153 廻る命2

 フレアは大きくせり出したお腹を抱え、コリンシアに手を引かれながら母屋の廊下を歩いていた。長引く悪阻で食事がとれず、挙句の果てに体調を崩して長く寝込んでしまった。しかもアロンとロイスの訃報がそれに追い打ちをかけていた。

 だが、臨月を迎える頃にはショックからもどうにか立ち直り、幾分体調が良くなっていた。子供を無事に出産する為にも、落ちた体力を回復させる必要があり、こうして散歩をしているのだ。屋外を歩かないのは雪が積もっていて危ないからである。

 それでも時には裏口から表に出て、厩舎にいるグラン・マに会いに行く事もある。そこまでがペドロやマルトの妥協の範囲内だった。防寒着を着込み、必ずティムかバトスを同伴するように言われている。今日は裏口でティムが防寒着を用意して待っていた。

「足元にご注意ください」

「ありがとう」

 ティムとコリンシアに手を取られ、ルルーを肩に乗せてゆっくりとフレアは歩く。長かった冬も終わりに近づき、今日は幾分温かな事もあって雪が解けて通路へ水が流れ込んでいた。足元には滑らないように古い絨毯が敷かれており、少年の細やかな心遣いが伝わってくる。

「グラン・マ」

 厩舎に着き、年老いた騎獣にコリンシアが話しかけると、もしゃもしゃと口を動かしながら彼女は近づいてきた。

 十分にえさを与えられ、毎日丁寧にブラッシングされているので、グラン・マは繁殖用として村で飼われていた頃よりも肉付きが良くなり、毛並みは艶々している。

 その柔らかな毛並みをフレアとコリンシアが撫でてやると、嬉しそうに目を細め、ゆったりと尾を振っている。そんなグラン・マにルルーはちょっかいを出すが、彼女はフンと鼻を鳴らして全く相手にしていなかった。

「あまり長居しては冷えます。そろそろ戻りましょう」

 適当な頃合いを見計らい、ティムが声をかける。2人共名残惜しそうにグラン・マの頭を撫でてから厩舎を出る。馬は相変わらず口をもしゃもしゃ動かしなが動かしながら彼女達を見送った。

「フレア様」

 オリガが彼女達を見つけて駆け寄ってくる。

「どうしたの?」

「賢者様とアリシア様がお呼びでございます」

 タランテラからまた新たな情報がもたらされたのだろう。彼等に全てを一任してあるものの、そう言った情報は全て当事者であるフレア達にも伝えてくれる。

「分かりました」

 フレアは母屋に戻ると脱いだ防寒着をティムに預け、手を洗ってからオリガに付き添われてペドロの部屋に向かう。コリンシアにはいつも後からフレアが分かりやすく説明しているので、ティムと一緒に後片付けを手伝い、おやつで呼びに来てくれたマルトと一緒に部屋に戻った。

「フレアです」

 扉を叩いて名乗るとすぐにアリシアが出迎え、そしていつもの様に暖炉の側にある奥の安楽椅子に案内される。

「オリガ、貴女もいてちょうだい」

「はい」

 頭を下げて退出しようとしたオリガはアリシアに呼び止められ、フレアの後に慎ましく控えて話が始まるのを待った。

「ベルクが部下にそなたをタルカナへ連れて来る様に命じておるのは知っておるな?」

「はい」

 ルイスがラトリを襲おうとした賊を捕えたのは一月以上も前の話だった。既に全員ブレシッドの牢に移され、専門の係官によるネチネチとした尋問を終えている。

 だが、ラグラスとベルクにはこの襲撃が成功したと信じ込ませていた。巧みな情報操作により、ベルクにはフレアが体調を崩しているので占拠した村に滞在していると、ラグラスにはタルカナのベルクの元にいると信じ込ませていた。

 それでも困った事に日数がたつにつれてベルクは一刻も早くフレアを自分の元へ寄越す様に催促していた。関わりがばれてはまずいから春まで待った方が良いと、どうにか理由をつけて引き伸ばしている。春になれば彼も忙しいので、そんな事にうつつを抜かしている暇は無くなるはずだった。

「ベルクは偽名での署名は無効で、殿下とそなたの婚姻は無かった事として里へ報告している。同様にしてグロリア女大公の遺言も無効。正統な後継者はラグラスだと伝えたそうだ」

「そんな……」

 フレアもオリガも表情を曇らせる。行われる審理はベルクを糾弾する物で、実際にはそれらを訴えても認められないと分かっているのだが聞いていて気分のいいものでは無い。それにもし、里の賢者達がそれらも問題視するようであれば、タランテラに更なる悪影響を及ぼしかねない。

「里では何と?」

「半々といった所か。首座殿が陰で動いておられるおかげで、タランテラの内乱の真相が各国の有力者のみならず里の賢者達にも伝えられておる。それらを知る者は皆、冷静に判断しておるの」

「そうですか……」

「問題はベルク寄りに考える者達じゃの。じゃが、ガスパルのおかげで彼の人脈はある程度把握できておる。後は首座殿がうまくやってくれるじゃろう」

「大丈夫よ。ベルクの好きにはさせませんからね」

 ペドロの言葉にアリシアも頷くので、フレアもオリガも先ずはホッと胸を撫で下ろす。

「賢者殿!」

 そこへいきなり、聖域の長老達が足音も荒々しく部屋に入って来た。彼等は暖炉の側に居るフレアも目に入らないようで、真っ直ぐにペドロの元へ詰め寄る。

「あのクズ神官がフレアちゃんを婚約者だと触れ回っているのは本当か?」

「ちょ……ちょっと待て……」

「しかもフレアちゃんが行方不明だったのは婿殿が誘拐したからだと言っておるのじゃろう?」

「何故、手を打たん?」

「お主が何もせんなら、ワシらがあのクズをとっちめてやる!」

 激昂している年寄り達はペドロの制止も聞かず、耳にした内容に腹を立てて彼に詰め寄る。その剣幕にさすがのペドロもアリシアもたじたじとなる。

「……その話、本当なの?」

 突然割り込んできた声に激昂していた長老達は我に返って固まる。蒼白な顔をしたフレアが椅子から立ち上がり、彼等の元に歩み寄る。その傍らには同様に蒼白な顔をしたオリガが立っている。

「いや、その……」

「本当の事教えて。ベルクはあの方を……エドを偽りの罪を着せて貶めようとしているの?」

「フレア、落ち着いて」

「落ち着いてなど……あっ……」

 アリシアがフレアを落ち着かせようとするが、彼女は下腹に痛みを感じ、その場に蹲る。

「フレア?」

「フレア!」

「フレア様!」

「フレアちゃん!」

 その場にいた人々は慌ててフレアに駆け寄った。




 断続的に続く痛みにフレアの意識は朦朧もうろうとしていた。腰から下をどこかに持っていかれそうな痛みが襲う度にオリガやアリシアが腰をさすってくれてはいたが、なかなかその間隔は縮まらない。陣痛が始まってもうどの位経ったのか、それも分からなくなっていた。

「しっかりなさいませ」

 声をかけてくれたのはマルトだったか、オリガだったか……。曖昧あいまいに頷いて差し出された飲み物を口に含んだ。

「エド、エド……」

 朦朧とする意識の中、必死に愛する人の名を呼び続け、誰かに手を握ってもらって励まされ、最後の力を振り絞った。


 オギャア……オギャア……


 意識が遠のく寸前、確かに赤子が泣き声が聞こえた。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



予定より半月ほど早まったフレアの出産。

難産で苦しむ彼女にアリシアとマルトとオリガが交代で付き添い、励ましました。

ちなみにその原因となった長老達は、許してもらえず当分の間母屋に出入り禁止になったとか。


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