123 朗報と凶報7

 ウォルフは書類が入ったカバンを手に北棟に続く廊下を小太りの体を揺らしながら小走りで移動していた。もう冬が目の前に迫っているというのに、彼は額に汗を浮かべている。実の所、今日だけでこの廊下を何往復したか分からなくなっていた。

「ウォルフ、殿下の所へ行くのならこれも頼む」

「はい、ただ今」

 グラナトの補佐官に呼び止められ、ウォルフは足を止めた。そして補佐官から封書を受け取り、その場でカバンに入れると再び北棟に向かって駆け出す。

 エドワルドが完全に休養できたのは2日ほどだった。結局はやる事が多すぎて仕事が回りきらなかったのだ。そこで来客の対応はサントリナ公とブランドル公、書類の決裁といった事務的な仕事をエドワルドとグラナトが行い、軍務に関してはブロワディとアスターに一任することとなった。

 エドワルドは体調を考慮して私室で仕事を行うことになったのだが、グラナトやサントリナ公といった国の重鎮達との執務室との書類のやり取りが手間取ってしまった。そこでウォルフが自ら名乗りを上げて、こうして書類のやり取りを手伝う事となったのだ。ちなみに執務室が一番離れているブロワディは、いつも若手の竜騎士に行かせていた。

「殿下、失礼いたします」

 エドワルドは机に向かって仕事をしていた。一時は体を起こすのも辛く、寝台に机を用意させ、クッションで体を支えて機械的に署名をしていた事もあった。だが、幾分回復した今は、仕事の間は寝台脇に用意した机に向かえるようになっていた。

「ご苦労」

 エドワルドは書類を受け取るとウォルフを労い、特に急ぐ署名済みの書類を彼に手渡した。

「アスターはまだ戻っていないのか?」

「はい」

 マルモアへ視察に行っているアスターは、昨日皇都へ帰る予定だったのだがまだ戻って来ていない。新たな問題でも起こったのか、帰還を遅らせる旨の伝言だけが届いていた。それを知らせに来た竜騎士も理由については詳しくは知らされていないらしく、問いただしてもかんばしい返答が帰ってこなかったのだ。

「……まあ、いい。アイツなら心配ないだろう」

 気にはなるが、アスターの手腕を信頼しているエドワルドは、あれこれ推測するのを止めて新たに届いた書類に取り掛かり始めた。ずっとペンを握って強張る手を時折ほぐしながら書かれている文面に目を通し、署名をしていく。

「それでは、失礼いたします」

 ウォルフはそんな彼の邪魔をしないように、頭を下げるとエドワルドの私室を後にする。エドワルドの私室を守る兵士に挨拶してまた南棟に戻ろうと一歩踏み出したところへ、向こうからグラナトが走って来るのが見えた。

 執務室で寝泊まりしているほど忙しい彼自身がここまで来ることは珍しく、余程大変なことが起こったのだと推測できる。鬼気迫るようなグラナトの表情に気圧され、ウォルフも部屋の扉を守る兵士も慌てて退けた。

「殿下、大変です!」

 普段のグラナトからは想像できない程ひどく慌てた様子で彼はエドワルドの私室に駆け込んだ。どうやらウォルフも眼中にない様子である。何が起こったか興味もあったが、ウォルフはどうにか好奇心を抑え込むと再び南棟に向かって駆け出した。



 深夜にフォルビアを出立したルークが皇都に着いたのは朝方だった。少しでも早くエドワルドに知らせたいと気が焦り、同行しているラウルに気遣うことなく飛ばした結果、本宮の着場に着いた時には彼は1人だった。

「お疲れ様です、ルーク卿。お一人ですか?」

 エアリアルから降りたルークに若い竜騎士が驚いた様に尋ねてくる。

「いや、途中までラウルと一緒だったんだが、置いて来てしまった様だ。じきに着くだろう」

 ルークはそこで初めて、ラウルを置いて来た事に気付き、肩をすくめる。気が焦っている事もあって飛竜をねぎらい、括り付けていた荷を降ろすと後を係官に任せてすぐに屋内へ足を向ける。

 出迎えた若い竜騎士の話では少し前にマルモアからアスターが帰還したらしい。すぐにエドワルドの部屋に向かったと言っていたので、マルモアでもきっと何かあったに違いない。エドワルドに余計な心労を増やすのは本意ではないが、運んできたフォルビアの情報はどうしても伝えておかなければならなかった。

「ルークです。ただ今フォルビアから到着いたしました」

 持ってきた荷物を握り直し、気持ちを落ち着けてからエドワルドの私室の扉を叩いた。返答があり、扉を開けてくれたのはオルティスだった。奥の部屋では重鎮達が集まっているらしく、議論する声が聞こえてくる。

「失礼いたします」

 オルティスに促されて部屋に入ると、思った通りエドワルドを支える重鎮達が勢ぞろいしていた。一番奥の安楽椅子にエドワルドが座っているが、フォルビアへ発つ直前に見た時よりは幾分か顔色は良くなったように思える。しかし、他の重鎮達もだが皆一様に目の下へくっきりとした隈を作っていた。

「ルーク、新たな情報か?」

「はい」

 これだけ重鎮が揃っているという事は、この事も議題にしていたのだろう。ルークは持参した背嚢からヒースからの手紙を出すと、それをエドワルドに手渡した。正直、あまりいい内容では無い。

「……よくもここまで愚弄ぐろうしてくれる」

 手紙に目を通したエドワルドは吐き捨てるように呟いた。その手紙を一同は順に目を通し、一様に顔をしかめる。

「マリーリアとの婚約不履行の代償にフォルビアをよこせだと? 自分の立場が分かっているのか、あのバカは?」

 恋人に関わる内容に、アスターは思わず声を荒げる。

「ご一家への襲撃はワールウェイド公の指示により傭兵達が勝手に行い、自分は知らなかった。マリーリアと婚約が調っていたにもかかわらず、一方的に破談された。マリーリアが皇家に迎えられたのならば、その責任は皇家が償い、自分を改めてフォルビアの当主と認め、自治を約束しろだと?……恥を知れ」

「しかも自分が正当に選ばれた当主で、それを不満に思う竜騎士に武力で排斥されただと? ふざけるな!」

 普段穏やかなサントリナ公までもが激昂し、一同のやり場のない怒りがその場に蓄積されていく。その怒りの矛先はそんな条件を飲んだベルクにも向けられる。

 この訴えを神殿が正式に受けると約束し、それを引き換えにベルクはラグラスと交渉してロイス神官長を解放させた。そして更に腹立たしいことに、この審理が完了するまではラグラスの身柄は神殿側で預かる事となり、タランテラは手出しが出来なくなる。混乱を避けてどこに滞在するかは公表されないらしい。

「人命が優先とはいえ、こんな戯言を真に受けるとは……」

 手紙を握るブランドル公の手は怒りで震え、今にも破り捨てそうな剣幕である。ここにいる重鎮達は皆、ベルクがリネアリス公をそそのかしてエドワルドに縁談を持ちかけた事を知っている。その為に彼に対する不信感が募っていた。

 ルークも出立前にヒースから事情を聞かされていたのだが、話を聞いていると改めてはらわたが煮えくり返る思いが込み上げてくる。

「ロイス神官長にはお会いできたか?」

「ヒース卿もお会いにはなれなかったそうです。体調を崩されておいでなので、解放された場所の近くにある小神殿にて静養中で、ベルク準賢者個人の護衛が警護に当たっているそうです」

「警護は代わらなかったのか?」

「不要と仰られ、逆に妖魔の対策に専念するように言われたようです」

 ルークの答えにエドワルドはしばし考え込む。一方でルークの側に座っているアスターは硬い表情のまま別の懸念を口にする

「フォルビアにしてもマルモアにしてもマリーリアに関わる事ばかり責めて来るのは偶然だろうか?」

「マルモアで何かあったのですか?」

 顔を顰めるアスターに何も知らないルークが尋ねる。

「マルモアの正神殿がカーマインを返せと言っている。ハルベルト殿下と合意した文書が破棄され、グスタフが新たに返還要求に応じる内容の文書に署名していた。それは無効にするように交渉したのだが、全てが白紙撤回になると言われた」

「そんなバカな……」

「繁殖用の雌竜は神殿で飼育されるのが当然。だが、マリーリアとの相性はいいからこのままこちらで預からせて欲しいと言っても聞く耳を持たれなかった。もう成熟し、いつ発情期を迎えてもおかしくない状態だから、周囲に雄竜がいると混乱を招く恐れがあるそうだ。同行してくれた高神官も尽力してくれて、随分と粘ったがどうにもできなかった」

 討伐期に余計な混乱は避けたいのは確かで、神殿の言い分ももっともだと思うのが、どこか釈然としない。そのもどかしさにアスターは深いため息をついた。


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