3 晴天の霹靂3

『薄暗いから気をつけて』

 彼女が成人を迎えたその日の夜、養父母は見せたいものがあると彼女を城の奥へと案内した。普段は立ち入りを禁じられた一角で、手燭の灯りを頼りに薄暗い廊下を歩く。

『ここだ』

 養父がその部屋の鍵を開ける。肩にとまる小竜が不安げに小さく鳴くのを彼女は頭を撫でてなだめた。

『ここは?』

 ぼんやりと手燭の灯りに映し出されたのは古びた調度が置かれた部屋だった。それらの調度品の装飾から、女性が使っていたものだと分かる。

『ここは私の母親が使っていた部屋だ。正しくは叔母だが』

 養父はそう言うと、彼女をさらに奥の部屋へと連れて行く。そこは中央に天蓋付きの寝台が置かれた寝室であった。全て当時のままなのであろう、少し埃っぽいにおいがする。

『これを見せたいのだ』

 養父は壁にかけてある大きな3枚の絵を指差した。養母は絵が良く見えるように手燭を近づけてくれる。いずれも等身大に描かれた肖像画だった。

 一番目を引いたのは中央に飾られた竜騎士の絵だった。飾り気の無い黒い装具に身を包んだ、黒髪の男の人だった。肖像画のはずなのに、何故か顔は正面から描かれていない。うつむき加減の横顔は何故か寂しそうに見えた。

 左側の絵は正装した女性が描かれていた。長い黒髪を軽く結い、優しく微笑んでいるが、彼女もまた寂しそうに見える。

 最後は少年の絵だった。見たところ、絵の女性に良く似ていて、彼もきれいな黒い髪をしている。ただ、体が弱いのだろうか、女性と見紛うほどに線が細い。何となく良く見知った人に顔が似ている。

『左の女性が先代の当主でもあった私の母だ。中央の竜騎士は彼女の恋人だった人だ。故あって夫とは認めてもらえなかったそうだが』

 養父の説明に彼女は首をかしげるが、どうやら今はその話まではしてはもらえないようだ。彼は少年の絵の側に彼女を連れて行く。

『2人の間に生まれたのがこの絵に描かれた人物だ。私の従弟でもあり、弟でもある。そして……』

 この時、養父は彼女が驚くような事を言ったはずなのだが、それが何だったか良く思い出せない……。




 城へ引っ越した数日後、1人の客がフロリエを尋ねて来た。赤褐色の飛竜の背から降り、騎竜帽を脱ぐと、見事なプラチナブロンドの髪が風にたなびく。

「ようこそおいで下さいました、マリーリア卿」

「いらっしゃい、お姉ちゃん」

 フロリエは久しぶりに会う竜騎士を娘と着場で出迎えた。

「わざわざのお出迎えありがとうございます」

 駆け寄ってきたコリンシアを軽く抱きしめると、マリーリアは着場まで出迎えてくれた城の女主にお辞儀する。

「遠路お疲れでございましょう。お茶をご用意しておりますから、こちらへどうぞ」

「ありがとう。貴女のお茶を楽しみにして来ました」

 2人はそう言って挨拶を済ませると、フロリエの案内で中庭に面した居間へ移動する。既にお茶の用意が整えられ、マリーリアに席を勧めると、フロリエは早速お茶を淹れて差し出す。

「さあ、どうぞ」

「うん、この味。久しぶりだわ」

 マリーリアは早速一口飲むと、嬉しそうな表情となる。エドワルドの頼みで、彼の留守中に館を訪れるようになった彼女もフロリエが淹れるお茶のファンになっていた。ロベリアに配属当初はあれだけ反発していた彼女も、ジーンとオリガを加えた4人で尽きることのない会話を楽しむようになっていた。

「ここに座っていると、あの館に来ている気分になるわね」

「ええ。エドが気を使ってくれて、家具の配置を館と同じにしてくれて……とても助かっているわ」

 率直なマリーリアの感想にフロリエは微笑んで答える。彼女はここへ移ることに不安を感じていたのが嘘の様に、この数日間ですっかりこの城になじんでいた。

 互いに近況を語り合いながらお茶とお菓子を味わっていたが、大人しく座っていることに飽きたコリンシアに誘われて中庭を散策し始める。夏を思わせる午後の日差しは眩しく、大人2人は木陰を選ぶように中庭に作られた小道を進む。

「殿下はお出かけになられているのですか?」

「ええ。西部で何か揉め事があったとかで、アスター卿と仲裁に出かけられました。夕方にはお戻りになると思います」

 ため息混じりに答えると、フロリエは少し俯く。

「相変わらずお忙しいみたいですね」

「自分では何も出来ないのがとても心苦しい。本来は私の務めですのに……」

「深く気にしすぎる必要はないかと思います」

 マリーリアはそこで一旦言葉を切ると、中庭に置かれたベンチの一つにフロリエを座らせた。ルルーが遊びたくて落ちつかず、フロリエが同調出来ずに歩調を乱していたからだった。

「ありがとう。遊んでいらっしゃい、ルルー」

 フロリエはマリーリアの気遣いに感謝すると、肩に乗せていたルルーを解放する。小竜は嬉しそうに一声鳴くと、蝶を追いかけて遊んでいるコリンシアの元へ飛んでいく。

「私も正直、政は詳しくありませんが、エドワルド殿下はそれに精通しておられます。グロリア様がお亡くなりになったばかりで、混乱している今のフォルビアを治めるのにご主人を頼っても不自然な事ではありません。きっとグロリア様もそうお考えになったからこそ、あのようなご遺言を残されたのだと思います」

 マリーリアは中庭で遊んでいるコリンシアに一度目をやると、更に続ける。

「それに、次代のフォルビア女大公を養育すると言うのは、これ以上は無い大切な仕事ではありませんか。その事は誰もが認める貴女の功績だと思うのですが?」

 彼女の言葉にフロリエは思わず目頭が熱くなり、手でそっと抑える。

「自信をお持ち下さい。貴女は立派なフォルビア大公です」

「…ありがとう」

 フロリエはようやく感謝の言葉を口にする。後は涙があふれてきて言葉にならなかった。




 暗くなる頃になってようやくエドワルドが城へ帰ってきた。フォルビアの西部は未だに親族達の影響が色濃く残っており、エドワルドの手法をなかなか受け入れてはくれない。新しく派遣した責任者と地元の有力者との間で起こったいさかいを仲裁するのに思ったよりも手間取ってしまい、アスター共々随分疲れた様子である。

「お帰りなさいませ」

「父様、お帰りなさい」

 出迎えてくれた妻と娘を抱きしめ、エドワルドはそれぞれの頬にキスをして改めて「ただいま」と答えた。

「わざわざ寄ってくれたというのに、留守にしていてすまない」

 愛する家族への挨拶が済むと、彼はようやく妻子から一歩下がって出迎えてくれた客人に頭を下げる。マリーリアはかつての上司に微笑みながら首を振る。

「いえ、お忙しい中へお邪魔して、かえって申し訳ありませんでした」

「それは気にしなくていい。何ももてなしは出来ないが、それでも良かったら2,3日ゆっくりしていってくれ」

 エドワルドは妻子を伴い、客であるマリーリアを晩餐の支度が整っている食堂へ案内する。先ずは客を席に案内し、続いて妻と娘を座らせ、自分は最後に席につく。食前酒で乾杯し、ささやかな晩餐会が始まった。

「それほど長くは滞在できませんが、奥方様にも勧められたので今夜は泊めて頂く事にしました。コリン様にも熱心に勧められましたので」

 マリーリアはコリンシアに一度微笑みかけると、エドワルドにそう答えた。既にフロリエがオルティスに命じて客室の準備は整えてある。

「お姉ちゃんがね、コリンといっぱい遊んでくれたの」

 コリンシアは嬉しそうに昼間の事を報告する。たくさん遊んでおなかが空いたらしく、いつもより食が進んでいる様子である。その横でルルーが好物の甘瓜を見つけて夢中でかぶりついていた。

「そうか、良かったな」

 コリンシアの微笑ましい様子に目を細めながら、エドワルドも切り分けた肉を口に運ぶ。フォルビアを管理するようになってからの彼にとっては、家族と過ごすこの時間が何よりのいやしとなっていた。




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