90 責任の在りか3

 マリーリアの来訪から更に数日が経った。この頃になるとようやくエドワルドの熱も下がり、短い間なら体も起こしていられるようになっていた。バセットもここまで回復すれば大丈夫と、2日ほど前に総督府へと帰っていた。もっとも、完治するまでは数日に一度の割合で往診が必要だった。

 ようやくコリンシアも父親の寝室へ自由に出入りできるようになり、昼間はほとんどの時間をここで過ごすようになっていた。

 今日も寝台に上がり込み、エドワルドの左隣に陣取って子供向けの本を読んでいた。誕生日にもらったこの本……子供向けに脚色された皇祖の伝記を、分からない文字を父親に聞きながら読み終える。本当にこの1年で随分変わったと、本を読む娘の姿を見ながらエドワルドは感心していた。

「凄いな、コリン。よく読めたね」

「ママ・フロリエにね、一緒に読みながら教えてもらったの」

 秋に大病を患ってからというもの、コリンシアは一層フロリエの事を母親のように慕うようになっていた。そんな姫君をフロリエも愛おしく感じるらしく、優しく、時には厳しく養育していた。その一番の成果が1年前には字を読むことすらできなかったコリンシアが、自分から読み書きするようになった事である。

 冬を前にしてグロリアの館を出立する時にもらった手紙には、『とうさま、だいすき。こりん』と書かれていた。それをお守り代わりに常に懐に入れていたのだが、先日の紫尾しびと戦った折に残念ながら失くしてしまっていた。

 それを知ったコリンシアが『はやくよくなってね。こりん』という手紙を新たに書いてくれたので、エドワルドはそれを枕元に大事にしまっていた。

「おくつろぎの所、失礼いたします」

 オルティスが静かに入室して来て頭を下げる。

「どうした?」

 エドワルドは痛む右肩をかばいながら体を起こそうとすると、オルティスがそっと手を貸してくれる。

「ラグラス様がお見舞いにいらしてます」

「ラグラスが?」

 珍しい人物が尋ねてきた事にエドワルドは驚いた。彼の亡き妻、クラウディアの叔父で、先日までフォルビアの軍務を任され騎士団長を務めていた人物だった。とは言え、竜気が低くて竜騎士になれなかったので、騎士団長とは言ってもお飾りに過ぎない。実務は副団長を務める古株の竜騎士が行っていた。

 野心家でグロリアとはあまりそりが合わず、この館へはめったに訪れる事は無い。加えて他の親族達と同様に横領をしていた彼は春まで謹慎中だったはずなのだ。それでもエドワルドがここでせっているのをどこからか聞きつけて、どんな風の吹き回しか親族を代表して見舞いに来たらしい。

 正直に言うとエドワルドも見舞いに来てもらっても嬉しい人物ではないが、追い返す訳にもいかず、了承する。

「分かった。コリン、お客様だから部屋に戻りなさい」

「はーい」

 コリンシアは返事をすると本を片付けて寝台から降りた。オルティスは頭を下げるとコリンシアと共に静かに部屋を出ていく。

 エドワルドはため息をつくと、肩にかけたままの寝間着ねまきの前をきちんと合わせた。正直、自由の利かない右腕をあまり他人には見られたくなかった。




「お邪魔しますよ」

 しばらくしてドアがノックされ、40代後半の豊かな金髪をたなびかせた男性が姿を現した。洒落者らしく、毛皮をあしらった騎竜服をまとい、細やかな細工が入った小物を身に付けている。

「こちらにいらっしゃるとは珍しい」

「所用でこちらに来たついでですよ。紫尾の爪をくらって生き永らえたときいて、その強運を分けていただこうと思いましてね」

 ラグラスは遠慮なく寝台脇に置いてある椅子にどっかりと座りこむ。

「この時期に出かける余裕がおありだとはうらやましい。ロベリアではそうはいきませんよ」

 フォルビアでもこの時期は妖魔討伐で竜騎士は忙しいはずである。謹慎中の彼自身はともかく、付き合わされた竜騎士はたまったものではないだろう。悪びれる風もなくヘラヘラとしている相手に不快感を抱き、エドワルドは少し皮肉ってみる。

「おやおや、素直じゃないねぇ。心配して寄ったのですから、もう少し歓迎して下さいよ」

 ラグラスは肩を竦める。そこへ戸を叩く音がしてフロリエがお茶を用意して入ってきた。いつものように肩にルルーが乗っているが、初めて会うラグラスに少し怯えたようにしている。

「失礼いたします」

 フロリエはそっと小竜の背中を撫でて落ち着かせると、流れるような手つきで2人分のお茶を淹れる。一つは客であるラグラス用に寝台の横にある小さなテーブルに置き、もう一つはエドワルド用に薬などをのせているテーブルに置いた。

「お飲みになられますか?」

「頂こう」

 フロリエの入れたお茶は、オルティスが淹れたものとまた違った味わいがしてエドワルドは好きだった。利き腕が使えない彼の為に、彼女は左手に茶器を持たせてくれる。

「これはまた、美人の侍女をつけていただいて羨ましいねぇ」

 フロリエが入室してからずっとその姿を目で追っていたラグラスが冷やかす。内心エドワルドはしまったと後悔する。この男は女性に手が早い。

「失礼な事を言うな。彼女は私の客人だ」

「ほぉ……」

 興味津々といった様子でエドワルドの世話をするフロリエを眺める。

「フロリエ、もういい。下がってくれ」

「はい」

 とにかくエドワルドは、これ以上彼の目に彼女を曝していたくなかった。彼女は頭を下げると、静かに部屋を辞していく。

「君は客人に身の回りの世話をしてもらっているのか?」

 面白そうにラグラスが尋ねてくる。

「いつかそちらにも問い合わせたはずだ。行方不明になっている女性はいないかと。1年前に助けたのが彼女だ。以来、ここで叔母上の話し相手とコリンの面倒を見てくれている。私はついでだ」

「なるほど。こんな田舎に置いておくのはもったいないねぇ。ばあさんや子供の相手だけじゃかわいそうだ。うちの館に連れて帰ろう」

「止めておけ。叔母上のご不興を買うぞ」

 不機嫌そうにエドワルドは返し、フロリエが淹れてくれたお茶を飲み干す。折角彼女が淹れてくれたお茶が台無しになった気がする。

「もう1人若い侍女を見かけたから、一緒に引き取るのも悪くないな」

 オリガも目敏めざとく見つけたようで、彼の中で妄想は膨らむ一方である。どうやら他人の話を聞いていないらしい。

「ところで、用は何だ?」

 エドワルドは苦々しく問う。

「言ったでしょう、見舞いに来ただけですよ。紫尾の爪にやられて助かったのが不思議でねぇ」

 ラグラスはおいしそうにお茶を飲み干す。

「あんな美人に看病されていたら、死ねないですよね」

「私が死んだ方がいいように聞こえるのは気のせいか?」

 横領の額は他の親族ほどではないが、エドワルドが助かった事を残念に思った1人なのは間違いないだろう。

 慣れない客相手にエドワルドはくたびれてしまい、いい加減気が立っている。

「気のせいですよ。殿下の無事も確認できたので、そろそろおいとましますよ」

 ラグラスはエドワルドの殺気を感じ、慌てて席を立つ。そして軽く頭を下げると部屋を出て行った。エドワルドはやれやれと思いながら、痛む右肩を動かさないように用心して体を横たえた。なんだかドッと疲れが出てきた彼は、そのままうとうとし始めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る