84 果たすべき役割1

 エドワルドを抱えたグランシアードがグロリアの館に着くと、当然のことながら館の中は大騒ぎになった。先ずは意識の無いエドワルドをオルティスら男性の使用人3人がかりで彼の寝室になっている部屋へ運び込み、グロリアは離れに住んでいるリューグナーを侍女の1人に呼びに行かせた。

「私を庇って紫尾の爪を受けられました。総督府へ運ぶつもりでしたが、グランシアードがこちらへ運ぶと言うのでお連れしました。すみません……」

 マリーリアは泣きたいのを堪えながらグロリアに説明する。アスターに叩かれた彼女の左の頬は赤く腫れ上がり、それを見た古参の侍女が慌てて濡れた布を用意してくれた。彼女は今、頬にそれを当てて冷やしている。

 エドワルドは寝台に横たえられ、包んできた外套をオルティスが外す。処置を施す邪魔となる皮の鎧は繋ぎ目を切って外し、その下に着ていた衣服も切って右腕をあらわにすると、一同は思わず息を飲んだ。毒の爪を受けた彼の二の腕は紫色に変色して腫れ上がっていた。

「女大公様、リューグナー医師がおられません!」

 そこへリューグナーを呼びに行かせた侍女が慌てた様子で駆け込んでくる。

「何じゃと? このような時に……役に立たぬ!」

「そんな……」

 マリーリアは全身の力が抜けてその場に座り込んでしまいそうだった。このままではエドワルドが助からない。

「紫尾……殿下は紫尾の爪を受けられたのですか?」

 その場にいた全員の脳裏に最悪の事態が過ぎった時、意外なところから声がかかる。コリンシアを連れたフロリエが戸口に立っていた。後ろには蒼白な顔をしているオリガも立っている。

「はい」

「処置は?」

「香油を振りかけ、止血をしただけです」

 戸惑いながらマリーリアが答えると、フロリエは泣き出しそうなコリンシアをそこに残し、エドワルドが寝かされている寝台に近づく。そしてきっぱりとした口調で的確な指示を出す。

「先に傷口を洗って毒を出します。水をたくさん汲んできてください」

 エドワルドをここへ運ぶ手伝いをした下働きの男達が慌てて水を汲みに行った。

「当て布に使う清潔で柔らかい布がたくさんいります。用意して下さい」

「分かりました」

 オリガとリューグナーを呼びに行った侍女が応えて出ていく。

「オルティスさん、薬はどんなものがあるか分かりますか?」

「管理はリューグナー医師に任せて居りますが、私にも多少の知識はありますから、薬草庫を覗いてみましょう。どういったものをご入り用ですか?」

「解毒作用のあるもので、薬湯にして飲み薬に出来るものと、消毒用の紅薄荷が必要です。それから貴竜膏きりゅうこうも……応急処置として香油を多目に加えて練り直したもので手当てします。それから……小型のよく切れるナイフもお願いします」

「かしこまりました」

 オルティスも頭を下げると部屋を出ていく。てきぱきと指示を与えるフロリエの姿に、グロリアもマリーリアも唖然として見ているしかない。泣き出してしまったコリンシアに気づき、グロリアは小さな姫君を抱きしめた。

「きっと、エドワルドは助かりますよ」

「父様……」

 この先はあまり子供に見せていい光景ではない。自分にできる事は無いと分かっているグロリアは、そっとコリンシアを促して部屋の外へ出た。姫君は寝台に横たわる父親の姿を振り返りながらグロリアに手を引かれて部屋の外へ出て行った。




 ほどなくして使用人達が水を張った桶を手に部屋に戻ってきた。フロリエはエドワルドの腕に巻かれたままの布を解こうとするが、なかなかうまくいかない。

「ルルー、お願い、落ち着いて。良く見えないわ」

 興奮している小竜はしきりに体を揺らしている。おかげでフロリエは彼の目を借りようとしても焦点が合わせられない。

「貸して下さい」

 どう手助けしていいか分からず、壁際で傍観していたマリーリアが声をかけ、ルルーを抱き上げた。そして小竜の顔を自分に向け、その目を覗き込んで竜気を送る。ちょっと強制的に従わせることになるが、この際、非常事態なのでやむを得ないだろう。ルルーは興奮状態から抜けてようやく落ち着いた。

「ありがとうございます」

 フロリエは礼を言ってルルーを受け取ると、再び肩にとまらせる。小竜は大人しくフロリエに従い、彼女が望む方向に顔を向けている。

 マリーリアも手を貸して自分が巻き付けた布を外していく。エドワルドの血を吸ったそれは赤黒く変色していた。

 そこへオリガが布の束を抱えて戻ってきた。フロリエはその内の一枚を取ると、綺麗な水に浸して絞り、エドワルドの額に浮かんだ汗を拭く。毒を受けた為か、かなり熱があがっているようだ。

「傷口を洗えばいいのですか?」

「腫れた部分を切開して、中の毒を出す必要があります。消毒薬と小型のナイフが必要です」

 フロリエはエドワルドの腕の状態を見て眉をしかめる。とにかく一時も早い処置が必要だった。

「お待たせしました」

 オルティスが薬をのせた盆を手に戻ってきた。フロリエの要望通り、小型のナイフも持って来てくれている。早速フロリエは綺麗な水が入った桶の1つに紅薄荷の消毒薬を入れた。薄いピンクに染まった水に早速手を浸して消毒する。促されてマリーリアもそれに習い、水を汲んできた男達もフロリエに言われて手を消毒した。

「私もお手伝いいたします」

 オルティスも上着を脱ぐと袖をまくり、消毒薬で手を清めた。フロリエは用意してもらったナイフを火にかざし、刃を焼いて消毒した。

「殿下の体を押さえて下さい」

 使用人達に指示を与え、フロリエは念の為に意識の無いエドワルドの口に布をかませる。準備が整うと一同が見守る中、彼女は祈りの言葉を口にすると、慎重に患部へ刃を入れる。途端に血とは思えないどす黒い液体が流れ出し、無意識にエドワルドの体が動く。マリーリアも加わって使用人達は彼の体を押さえ、フロリエは毒を絞り出すようにして傷口を洗った。

 手を洗ったフロリエは、休む間もなく再び手を消毒すると、オルティスが用意した貴竜膏に香油を加えて練り、用意された当て布に塗り付けて患部を覆う。

「血が付いたものは全て燃やして下さい。あと、この水は決して川に流さないように。不要な布に染み込ませ、香油をかけて他の物と一緒に燃やして下さい。桶も全部です。紫尾の毒は厄介ですが、燃やせば害は無くなります」

 薬を塗りながら使用人達に指示も忘れない。彼等は頷くと言われたように汚れたものを片付けて部屋を出ていく。汚れた寝台の敷布も新しいものに取り換え、ようやく一通りの処置が終わる。

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