57 月明かりの部屋3

 ロベリアに帰った数日後、留守中にたまっていた仕事を含めて様々な事後処理を終えたエドワルドは久しぶりに梔子館を訪れた。開口一番にトロストの一件をエルデネートに詫び、フロリエを救ってくれた事に感謝した。

「間に合って良うございました」

「本当に手間をかけた」

「かわいらしいお方ですわね。丁重な礼状も頂きましたのよ」

 夕食の席に着く前に2人は食前酒で軽く喉を潤す。

「そうか。叔母上も君には感謝していた」

「それは何よりの褒め言葉ですわね」

 グロリアには嫌われている自覚があるエルデネートは、彼女が自分を評価してくれたことに驚いた。

「それだけ彼女をかわいがっているのだろう」

「その様でございますわね」

 そこへエルデネートに仕える老夫人が夕食の支度が整った事を告げ、2人は食堂に席を移す。

 夕食の席では話題を変えて、皇都での夏至祭の話となった。ルークが飛竜レースで一位帰着を果たしたことを彼女は喜び、リーガスも武術試合で2番手と健闘した上にいつの間にかジーンと結婚していた事に驚いた。彼らの慶事に改めて2人で乾杯し、楽しい夕餉のひと時を過ごした。




「いかがされましたか? ご加減でも……」

 寝室に移動してからというもの、急にエドワルドの口数が少なくなった気がしてエルデネートが尋ねる。

「いや、そうではない」

 エドワルドは我に返ると、ワインが注がれたグラスに手を伸ばす。以前はここに来れば心が満たされていたのに、実のところ、今は何かが物足りなく感じていたのだ。どうしてだろうかと考えていたところへグロリアの館で戯れるフロリエとコリンシアの姿を思い出していた。それはエルデネートに失礼だなと思い、振り払おうとしたところで彼女に声をかけられたのだ。

「君は今、幸せかい?」

「難しい質問でございますね」

 唐突な質問に彼女は笑って答える。

「難しい?」

「幸せの基準は人によって違いますから」

「なるほどねぇ」

 エルデネートはボトルを差し出し、エドワルドのグラスにワインを継ぎ足す。彼はそれを飲み干すと、空のグラスをテーブルに戻す。

「私としては、こうして貴方の腕の中にいる瞬間は幸せに感じますけど」

 エドワルドが差し出した腕の中に身を任せると、彼女は悪戯っぽく微笑む。

「ならば、ずっとこうしていられるようになろうか?」

 エドワルドは彼女の体を抱きしめる。

「そうなると微妙ですねぇ」

 暗に結婚を仄めかされても彼女は一向に動じない。

「どうして?」

「あなた様が正真正銘の独り身でしたらお受けしたかもしれませんが……」

「私は独身だぞ」

 心外そうにエドワルドはエルデネートの顔を覗き込む。

「ですが、忘れてはならないお方がおいでです」

「……コリンの事か?」

「左様でございます」

 すぐに思い至ったエドワルドに彼女は笑顔で答える。

「あなた様の奥方になるには、コリン様の母親にならなければなりません。私では無理でございます」

「どうして?」

「幾度かお会いしましたが、あの方にとって私は父親の愛情を競うライバルにすぎません。このまま結婚しても、あなたは決して幸福とは言えなくなるでしょう」

「……兄上と似たようなことを言うのだな」

 エドワルドはため息をつく。

「お気持ちは本当に嬉しく思います」

「君は本当に……」

 エドワルドは愛しい恋人を抱きしめた。そしてそのままそっと押し倒した。




 夜が明ける頃、エルデネートは半身を起して傍らで眠るエドワルドを見ていた。

「そろそろお暇を頂かなくてはなりませんね……」

 彼女がそう呟くと、上掛けを握りしめる手に涙が一滴落ちた。

 遠くで一番鶏が鳴いている。こうして一緒に朝を迎えられるのはあとわずかだと言う事が彼女には分かっていた。生活の為に始めた付き合いだったが、別れるのが辛いと感じる程に彼の事を愛していた。

 エルデネートは涙を拭うと、そっと寝台を抜け出して自分の部屋に戻っていった。


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