第2章 タランテラの悪夢

1 晴天の霹靂1

 グロリアの葬儀から1ヶ月。タランテラは最も美しいと言われている花の季節を迎えていた。しかし、今年は雨が多く、騎士団の代名詞でもある群青色の空も顕現けんげんしていない。

 曇天の下、一台の壮麗な馬車が本宮北棟の玄関に到着する。おそらく皇都で最も有名であろう馬車は、揺れを極力抑えた設計をほどこされており、ハルベルトが妻セシーリアの為に特別にしつらえたものだった。

 皇家の紋章が描かれた扉が開き、侍官に手を取られてまずはアルメリアが降り立った。その侍官がもう1人に手を差し出そうとしたところで、奥から誰かが出てくる。その場にいた御者や侍官は、その人物に気付くと慌てて頭を下げた。

「お父様」

 中から出てきたのはハルベルトだった。娘のアルメリアを抱擁ほうようした後、彼は侍官に代わって馬車に残る女性に手を差し出す。その相手は彼が愛してやまない妻セシーリア。重ねられた彼女の手にうやうやしく口づけると、彼は細心の注意を払って彼女が馬車から降りるのに手を貸した。

「おかえり、どうだった?」

 ハルベルトの問いに2人は首を降る。彼は「そうか」と一言呟くと、元気のない2人をうながして屋内へと足を向けた。

 実はグロリアの葬儀後、フォルビアの新たな当主とその遺言を公表したところ、あまりにも突飛な内容に賛否が二分したのだ。皇都でも葬儀に参列したハルベルト達は賛同の意思表示を兼ね、フォルビアから戻るなり祝いの品を贈ったのだが、他の2大公は難色を示していた。

 中でもエドワルドの姉ソフィアは激怒し、結婚は無効だと言って遺言の公開に立ち会ったハルベルトだけでなく夫のカールにも猛然と抗議したのだ。ソフィアがそんな態度だからか、フロリエに関して聞くに堪えない噂も出回っている。実際に会ったことのある者ならば真っ赤な嘘だと分かる内容なのだが、憶測だけで広まった噂ほど厄介なものはない。その噂を打ち消すためにはどうしてもソフィアの協力が不可欠だった。

 ハルベルトもカールもどうにか説得しようと試みたのだが聞く耳を持たず、現在は皇都郊外の別荘に引きこもってしまっていた。今、サントリナ大公家ではその事が発端となり、夫婦間でもめていて離婚の危機とすら噂されている。

 この状況を打破しようと、今日はセシーリアとアルメリアがソフィアを訪ねたのだが、彼女達の様子を見る限り芳しい成果は得られなかったらしい。




 一同が向かったのは1階にあるアロンの部屋。昨年に比べると格段に元気になったアロンが彼らの到着を待っていた。

「ただいま戻りました」

 セシーリアとアルメリアがアロンに帰還の挨拶をする。彼もまた、ソフィアの態度に心を痛め、今日の成果を待ちわびていたのだ。

「会えたかのう?」

「申し訳ありません、お義父様。ソフィア様にお会いすることは出来ませんでした」

「そうか……」

 セシーリアとアルメリアが頭を下げると、アロンは2人に労わりの言葉をかけて座るように促した。ハルベルトも席に座ると、重苦しい空気の中セシーリアが状況を説明する。

「丁重にもてなして頂いたのですが、結局、ソフィア様にお会いすることは出来ませんでした」

 ハルベルトも今まで幾度か姉に会いたい旨を伝えてきたのだが、なんだかんだ理由を付けて会うのを断られていた。さすがにセシーリアには門前払いしないだろうと送り出したのだが、徒労に終わったことになる。

「ちょうどオスカーも来ていたのですが、彼も会ってもらえなかったと言っていました」

「オスカーもか?」

 オスカーはソフィアの長男でサントリナ公家の跡取りだった。成人して竜騎士となった今でも末っ子の彼には甘いのだが、そのオスカーまで拒まれているとは思わなかった。

 最初はただ自分が選んだ相手をエドワルドが選ばなかったばかりか何の相談もなく結婚を決めてしまったことにねているのだろうと思っていた。しばらく放っておけば気持ちも落ち着くだろうと静観していたのだが、事態は余計にこじれてしまっている。

「参ったな……」

 ハルベルトは礎の里で行われる国主会議に参加するため、明日皇都を発つことになっている。この折には急使を除いて各国からの飛竜は乗り入れ禁止となる為、船で移動しなければならなかった。

 ホリィ内海に面した礎の里へ船で向かうには、ロベリアから外海を一旦南下し、大陸最南に位置する海峡を抜けてからまた北上しなければならない。天候にもよるが半月はかかる。あちらで1か月滞在し、また同じ行程で戻るとなると、合わせて2か月留守することになる。ハルベルトとしては今日、姉と和解する何らかの切掛けが欲しかったところであるが、それが見事に裏切られた形となった。

「エドワルドはいつ来るのか?」

 黙って話を聞いていたアロンが口を挟む。

「フォルビアの掃除が終わり次第と言っていましたが、まだ時間はかかりそうですね」

 フォルビアの腐敗は思った以上に進行していた。エドワルドの手腕をもってしても一朝一夕では済まないだろう。それが片付く頃にはソフィアの態度も軟化し、フロリエに関する噂も収束していることを願うばかりだ。

「今の状態で彼等がこちらに来てしまうと、フロリエ嬢が辛い思いをすることになるだろう。コリンシアもひどく傷つくに違いない。それだけは避けねばならん」

 ソフィアが反対していることは既に知らせてある。おそらく、心優しい義妹は心を痛めているに違いない。

「国主会議が終わって帰ってきた時に一緒に皇都入りした方が良さそうだな」

「そうして下さいませ」

 ハルベルトが出した結論にセシーリアも賛同し、アロンもうなずいている。叔母となる人に早く会いたいと思っていたアルメリアは少しがっかりするが、ふと、思い出したことを口にする。

「そういえば、オスカーの話では足の治療に貢献した医者だけは無条件で招き入れているそうです」

 アルメリアのもたらした情報にハルベルトは身を乗り出す。

「その医者の名前は?」

「ローグナーだったかしら。あちらの侍女方からも聞きましたが、地方から出ていらっしゃったそうです。薬の調合に長けていらっしゃるとうかがいました」

「ローグナー? とにかくその医者にも協力してもらうか」

 サントリナ家に出入りできるほどの医者ならば、労せずに見つかるだろう。ハルベルトは少しだけ光明を見いだせた気がして安堵する。

「私も、またご都合を伺って会いに行ってみます」

「分かった。そうしてくれ」

 セシーリアの申し出にハルベルトも頷いて了承する。ともかく意地を張りすぎて歩みよる切掛けを失っているだけならばさっさと妥協してもらいたい。ハルベルトは心の中で姉に盛大な悪態をついた。

 長期にわたって国を開ける為、ハルベルトにはまだ仕事が残っている。もう少しアロンと過ごすと言う妻子を残し、彼は席を立った。




 翌早朝、ハルベルトは船の準備を整えているロベリアに向けて出立した。護衛の責任者は昨年の武術試合で優勝したエルフレートが拝命し、第1騎士団から選抜された竜騎士がそれに従う。

 この時期であれば速さに自信のある竜騎士であれば夕刻にはロベリアに着く。無事にロベリアに到着したハルベルトはそこで一泊し、翌日わざわざ会いに来てくれた弟一家に見送られて礎の里へ向かった。


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