58 短い夏1

 夏の終わり頃、ルークはティムをともなってフォルビア北部へ外出していた。エアリアルをグロリアの館に待機させ、馬の背に揺られながらの旅だった。

 これはただの遊びではない。領内の諸事情を把握しきれないグロリアの依頼を受けたエドワルドが、彼に現状をその目で見て来るように命じたのだ。もちろん、密偵は彼等だけではない。

 2人は旅行者を装い、今までなかなか把握出来なかった実情をつぶさに見て歩いてきた。ティムを伴ったのは、彼がフォルビア北部の出身で地理に明るい事だけでなく、より多くの発見を見越しての事である。事実、ティムは予想以上にいい仕事をした。

 主に野営をしながら8日間の旅を終え、将来義兄弟になるかもしれない2人は、昼過ぎにグロリアの館に帰りついた。

「ただいま、オリガ」

「……ただいま」

 2人を真っ先に出迎えたのはオリガだった。ルークは久しぶりに会う恋人に駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られたが、長旅から帰ったばかりで全身埃まみれである。さすがに思いとどまって声をかけるだけに留めた。

 一方のティムは疲れ切った様子で馬の背から降りた。まだ正式な竜騎士見習いにもなっていない13歳の少年には、少々過酷な旅だったのかもしれない。

「お帰りなさい、ルーク、ティム。オルティスさんが湯殿の準備を整えて下さっているわ」

「それは助かる。ロベリアに帰るにしてもこのままではさすがに……」

 ルークは苦笑しながら自分の汗が染みこんだシャツの裾を掴む。日に焼けた顔は薄汚れ、無精髭が目立つ。きちんと湯を浴びたのは3日ほど前に宿屋に泊って以来で、さすがに自分でも自分が臭い。

 用意が整えられている湯殿に直行したかったが、ルークは疲れた表情のティムを先に行かせる。まだまだ余力のあるルークは、2頭の馬を厩舎へ連れて行くついでに、エアリアルに会いに行く。飛竜は久しぶりに会うパートナーに嬉しそうに頭を摺り寄せるが、彼は軽く撫でてやるに留める。腰に付けていた小物入れをベルトごと外し、飛竜の首に巻きつける。

「それをロベリアへ持って行ってくれ。絶対に団長かアスター卿に直接渡してほしい」

 小物入れには今回の旅の記録が入っている。後に口頭で補足をする必要はあるが、これで北部の実情は概ね理解できるだろう。実際に見てきたルークは早急な対策が必要と判断し、一足先にこの記録だけを送る事にしたのだ。


グッグッ


 エアリアルは了承した様で、ルークに目を合わせて低い声で鳴く。飛竜は厩舎から連れ出されると、パートナーに見送られて身軽に空へと飛び立った。




 久しぶりに周囲への警戒を解いた状態で風呂を満喫したルークは、身支度を整えると居間にいるグロリアの元に顔を出す。

「ただいま戻りました」

 帰ってから風呂に入ったりして時間が経っているので、『ただいま』は違うかもしれないと思いながらも、ルークは慣例通りに帰還の挨拶をする。

「お帰り、ルーク卿。ご苦労だった」

「詳細は殿下からお聞きください。ただ……早急な対応は必要かと」

「……そうかえ。ティムはどうしたのじゃ?」

「随分疲れた様子だったので、もう休ませました。オルティスさんも了承して下さっています」

 グロリアの前だとまだ少し緊張するルークは、ソファには座らず直立不動で応対する。その様子をおかしそうに眺めながらグロリアは優雅にお茶を飲んでいる。

「帰ってきたらここで休んでも構わないとエドワルドからの伝言じゃ。部屋を用意させておるから、昼食でもとってゆっくり休むと良い。今ならコリンも昼寝の時間じゃろうから、オリガも手が空いておるであろう」

 意味深に言われてルークは真っ赤になる。2人が公認の中になってからというもの、ロベリアでもこの館でも冷やかされてばかりだった。最近は慣れたこともあって受け流せるようにはなっているが、さすがにグロリア相手では分が悪い。

「あ、ありがとうございます」

 ルークは頭を下げると早々に居間を辞去し、とりあえず昼食を分けてもらいに厨房を覗く。ちょうど料理長が彼の食事を用意してくれていたので、使用人用の休憩室でそれを平らげた。

「お茶どうぞ」

 オリガがそっとルークにお茶を差し出してくれる。どうやら周囲が気を利かせてくれたらしく、彼女の手は空いているようだ。

 今回の真の目的は機密扱いで話すことはできなかったが、それとなく彼女には話している。全てを話せずルークは心苦しかったのだが、それでも彼女は口を挟まず、出立する時は2人にお弁当を用意して見送ってくれたのだ。帰って来た時のほっとした笑顔を見て、自分でも何事もなく帰還できたのを安堵していた。

「あ、そうだ、これ……」

 ルークは懐から小さな包みをとり出す。兄弟で親戚を尋ねる……と見せかけていたので、町では情報収集も兼ねて買い物もしたりしていた。これは3日前に立ち寄ったフォルビアの城下町で買ったガラス球の装身具で、ブローチとしても使えるし、髪留めにもなるよと店の主が熱烈に勧めてくれたものだった。

「え……」

「心配かけたみたいだから」

「…ありがとう」

 オリガは礼を言うと包みを開けてみる。葡萄を模したデザインが一目で気に入り、早速髪につけてみる。

「良く似合うよ」

「うれしい……」

 お茶を飲みながら、ルークは旅の間の障りの無い部分を話す。ティムが期待以上の仕事をしてくれた事をそれとなく伝えると、彼女は嬉しそうにしていた。

 テーブルを挟んで向かい合って座り、ルークはオリガの手にそっと手を重ねている。貴婦人とはかけ離れた荒れた手をオリガは恥ずかしがっているのだが、ルークはこの手が好きだった。ここへ使いに来てお互いに時間があれば、彼女の手を握ってたわいもない話をするのが習慣になっている。次第にオリガもそれに慣れて、ルークの手に包み込まれるのを嫌がらなくなった。

「!」

 穏やかに話をしていたルークが顔を上げる。

「どうしたの?」

「飛竜が来た。お客みたいだ」

 くたびれきったティムはまだ眠っているだろう。年老いた厩番だけでは飛竜の相手は無理かもしれない。ルークはオリガに一言詫びて席を立つ。

「ちょっと見てくる」

「はい」

 ルークはオリガの手を名残惜しそうに離すと、休憩室を後にした。表に出ると、ちょうど3頭の飛竜が玄関前に降りたところだった。見覚えのある飛竜に彼は思わず声をかける。

「ユリウス!」

 赤褐色の飛竜から降りてきたのはブランドル家の子息、ユリウスだった。皇都から離れたこの地で再開できた事に驚き、ルークは思わず駆け寄っていた。

「ルーク? 来てたのか」

「それはこっちのセリフだよ」

 暑苦しいことに2人は抱き合って再会を喜ぶ。その様子を出迎えたオルティスもユリウスの護衛としてついて来た竜騎士達も遠巻きに眺めている。

「第1騎士団の演習で近くまで来たからグロリア様に婚約祝いのお礼を言いに寄ったんだ。後でロベリアにも行く予定だ」

「そうか。飛竜は預かる。ロベリアには俺が案内するよ」

「頼むよ」

 ユリウスは爽やかにそう言うと、護衛の騎士を連れて館の中へ入っていく。その姿を見送ると、ルークは3頭の飛竜をなだめて厩舎へと連れて行った。

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