88 責任の在りか1

 エドワルドは生死の境を3日間さまよっていた。高熱が続いて意識が戻らず、フロリエとバセット、オルティスが交代で看病を続けていた。特にフロリエは、不安がるコリンシアの世話もしながらほとんど不眠不休で働いた。

「フロリエさん、あまり無理をしてはいけない。少し休んでくるといい」

 バセットが薬を練りながらそんなフロリエに声をかける。

「ですが……」

「貴女まで倒れてしまったら、コリン姫が余計に心配なさる」

 バセットは優しくさとす。

「分かりました。そろそろ薬を代える時間です。済みましたら少し休んできます」

「そうしなさい。手伝おう」

 2人は薬の乾燥を防ぐためにおおっていた紅薄荷べにはっか入りの水で濡らした布をとると、薬を塗りつけた当て布をがしていく。エドワルドの腕は運び込まれた時に比べると、幾分毒が抜けたようでだいぶ色が薄くなり、腫れも引いてきている。バセットが特別に調合した軟膏なんこう薬と、一日に3回飲ませている金紋蔓きんもんづたの根を煎じた薬が良く効いているようだ。

「う……」

 布を剥がす時に痛みが生じたのか、エドワルドが低くうめいて目を開ける。

「殿下……」

 フロリエが真っ先に気づいて彼の顔をのぞき込む。

「……フロ…リエ?」

 状況を把握できないエドワルドは視線を宙に彷徨さまよわせる。発熱と毒の影響により寝ていても眩暈めまいがするのだろう。

「ここはグロリア様のお館です。グランシアードとマリーリア卿が殿下を運んでこられました」

 混濁していた記憶がよみがえる。

「そう……か。マリーリアは……無事だった…の…だな?」

「はい。妖魔も巣も無事に除去できたそうです」

 フロリエの言葉にエドワルドはほっと息をつく。彼女は安堵の涙をこらえながら、濡らした布で彼の額に浮かぶ汗を優しく拭っていく。

「腕が……重いな……」

 フロリエの涙に気づき、いつものように腕を伸ばそうとしてそれがかなわず、エドワルドは呟く。

「紫尾の爪にやられましたからな。今はとにかく、傷を治すことに専念なさってください」

 バセットが新しい薬を手際よく張り付けながら口を挟む。エドワルドは彼がいる事に驚く。

「バセッ……ト?」

「後々説明致すが、いろいろありましてな。わしがいた方が良かろうと判断したのじゃ。もっとも、殿下が助かったのは、こちらのお嬢さんのおかげだが」

 傷口を覆うように万遍なく貼れたところで、今度は乾燥防止の紅薄荷の水で濡らした布で覆っていく。

「そうか……礼を…言わねば」

 フロリエは首を振り、金紋蔓の薬湯を小さな器に少量移す。

「いいえ……。殿下には言葉に尽くせぬ程の御恩がありますから……。こちらをお飲みになって下さい」

 彼女はエドワルドの頭を少し起こし、薬の入った器をそっと彼の口に当てる。彼がそれを飲み干すと、頭を優しく枕に戻す。そして乾いた布でこぼれた薬を拭き、別の布を湿らせて彼の額にのせる。

「すまない」

「今はゆっくりお休みになって下さい」

 そのフロリエの言葉に後押しされるように、エドワルドは再び目を閉じて眠りについた。世話をしてくれる彼女の手を心地よく感じながら……。




 エドワルドの意識が戻ったというニュースは、館の中のみならず、総督府にもすぐ伝えられた。ちょうど討伐を終えて帰ってきたところにその知らせを聞き、竜騎士達は抱き合って喜び合ったのだった。




 しかし、それから数日経ってもエドワルドの熱は下がらず、朦朧もうろうとしている状態が続いていた。軍医でもあるバセットは討伐の疲れも出てきたためだろうと診立みたてていた。

 この日マリーリアはグロリアの館を訪れた。午前中に西部での妖魔討伐に参加し、アスターの許しをもらってエドワルドに会いに来たのだ。

 手には長剣を一本携えている。紫尾の女王と遭遇した時にエドワルドが落としていた長剣だった。アスターが回収していたその長剣をマリーリアが預かり、空いた時間に怪我で休養中のルークにコツを聞きながら手入れを施していたものだった。

「これはマリーリア卿。よくおいで下さいました」

 カーマインから降りた彼女をオルティスが出迎え、すぐにティムが飛び出してきて飛竜を預かってくれる。マリーリアはグロリアへの挨拶もそこそこに済ませると、2階への案内を頼んだ。

「お怪我の方は徐々に良くなられておいでのようですが、お疲れからなかなか熱が下がらないご様子です」

 部屋の前まで案内すると、オルティスは頭を下げて階下へ降りて行った。マリーリアは深呼吸するとドアを叩く。すると、疲労が色濃く滲み出ているフロリエが出てきた。

「マリーリア卿……」

「殿下のご様子は如何ですか?」

「今はお休みになられています。中へどうぞ」

 フロリエはエドワルドの寝室へマリーリアを招き入れる。寝台にはあの日と同じようにエドワルドが横になっている。その寝顔にはあの時のような苦しげな様子は見られない。

 熱が下がらないのは心配だが、それでも回復のきざしを確認出来てマリーリアはほっとする。そして携えてきた長剣を壁際の飾り棚の上に置いた。

「なかなかお熱が下がりません。バセット医師が手を尽くして下さっているのですが……」

「そうですか」

 マリーリアとしては直接エドワルドに謝罪したかったため、話が出来ないのは非常に残念だった。エドワルドの命令に従って逃げた青銅狼を追うのを止めていれば……。あの時、カーマインをちゃんと制御できていれば……。そして何より我儘わがままを言ってロベリアに来なければエドワルドが負傷する事は無かったのだ。

「よくお休みのようですから帰ります。ですが……その前にあなたにお礼を言いたい」

 マリーリアはフロリエに向かって頭を下げるが、彼女は不思議そうに首を傾げる。

「私に……ですか?」

「はい。私の所為で殿下は負傷されました。あなたが……あなたが適切な処置をして下さったおかげで彼は助かったのです。私の失態で取り返しがつかなくところをあなたが救って下さったのです。本当に……お礼申し上げます」

 マリーリアは深々と頭を下げた。

「頭を上げて下さい、マリーリア卿」

 フロリエは慌てて彼女を止める。

「殿下は目覚められた時に、真っ先にマリーリア卿の事を気にかけられ、無事だと分かると安堵しておられました。先日もご自分を責めていないだろうかと仰せでした」

「殿下が?」

「はい」

 マリーリアの目から涙が溢れる。それをフロリエがそっと拭ってくれる。

「ありがとう……でも、あなたは恩人です」

 フロリエは首を振る。

「皆様が動いて下さったおかげです。それに……落ち着きのなかったルルーを制御して下さったのはマリーリア卿です。そのおかげで処置もできました」

「フロリエさん……」

「目が見えぬ身が、あの時ほど恨めしく思った事はありませんでした」

 俯くフロリエにマリーリアは何と声をかけていいか分からず、言葉に詰まる。

「……マリーリア…来たのか?」

 寝ているエドワルドに気を使って小声で話をしていたが起こしてしまったようだ。まだ体を起こせない彼は顔をこちらに向けている。

「起こしてしまい、申し訳ありません」

 マリーリアは慌てて頭を下げる。フロリエはエドワルドの側に行き、彼の額に当てていた布を水に浸して絞り、汗を拭う。

「構わない……。水をくれるか?」

 エドワルドの要望に、フロリエはさっと水差しから器に水を注ぎ、彼の頭を優しく起こして口に当てる。発熱の為に喉が渇くのだろう、彼はすぐにそれを飲み干した。

「マリーリアと話がしたい。少し外してもらえるか?」

 優しく枕に頭を戻し、こぼれた水を拭いてくれるフロリエにエドワルドは頼む。

「かしこまりました」

 フロリエは頭を下げると、静かに部屋を出て行った。

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