85 果たすべき役割2

 フロリエは苦しそうなエドワルドの頭をそっと起こして水を飲ませる。熱で額にのせていた布は随分ぬるくなっており、桶の中の綺麗な水ですすいで軽く絞り、再び彼の額にのせた。

「薬湯はどれを使いましょうか?」

 オルティスは薬草庫から持ってきた薬の見本も持って来ていた。フロリエは見本を受け取ると、一つ一つ手に取り、匂いを嗅いで確かめる。

金紋蔓きんもんづたの根だわ……。貴重なものですが、使っても宜しいですか?」

 彼女真っ先に目にとめたのは白っぽい根を乾燥させたものだった。煎じれば解毒効果の高い薬湯が出来るが、温かい地域でしか採れないため、タランテラでは入手が困難な薬の1つだった。質の高いものは同じ重さの金と取引される事もある。

「もちろんです」

 エドワルドを助けるためには金も物も惜しまないと、既にグロリアから了承を得ていた。

「ありがとうございます。小鍋に水を張って、これを少量刻んだものと甘草あまくさを一緒に弱火で煮出して下さい」

「それでしたらこちらに炉と鍋を用意させましょう。オリガ、用意を頼みます」

 慎ましく控えていたオリガは頭を下げるとすぐに部屋を出ていく。部屋に残ったのはフロリエとオルティス、マリーリアの3人だけになる。

「フロリエさん、お礼を申し上げます」

 マリーリアが頭を下げると、フロリエは首を傾げる。

「貴女がいて下さって本当に助かりました」

「……まだ……安心するのは早いです」

 フロリエは寝台で苦し気に横たわるエドワルドに視線を移す。

「今、ほどこしたのは応急処置に過ぎません。妖魔の傷病は……特に紫尾の毒は慣れたお医者様にきちんと診ていただく必要があります。薬も専用の調合が必要なはずです」

「……総督府へ行ってきます。軍医のバセット先生なら詳しいはずです。殿下の命がかかっていますから、ご自身が無理でも何人かいらっしゃる弟子の1人を派遣して下さると思います」

 マリーリアが決意を込めて顔を上げる。自分の失態が元でこんな事態におちいってしまっている。その責任を放棄するわけにはいかなかった。

「ですが、お疲れなのでは?」

 昼間から討伐に出て働きづめで彼女は疲れ切っているはずだった。手紙をグランシアードに託すだけでも充分に用は伝わるはずである。

「これは私の仕事……そして責務でもあります。大丈夫です。グランシアードも乗せてくれると思います」

「そうですか……」

 フロリエは仕方なく引き下がり、マリーリアはすぐに部屋を出て行こうとすると、オルティスが引き留めた。

「それでしたらお願いがございます。実のところ、薬草庫の備蓄が心許こころもとないのです。先日、定例の監査をした折には十分にあったはずですが、先程確認したところ、その量が著しく減っているのです。申し訳ありませんが、薬も準備して頂けると助かります」

「分かりました、伝えます。それまで殿下をお願いします」

 マリーリアは2人に頭を下げると外へ飛び出して行った。厩舎に行くと、ティムが落ち着かない様子のグランシアードを宥めながら世話をしてくれていた。

「ありがとう、ティム。グランシアード、殿下の為に私を総督府まで連れて行って」

 少年を労うと、マリーリアは黒い飛竜の大きな頭を抱えこむ。グランシアードはすぐに応じてくれ、彼女は急いで装具を用意する。

「大丈夫。殿下はきっと助かる。あの方のおかげです」

 まだ不安気なグランシアードの首をマリーリアは宥めるように叩く。フロリエは応急処置に過ぎないと言ったが、それでも総督府に帰ってからするよりも短時間で済んだのだ。リューグナー不在で一時はどうなるかと思ったが、グランシアードの選択は間違っていないと胸を張って言える。

「マリーリア卿、できました」

 手伝ってくれていたティムが声をかけてくれる。

「ありがとう、行ってきます」

 グランシアードを連れて厩舎の外に出る。外は既に真っ暗で、昼間よりも舞う雪の量が増えている。一抹の不安が胸をよぎるが、マリーリアは自分に気合を入れるとグランシアードを飛び立たせ、総督府を目指した。




 一方、紫尾の女王を討伐し、妖魔の巣の除去を済ませたアスター達も総督府へ戻ろうとしていた。

 香油を頭から浴びて少し弱っていたとはいえ、女王相手では竜騎士が7人いても楽勝とは言えなかった。傷を受けたことで更に狂暴になった女王やしもべの青銅狼の攻撃をかわしながら、少しずつ傷を増やして弱らせていき、動きが止まったところで止めを刺した。その合間に青銅狼も霧散させていたので、紫尾が霧散すると、全員その場に座り込んでしばらく動けなかった。

 そこへようやく総督府と西の砦から派遣された騎馬兵団が到着し、一息ついてから巣の除去が始まった。これにはとにかく頭数が必要である。竜騎士達の指示のもと、まずは飛竜達にも手伝ってもらいながら用意した大量の香油をまんべんなく妖魔の卵にかけていく。そして寄生されていた大木を切り倒し、地に落ちた卵を片端から徹底的につぶしていくのだ。仕上げにもう一度香油をかけて清めれば終了となる。寄生されていた大木の方は養分を吸い取られて既にボロボロとなっており、香油と共に地に帰っていった。

「殿下は大丈夫だろうか……」

 後始末は騎馬兵団に任せ、彼らは一足早く帰路についていた。紫尾との戦いでルークは脇腹を痛めていたし、皆、連日のように出撃していたので疲れ果てている。そして何よりもエドワルドの事が気がかりだった。

「マリーリアは立ち寄ってないのか?」

 西に駐留する3名と別れ、総督府に戻る道すがら南の砦に立ち寄ると、脅えたカーマインが竜舎で震えて手が付けられないと係員から連絡があった。加えて彼等はエドワルドが負傷したこともまだ知らなかった。

 カーマインを放置できず、仕方なしに引き取り、一行が砦を出発しようとしたところで、飛竜達が一斉に空に向かって挨拶する。現れたのはマリーリアを背にのせたグランシアードだった。一同に気づき、砦に降下してくる。

「マリーリア卿! 今頃こんな所で何をしている? それに……殿下はどうされた?」

 彼女が降りて来るより早く、アスターが詰め寄る。

「グロリア様のお館にお連れしました」

 マリーリアの出現に大喜びしてすり寄ってくるカーマインを宥めながら彼女は端的に答える。

「女大公様の?」

「はい。グランシアードがそちらに向かいましたので……」

 アスターは怪訝けげんそうに黒い飛竜を見上げると、ファルクレインを通じて肯定の意思を伝える。ようやく彼もそれで納得してくれたようだが、つくづく自分は信用されていないのだとマリーリアは実感した。

「リューグナー医師が見て下さったのか?」

「いえ、彼は留守でした」

「何?」

 正直、アスターは腹が立っていた。疲れがピークに達している上に命令を無視され、負傷したエドワルドを放置してここへ来ている彼女にどうしようもない怒りを覚えた。思わず掴みかかりそうになったところをジーンが止める。

「はい、ストップ。それは彼女の所為じゃないのに一方的に怒っちゃダメでしょ。とにかく帰りながら話を聞こうよ」

「……わかった」

 アスターは渋々了承するとファルクレインの背に乗り、他の竜騎士達もそれぞれの相棒に跨る。マリーリアはジーンに頭を下げると、彼女はウインクしてリリアナの背に跨った。

「リューグナー医師が留守なのをグロリア様もご存知なくて、本当に途方にくれました」

「無断で外出されたのか? 専属の医師なのに?」

「はい。ティムが朝早くにそれらしい人が出かける姿を見たと言ってました」

「役に立たんな」

「……」

 グロリアの感想と同じことをアスターもつぶやいた。

「で、殿下の処置はどうした?」

 手当てをしようにも肝心の医者がいないのでは助かる者も助からない。イライラが募るばかりのアスターの語調は荒くなる一方だった。

「フロリエさんが処置をよくご存知で、彼女が応急の処置をしてくださいました。ただ、薬が不足していると……。それにきちんと医者に診ていただいた方がいいと言われたので、バセット医師に相談しようと思い、総督府に戻る途中でした」

「フロリエさんが?」

 一同は驚いた。本当に彼女は一体何者なのだろう。

「はい。薬草の知識も豊富で、珍しい薬もご存知のようでした」

「分かった。急いで戻ろう」

「はい」

 アスターもようやく怒りを収め、一行は速度を速めて総督府を目指した。

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