96 その想いの行方2

 翌日はバセットが往診に来た。冬至を過ぎると討伐要請も減り、比較的余裕があるのか、今日彼を連れて来たのはルークだった。妖魔の巣を破壊できたのも一つの要因かもしれない。

 久しぶりにルークと会えたオリガは、嬉しさのあまりその場で泣き出してしまい、それを困った様に彼はなだめていた。

「オリガは本当に心配していたからなぁ……」

 エドワルドの寝室で、右肩の包帯を解いてもらいながらエドワルドは苦笑する。

「日頃からきたえておりますし、若いですからな。西の砦からケビンが応援に来ておりましたし、彼もゆっくりと休めたおかげで怪我の治りも早かったようです」

 バセットが薬を用意しながら答える。グランシアードを散歩がてらに総督府と往復させているので、討伐の状況はアスターからマメに手紙を貰って把握している。ルークからも短いながらも手紙が来る事があるので、オリガに渡してやっていたのだが、彼女としては本人に会えてやっと安心できたのだろう。

「さて、殿下の方はどうでしょうかな?」

 フロリエによって包帯と当て布が外されて患部が露わになる。傷口は塞がったものの、まだ再生した皮膚は薄く、無理に動かしたり強く押したりすると痛みがある。右手にしびれも若干残っていて、細かいものをつかむのが難しい。

「まだ無理は禁物ですな。ただ、指先を動かす努力はなさってください。何か小さなまりのようなものを握る事から始めてみてはいかがですかな?」

「分かった」

「飲酒も控えて下さいよ」

「う……」

 時折、我慢できなくなってこっそり部屋で飲んでいるのがばれているらしい。バセットは笑いながら患部を消毒して軟膏なんこうを塗り込み、当て布をして包帯を巻き始める。フロリエは一安心といった様子で2人のやり取りをながめている。

「あと、女大公様ですが、少しお疲れが出ているようです。用心なさってください」

「叔母上が?」

「さよう。心労が重なっておられる故、持病が悪化しておられます。ご存知とは思いますが、次に大きな発作が起きれば命に係わります。気丈な方でございますから、ご自分から弱みを見せるような真似はしないでしょう。ですから、それとなく気を付けて下さい」

 エドワルドを診察する前に、グロリアの診察を済ませていたバセットが声を潜めて言う。彼女がここまで来る事は無いが、念を入れての事だろう。

「そんなに良くないのですか?」

 今まで黙って話を聞いていたフロリエが口をはさむ。

「正直、楽観はできないかと。色々とございました故、かなりご負担がかかっておられるようです。オルティスにも伝えて無理をなさらないよう協力なさってください」

 包帯を巻き終えたバセットは道具を片付け始める。フロリエはエドワルドの着替えを手伝い、それが済むと2人にお茶を用意する。

「女大公様にもご提案申し上げたのですが、弟子の1人をこちらへ呼ぼうと思っております。やはりお側に医師が控えておった方がよろしいかと思いまして、ロベリア北砦に駐留している女性医師を呼んでおります。情にあつい性格ゆえ、リューグナーの二の舞にはならないと思います」

 その後の調べでリューグナーは、薬の横流しだけでなく、情報料と引き換えにラグラス達フォルビアの有力者へグロリアの動向を流していたらしい。夏の誘拐騒ぎの折も彼が情報提供していたという見方が強まっている。

「そうだな。その方が助かる」

 エドワルドは頷くと、フロリエの入れたお茶を飲む。この後はルークがもってきた書類に目を通す予定なので、バセットも長居はせずに席を立った。

「まあ、顔を揃えられた時にはなるべく明るい話題を出すようにしてください。病は気からとも申しますからの。では、失礼いたします」

 バセットはお茶を飲み干すと早々に部屋を出ていく。一時期よりは余裕があるとはいえ、まだまだ油断できない状態なので竜騎士を長時間引き留めておくわけにはいかない。恋人と語らっているルークには悪いが、すぐに総督府へ戻らなければならない。

 フロリエも汚れ物をまとめて入れた籠を持つと、エドワルドの頭を下げて後に続いた。彼は残りのお茶を飲み干すと、窓際の机に向かって書類に目を通し始めた。




 書類の大半に目を通して署名を済ませたエドワルドは、一息入れるためにお茶の用意を頼んだ。ふと、窓の外を見ると、また雪が静かに降り積もっている。伸びをして新鮮な空気を吸う為に窓からバルコニーに出てみた。少し寒いが気持ちよく、しばらくその場で暮れゆく外の景色を眺めていた。

「殿下、お風邪を召されます」

 慌てたような声に振り向くと、フロリエが立っていた。どうやらお茶を用意してきたものの、エドワルドの姿が見当たらずに探していたようだ。慌てて中から綿の入った上着を持って出てくる。

「昨日もご注意申し上げたのに……」

 彼女は心配そうに近寄ると、頭一つは優に違う彼の肩に上着を着せ掛ける。彼女の必死な姿に思わず笑みがこぼれる。

「わかった、わかった」

 上着のボタンを彼女は留めようとしているが、かじかんでうまく指が動かせないでいる。エドワルドはその手を左手で掴んでみると、氷のように冷えていた。

「殿下?」

「随分冷えている」

 エドワルドはその手を自分の口元に近づけてキスをする。触って気付いたが、その手は荒れていて、あかぎれとなっているところもある。自分の看病をするのにも随分と水を使っていた。それで手が荒れたかと思うと、一層彼女が愛おしく感じる。

「あ……」

「君には感謝している」

「いえ……私の方こそ……」

 エドワルドに見つめられ、フロリエは恥ずかしくなってうつむく。

「何にでも一生懸命な君が好きだ」

「殿下?」

 フロリエは驚いて顔を上げる。するとエドワルドは彼女のあごに左手をえてそっと唇を重ねる。

「!」

 フロリエはエドワルドの手を振り払い、彼の側から離れた。

「……お許しください」

「フロリエ」

「お気持ちを混同なさってはいけません」

 エドワルドをいさめる声は震えている。

「本気だ。コリンも望んでいる事だ」

「それ以上は仰らないでください」

「何故?」

「私は……私は……」

 彼が近づこうとすると、彼女は首を振って後ずさりする。

「私は君の事が好きだ。気持ちを聞かせてくれないか?」

「だめです」

 彼女はそれだけ言うと、逃げるようにバルコニーから部屋へ戻っていった。

「フロリエ!」

 彼は後を追ったが、既に彼女は部屋からも出て行った後だった。確かに性急すぎたかもしれないが、気付いてしまった自分の気持ちをこれ以上抑える事が出来なかった。エドワルドは大きくため息をついた。

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