、フレアの回復が遅れているそうだ」

「それは心配ですね」

「あちらに任せておけば大丈夫だろうが、何か滋養のある物を贈らせよう」

 ミハイルは自分の考えに満足したのか、手紙を読みながら何かブツブツと独り言を始める。こうなるとしばらくは周囲の声が耳に入らなくなる。ディエゴはそっと執務室を後にする。

 その日のうちにミハイルは返事の手紙を書き上げた。全体の8割は愛する妻へのラブレター。1割はディエゴからの情報をまとめたもの。残り1割はフレアへの出産の祝いと体を気遣う内容だった。そして手紙の最後のページには大きく名前が1つだけ書かれていた。


「エルヴィン・ディ・タランテイル」


 名付け親を頼まれていた彼が孫に送った最初の贈り物だった。


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