89 責任の在りか2

「……マリーリア…来たのか?」

 寝ているエドワルドに気を使って小声で話をしていたが起こしてしまったようだ。まだ体を起こせない彼は顔をこちらに向けている。

「起こしてしまい、申し訳ありません」

 マリーリアは慌てて頭を下げる。フロリエはエドワルドの側に行き、彼の額に当てていた布を水に浸して絞り、汗をぬぐう。

「構わない……。水をくれるか?」

 エドワルドの要望に、フロリエはさっと水差しから器に水を注ぎ、彼の頭を優しく起こして口に当てる。発熱の為に喉が渇くのだろう、彼はすぐにそれを飲み干した。

「マリーリアと話がしたい。少し外してもらえるか?」

 優しく枕に頭を戻し、こぼれた水を拭いてくれるフロリエにエドワルドは頼む。

「かしこまりました」

 フロリエは頭を下げると、静かに部屋を出て行った。

「殿下、申し訳ありませんでした」

 フロリエが出ていくと、マリーリアは寝台の脇にひざまずく。

「アスターに怒られたか?」

「はい」

 左の頬は既にれは引いているが、あの痛みは忘れられない。

「あいつも案外短気だからな。容赦がなかっただろう?」

「……はい」

「手を上げたか?」

 うつむくマリーリアにエドワルドは一つため息をつく。

「……今回の件、根本的な問題は何かわかるか?」

 寝台に横たわったまま、未だに自力で体を起こすこともできないエドワルドは天井を見上げている。

「……私が団長である殿下の命令を聞かなかった事です」

 マリーリアは震える声で答え、俯く。あの時自制していれば、カーマインも怖い思いをさせずに済んだのだ。

「違うな」

「……え?」

「個人云々の話ではない。皇都を守る第1騎士団と違い、地方は竜騎士の比重が少ない。その分、騎馬兵団に頼らざるを得ないが、昔はここまで少なくなかった」

 しゃべるだけでも疲れるのだろう。エドワルドは一度言葉を切ると、大きく息を吐いた。

「飛竜は国の財産故、わが国では本来、竜騎士は国に仕えるものだった。各貴族の所領も騎士団の分隊が駐留して妖魔に備え、領主が直に竜騎士を雇う事は無かった。

 領内に竜騎士を駐留させる……それは領主の不正を抑える役割もあったからだ。だが、それをくつがえした者がいる。誰か分かるか?」

 エドワルドに問われ、マリーリアはまさかと思いながらも、心当たりのある人物の名を上げる。

「父……ワールウェイド公ですね?」

「そうだ」

 エドワルドははっきりと肯定する。

「叔母上が政治の表舞台から引いた後から、彼は少しずつ巧みに自分が思うようにまつりごとを動かしてきた。竜騎士に関する事も最初は上限を設け、徐々にその数を増やしていった。当然、竜騎士も報酬が良ければそちらに移る。騎士団に所属する竜騎士が減っていくのは当然だろう」

 口調が苦々しくなるのは当然で、そのとばっちりを一番受けているのが地方の騎士団を束ねる彼等だからだ。

「まだ、協力しあって討伐できるならいい。だが、領主達は自領で雇った竜騎士が領外の討伐に参加させるのを拒む。結局は自分達が良ければそれでいいのだ」

「……」

 疲れたのだろう、エドワルドは言葉をきると目を閉じる。そのまま眠ってしまうのではないかと思い、もう帰ろうかと思い始めた頃に彼は再び目を開けた。

「今回の巣に関しても我等にもう少し余力があれば、あそこまで大きくなる前に除去できたはずだ。それに……討伐に不慣れな君等を前線に出すことも無かった」

「殿下……」

「マリーリア」

「はい」

 改めて名前を呼ばれ、跪いたまま顔を上げると、エドワルドは首を巡らして彼女をじっと見つめる。

「カーマインは繁殖用だろう?」

「……どうして?」

 マリーリアは血の気が引いていくのを感じた。

「竜騎士は飛竜の専門家でもある。気付くなと言う方が無理だろう」

「……」

「当然、兄上もご存知だ」

「そんな……」

 マリーリアはパートナーを失うかもしれない事態にペタリとその場に座り込む。

「……心配するな。カーマインを取り上げるような真似はしない。前例もあるし、その辺はどうにかなるだろうと秋口に届いた兄上の手紙にも書いてあった」

「でも……」

 父親とのあの賭けがある。カーマインが成熟するまでさほど時間は残されておらず、今の所、マリーリアが上級騎士になれる見込みは無い。むしろ今回の事でその望みは完全に断たれた。

 背筋がゾッとしてくる。このままでは自分の意思とは無関係にカーマインと引き離され、歳の離れた相手に嫁がされてしまう。

「……いろいろ相談にのってやりたいが、今日はもうさすがに……」

 長時間話をして疲れたのだろう、エドワルドは軽く咳をする。

「あ、すみません、気付かなくて……」

 咳が収まると、先程のフロリエの見よう見まねで水差しの水を器に移し、エドワルドの頭を少し起こして水を飲ませる。慣れないせいか、こぼさないように飲ませるのが難しい。

「大丈夫ですか?」

「ああ。すまない」

 まだ熱に苦しんでいるのが彼の体に触れると改めてわかる。できるだけ優しく枕に彼の頭を戻そうとするが、手慣れた人のようにはいかない。傷に響いたらしく、彼は少し苦しげにうめいた。

「すみません……」

「大丈夫だ」

 マリーリアはエドワルドの額に浮かぶ汗をずり落ちていた布でふき、そして桶の水ですすぐと軽く絞って彼の額に当てた。

「……1人で抱え込むな。君がグスタフに何と言われたかまでは分からないが、アスターでもジーンにでも相談するといい」

「殿下……」

 マリーリアは逡巡しゅんじゅんする。元々が公平な勝負で無い事は分かっていたが、本当にいいのだろうか?

「少し疲れた……。眠らせてもらう」

「はい……それでは失礼いたします」

 エドワルドが目を閉じたので、マリーリアは頭を下げると静かに寝室を後にした。

 カーマインの事をエドワルドだけでなくハルベルトまで気にかけてくれていた事実に、驚きながらも幾分気持ちが楽になった。いつかは抱えている全ての問題を曝け出すことが出来るだろうか?




「マリーリア卿」

 物思いにふけりながら階段を降りようとしたところで、オリガに呼び止められた。

ちょうど、コリンシアの部屋から出て来たらしい。マリーリアはルークから手紙を預かっていたのを思い出す。

「オリガさん、ちょうど良かった。ルーク卿から預かりものです」

「彼は……大丈夫なのですか?」

 マリーリアから手紙を受け取りながら、オリガは心配そうに尋ねる。

「ええ。昨日から討伐に復帰しています。あのハーブティーは出がらしになるまで飲んでいましたよ」

 オリガはほんのりと頬を染めて手紙を胸に抱くと、遠慮がちに彼女が書いたものらしい手紙を取り出す。

「あの……これをお願いしていいですか?」

「いいですよ」

「体に気を付けてと……」

「分かりました」

 マリーリアは快く応じると、手紙を受け取り、オリガに会釈してその場を離れる。そしてグロリアに一言挨拶をして館を後にした。

 とにかく今は自分にできる事をしよう。マリーリアは改めてそう決意した


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