95 その想いの行方1

 エドワルドが負傷して1月余り経った。フロリエによる献身的な看護により、受けた傷もだいぶ回復して動き回れるようになっていた。彼は復帰を目指して落ちた体力を回復すため、雪の積もった庭を娘と共に散策するのを日課にしていた。

「父様見て!」

 コリンシアが指した先を見ると、曇った空を背にして黒い飛竜が飛んでくるのが見えた。グランシアードも毎日、運動不足解消のために総督府と館を往復している。アスターからの報告書によると、討伐に行き会った時には、飛竜は率先して戦闘に参加し、そして時には番に会いにフォルビア正神殿にまで足を延ばしているらしい。

「帰って来たな。表に回るか?」

「うん!」

 コリンシアが返事をすると、2人は手を繋いで庭を横切っていく。積もった雪が所々凍っていて、滑り止めがついたブーツを履いていても滑りそうになる。コリンシアはそのすべる感覚が楽しいらしく、ワザと凍ったところを選んで歩く。

「面白いー」

「ほら、転ぶぞ」

 エドワルドは左手で娘の手を握っていたが、娘がバランスを崩しそうになるたびにつられて転びそうになる。それでもどうにか転ばずに玄関前に出ると、ちょうどグランシアードが降りてきたところだった。

「おかえり、グランシアード」

 エドワルドの姿を見て、黒い飛竜は嬉しそうに近寄ってくる。

「楽しかったか?」

 グランシアードは嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らす。エドワルドが長く寝込んでいたので、こうして会えるようになったのが嬉しいらしい。手袋を外してひとしきり頭を撫でてやってから、娘と共に厩舎へ連れて行く。

「あ、すみません、殿下」

 厩舎ではティムがグランシアードの寝藁ねわらを取り換えたところだった。

「いや、礼を言うのはこっちだ」

「これが仕事ですから」

 少年はニコニコしながらグランシアードの防寒具を手慣れた様子で外していく。エドワルドは右腕がまだ思うように動かせない為、総督府から送ってきた書類の束が入った荷物を受け取ると、後はティムに任せた。その間、コリンシアは敷いたばかりの寝藁に寝ころんで遊んでいる。

「グランシアードが寝る前に汚れてしまうぞ」

「グランシアード、いいでしょ?」

 父親に注意されると、コリンシアは飛竜に尋ねる。彼はずっと機嫌よくゴロゴロと喉を鳴らしていた。

「こちらにおられましたか」

 そこへフロリエが厩舎に姿を現す。彼女が付きっきりで看病してくれることは無くなったので、エドワルドはこうして姿を見かけるのが嬉しくて仕方がない。

「ママ・フロリエ、楽しいよ」

 藁の中で寝転がっているコリンシアがフロリエも誘う。

「藁が少なくなって、グランシアードがゆっくり眠れませんよ」

「そうかな?」

 コリンシアが暴れたおかげで藁が辺りに飛び散っている。

「困るのはグランシアードだけではありません。折角ティムが綺麗にしたのに、またお掃除をしないといけません」

「あ……」

 コリンシアはフロリエに指摘され、外套がいとうに藁屑をたくさんつけたまま飛竜の寝床から出てきた。

「大丈夫ですよ、姫様。掃除をしておきますから」

 ティムがグランシアードの防寒具を片付け、ほうきを手にして戻ってきた。フロリエはコリンシアの外套についた藁屑を手で払い落す。

「コリンも少し手伝いなさい」

「はーい」

 父親に言われ、姫君はティムと一緒に散らかった藁を片付け始める。今度はその様子を楽しそうに見ているエドワルドにフロリエが注意する。

「殿下、あまり薄着でおられますと、今度はお風邪を召されます」

「この程度の寒さは気にならない。今日はまだ暖かい方だ」

 困った様に表情を浮かべるフロリエにエドワルドは笑みを浮かべそうになる。とにかくかまってもらえるのが嬉しいのだ。

「お体はまだ弱っておられます」

「心配性だな」

 フロリエは自分の肩にかけていたストールを外すと、細長くたたんでエドワルドの首に巻き付ける。彼女が身にまとう香りがわずかに鼻孔をくすぐる。彼は笑って彼女の好きにさせた。

「終わった」

 そうしている間に散らかった藁の掃除が終了していた。

「はい、お疲れ様。それではおやつにしましょう」

「はーい」

 フロリエの言葉にコリンシアは喜んで彼女の手を取り厩舎を出て行く。

「走ると転びますよ」

 コリンシアに手を引かれながらフロリエは苦笑する。その後ろ姿をエドワルドはグランシアードの頭を撫でながらぼんやりと見送った。

「殿下?」

 動こうとしないエドワルドをティムは不思議に思って声をかける。彼は驚いたように振り向く。

「ああ、何だ?」

「いえ、行かれないのですか?」

「そうだな、お茶でも飲んでこよう」

 最後にグランシアードの頭をポンポン叩くと、エドワルドも厩舎を出ていく。服についた藁屑を払い、脱いだ外套と書類をオルティスに頼んで部屋に運ばせ、手を洗ってから居間に行くと、コリンシアは既におやつの焼き菓子にかぶりついていた。今日の焼き菓子もオリガのお手製である。

「おや、遅かったね」

 エドワルドが入っていくと、茶器をテーブルに戻したグロリアが声をかける。

「いえ、グランシアードをかまっていましたので」

 エドワルドもいつもの席に座り、フロリエがれてくれたお茶を口にする。向かいに座る彼女は、隣に座るコリンシアに何かと世話をやいており、その光景はいつ見ても微笑ましく感じる。

「父様、これ、凄くおいしい」

 口の周りに食べかすをつけたまま、コリンシアがおかわりをしている。その傍らではルルーが干し果物に夢中でかぶりついていた。エドワルドも焼き菓子を1つ取り分けてもらい、お茶と共に味わう。

「そう言えばエドワルド、皇都より見舞いの文が届いておったが、目は通したのかえ?」

 グロリアがふと思い出したように話を振る。エドワルドの負傷は使い竜に運ばれた伝文によって伝えられていた。国主アロンやハルベルト、ソフィアといった身内からだけでなく、彼自身も顔を知らないような貴族や竜騎士からもたくさんの見舞いの文が届いていた。もちろん、ロベリアやフォルビア、そしてその近郊からも多数届き、彼の部屋の隅にはそういった文を入れるかごを用意してあるのだが既に山盛りとなっている。

「半分は目を通しました」

「おや、まだ半分かえ?」

「半分は見舞いではなく見合いですね」

 エドワルドは少しうんざりした様子で答える。長く付き合っていたエルデネートと別れたことが知れ渡っており、本気で彼が結婚相手を探していると噂されているらしい。近しい縁者に若い娘を持つ有力者はこぞって娘の名を書き連ねた文……時には絵姿も入れて送ってきているのだ。

「おやおや……ご苦労な事じゃの」

 グロリアには他人事なので面白がっているが、エドワルドは大きくため息をついた。

「ねぇ、ママ・フロリエ、見合いって何?」

 コリンシアが不思議そうに傍らにいる彼女を見上げる。

「コリンに新しい母親を作ってはどうかと皆が勧めているのだよ」

 フロリエが答えに詰まっていると、横からエドワルドが説明する。どうやらそれで納得できたらしく、小さな姫君は大きく頷く。

「だったらコリンは、ママ・フロリエがお母さんになってほしい」

 お茶を飲みかけていたエドワルドは思いっきりむせ返り、フロリエは真っ赤になって慌てる。

「コリン様、それは……。殿下、大丈夫ですか?」

 フロリエは内心の動揺を隠すために立ち上がると、咳き込んでいるエドワルドの側に行って背中をさする。そしてオルティスが乾いた布を持って来てくれたので、それで零したお茶を拭くが、エドワルドの服には染みが出来てしまった。

「大丈夫か? エドワルド」

「はい……どうにか……」

 グロリアが心配そうに声をかける。エドワルドはようやく咳が治まり、オルティスが差し出してくれた水でどうにか喉を潤す。

「コリン、いけないこと言ったの?」

「そうじゃないよ」

 安心させるために笑いかけるが、少しひきつっている。

「いいですか、コリン様。コリン様のお母様、つまりお父上の奥方になられるお方はしっかりとした後ろ盾のある、皇家の一員に相応しい方でないと勤まりません。もちろん、お父上のお気持ちも大事です」

 フロリエがコリンシアの側に戻って諭すように話しかける。

「父様はママ・フロリエといると楽しそうだよ。それではダメなの?」

 エドワルドはまたむせそうになるが、どうにかこらえる。

「私では無理でございます」

 フロリエは少し寂しげに微笑む。

「コリンや、フロリエを困らせてはならぬ」

 更に何かコリンシアが言おうとするのをグロリアが窘める。

「はーい」

 姫君は少し不服そうだが、これ以上質問攻めにするのをあきらめた。

「ちょっと、着替えてまいります」

 会話が落ち着いたところでエドワルドは席を立つ。コリンシアの言葉が引き金になり、フロリエを意識しすぎて気まずくなりそうだった。とにかく頭を冷やそうと、逃げるように居間を後にしたのだった。

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