2 晴天の霹靂2

 グロリアの葬儀から1ヶ月経ち、エドワルドもロベリアの総督職と第3騎士団の団長職を後任に託してフォルビアの経営に乗り出していた。彼は相変わらず忙しいものの、フロリエの体も癒え、2人はようやく新婚らしい生活を送れるようになっていた。

 ちなみに後任の総督はエドワルドも顔見知りの貴族が就き、団長には皇都からヒースが栄転してきた。そしてヒースの他に5名の竜騎士が新たに配属され、まだ正式な辞令は出ていないが、アスターやルークが抜けても充分補えるよう配慮されていた。

 住み慣れたこともあって一家はグロリアと住んでいた館で生活していたが、フォルビアの政治と騎士団の拠点は城に設けられている。

 今までは親族達が城を我が物顔で使っていたが、本来は領地に滞在する時の当主の住まいである。エドワルドは真っ先に城を親族達から取り返し、毎日館から通いながら仕事をこなす傍ら、目の不自由なフロリエでも住みやすい様に改修させていた。

「見えてきた。あれがフォルビア城だ」

「あれが……」

 グランシアードの眼を通じ、小高い丘の上に城壁に囲まれた石造りの城が見える。城の手前に街が広がり、街も妖魔から守るために石造りの壁で囲まれている。ロベリアほどではないにしても、フォルビアの中心だけあって大きな街だった。

「君の城だよ。今日からあそこで生活する」

「……」

 数日前に改修が済み、エドワルドは城への引越しを決意していた。グロリアがしたように、全てを担当者に任せて監督するだけならあの館に住んでいても良いが、今は全てにおいてエドワルドが目を通さねばならない。本腰を入れて改革するには、どうしてもフォルビアの中心である城にいる必要がある。それに一緒にいれば、留守中の妻子の心配もせずに済むのだ。最初フロリエは引越しに難色を示したものの、エドワルドにそう説得されて引っ越しに同意したのだ。

「もうあのお家には帰らないの?」

 ファルクレインに乗っているコリンシアが寂しそうに尋ねる。彼女は生まれたときからあの館で生活してきた為、愛着があるのであろう。

「心配いらないよ、コリン。父様のお仕事が落ち着いたら、あの館へも行けるよ」

「それなら良かった」

 ファルクレインの首をなでながらコリンシアは笑顔を見せる。

 今日エドワルドに従っているのは、アスターの他にルークと数名のフォルビアの騎士がいた。

 この一月の間に、エドワルドは親族達に無用な横やりを入れるのをやめるよう命じ、フォルビアの実務を取り仕切っている者達と面談を行い、彼らを改めて後任に据えたのだ。その事で彼等は一様にエドワルドがフォルビアを治めることを歓迎し、協力を約束してくれた。フロリエを直接護衛する竜騎士も、エドワルドが彼らの推薦した者の中から直接面談して決めていた。

「降りるぞ」

 城の着場にまずはエドワルドがグランシアードを降下させ、ファルクレインが続く。その後にオリガを乗せてきたエアリアルが降りて護衛の竜騎士たちも次々と降りてきた。

「お待ちいたしておりました」

 フォルビアの実務を取り仕切る主だったものと、当主の私生活を支える侍女や侍官達がずらりと並んで新しい当主であるフロリエを出迎えた。彼女は初めてこの城に入る為、これは言わば儀式の様なものである。エドワルドに優しくグランシアードの背から降ろされ、手を引かれて出迎えてくれた一同の前に立つ。

「出迎え、ありがとう」

 彼女はこの日の為に新調した若草色のドレスに身を包み、首から当主の証であるフォルビアの紋章入りのペンダントを下げている。耳には一年前にエドワルドから贈られた翡翠のイヤリングがゆれ、姿勢を正して立つ姿は凛としていて美しい。出迎えた者の中には彼女と初めて会う者もいるが、堂々と、そして上品な立ち居振る舞いに好印象を与えたようである。

 実のところ、フロリエは内心、逃げ出したいくらいに緊張していたのだが、それを表に出さないように懸命に努力していた。

「最初に与える印象が一番重要だ。ビクビクしていたら仕える者たちも不安に思い、いずれ離れていってしまうだろうが、胸を張っていれば彼らも安心して仕えてくれるだろう。大丈夫、私が側にいるから、堂々と振舞っていなさい」

 エドワルドにそう言われ、数日前からこの日の心構えから話しかける言葉、所作にいたるまで細かく指導してくれたのだ。その甲斐があってどうにかボロを出さずに済んだようだ。

「城内をご案内させていただきます」

 そう言って一歩前に出たのはオルティスだった。エドワルドは先代から仕えている彼を改めて家令に指名し、この度の引越しの采配を全て任せていた。城の改修が始まると、彼は一足先にこちらに移り、エドワルドの意を受けながら改修作業の監督も行った。そして今日、新たな当主夫妻を出迎えたのだ。

「お願いします」

 フロリエは心安い相手に表情を少し和らげる。そして夫に手を引かれて娘を伴い、彼の後に続いて新たな住まいとなる自分の城の中へ入っていった。




「疲れたかい?」

 その夜、寝室で夫婦2人きりになると、エドワルドは妻を労わる様に尋ねた。

「大丈夫」

 寝台の縁に座り、フロリエは首を振ってそう答えた。

 改修された城の中はエドワルドとオルティスがフロリエの為に隅々にまで細やかな配慮を施していた。特に毎日使うであろう居間や食堂等の主だった部屋は調度品の配置をあの館と同じにし、今2人がいる夫婦の部屋も全く同じ造りにしてくれたのだ。更には人の手を借りて歩く事の多い彼女の為に、廊下や階段も余計な装飾品は排除してあった。

 今日城を見て歩いた中で、彼女が一番気に入ったのは居間に面した中庭だった。花が咲き乱れ、広葉樹が涼しげな影を作る中、歩きやすいようにレンガで小道が作られていた。コリンシアもここを気に入り、午後はルルーと追いかけっこをして遊んでいた。

「ここまで気を使ってくれて、何とお礼を言っていいか……」

「気に入ってもらえてよかった。だが、本当に不都合な点は言ってくれ。すぐに改めさせるから」

「でも、これ以上贅沢を言ったら罰が当たるわ」

「遠慮する事は無い。君がこの城の女主なのだから」

 エドワルドはそう言うと、フロリエの隣に座って彼女を腕に抱き、そっと唇を重ねる。

「君に渡すものがある」

「何ですか?エド」

 急に改まって言われ、フロリエは首をかしげる。

「これは私の母が嫁いできた時に国から持参した物の一つだと聞いている。婚姻の証に受け取って欲しい」

 エドワルドは寝台の脇に置かれたテーブルの上から金糸で刺繍が施された豪華な巾着を取ると、それをフロリエに握らせる。今はルルーがいないので、彼女は手探りでその中身をとりだしてみる。

「これは……真珠?それにしても大きな……」

 中に入っていたのは、赤子の握りこぶしほどもある大粒の真珠だった。これほどの大きさでありながら、いびつにならずきれいな球形をしているのは珍しい。かなり貴重な品であるのは間違いない。

「身につけられるように加工して渡そうとも思ったが、何にするかは自分で決めたほうが使いやすいかと思い直した。首飾りでも髪飾りでも君が欲しいものにしよう」

「エド……」

「他人から見て、私たちの絆はこの組み紐のみだ。きちんとした式も結納すらしていない。君には申し訳ないと思っている」

 エドワルドは左腕に巻いている組み紐に触れ、自然とフロリエも自分のそれに手を添える。

 国主会議に参加するハルベルトを見送ったのは3日前の事だった。エドワルドは妻子と共に前の晩からロベリア入りし、兄と2人で飲み明かしていた。その折に2人の結婚に予想以上の反発があることを教えてもらっていた。その筆頭が姉のソフィアなのが頭の痛い問題だった。しかも妻に対して聞くに堪えない噂も広がっていると言う。当初はフォルビアの掃除が終わり次第皇都に行くつもりでいたが、妻を守る為にも兄の提案通り彼の帰国に合わせることを了承した。

 この事実を黙っていても良かったが、それだけではフォルビア公となった彼女の為にはならない。エドワルドは素直に兄から聞いた話をフロリエに打ち明けた。しかし、それを知ったフロリエは夫の心中をおもんばかって心を痛め、このまま自分がフォルビア公に収まって良いのか気に病み、最近はあまり笑顔を見せなくなっていた。その妻の苦悩をエドワルドは察し、何かと慰めようと努力していた。

「今は仕方の無い事だわ、エド」

「そうだな。秋には盛大に式を挙げよう。そうすればきっと分かっていただける」

「はい」

 エドワルドは改めて妻を抱きしめた。

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