44 竜騎士の心得1

 エドワルドが許可してしまったので、止むを得ずマリーリアに武術の指導をしなければならなくなり、アスターは不機嫌だった。彼は練武場に向かう途中で侍官を捕まえると、着場の係員に予定変更でファルクレインのみ荷をほどいてもらうように伝言を頼んだ。どんな時でも当初の予定が狂えば、迅速かつ的確な指示を与えないと落ち着かない性分だからこそ長くエドワルドの副官を務めていられるのかもしれない。

 騎士団の施設となっている城の西棟の外れに練武場はあった。高い屋根があり、水飲み場が数か所設置されている。夏場の現在は更に塩を盛った器が水飲み場の脇に用意されている。

 アスターは練武場の脇にある男性用の控室で正装を解き、鍛錬用の簡素な衣服に着替えて修練用の剣を手に表に出た。マリーリアは既に準備を整え、体をほぐして待っていた。アスターは水を一杯飲み、彼女と同様に体をほぐし始める。

 練武場には彼らの他に、朝の鍛錬の後片付けをしている若い竜騎士が数人いた。プラチナブロンドの令嬢と前日に華麗な武術を披露した竜騎士の組み合わせは嫌でも目立ち、若い竜騎士達は何事だろうかと手を止めて様子をうかがっている。

「そろそろ始めましょうか?」

「はい、お願いします」

 十分に体をほぐしたところで、2人は剣を手にして向かい合った。一礼をして剣を構え、呼吸を整えるとまずはマリーリアが打ち掛かってくる。

 内心、『ゲオルグなど足元に及ばないな』とアスターは思いながら次々繰り出される鋭い攻撃を受け流していく。筋は悪くないが粗削りな部分が多く、隙もある。様子を見ていたアスターはその隙を逃さず剣を繰り出し、マリーリアの剣を落とした。それでも彼女は落とされた剣を拾うと再び構える。

「まだまだです」

 そう言うと、彼女は再びアスターに斬りかかっていく。同様の事を2度3度繰り返すうちに、練武場の見物人がいつの間にか増えていた。

「少し休憩しましょうか」

 何度か同じことを繰り返した後、アスターはそう言ってマリーリアを止めるとスタスタと水飲み場へ歩いていく。

 今日も朝から良く晴れている。ここは屋根があると言っても屋外であり、多少は風が抜けるものの暑いことには変わりはない。水分補給をおこたれば、暑さで倒れてしまうのは明白だった。

「は、はい」

 息が上がり始めていたマリーリアは、ほっとしてアスターが向かったのとは別の水飲み場に向かう。基本的な体力差があるだけでなく、無駄な動きが多い分、彼女が消耗するのは当然の事だった。

 アスターはまだ平然としており、乾いた布で汗を拭いて水分を補給し、置いてある塩を少しなめる。そしてマリーリアがまだ休憩しているのを確認すると、修練用の剣で型の練習を始める。

「すみません、お待たせしました」

 マリーリアは待たせていると思い、器に汲んだ水を飲み干すと慌てて剣を持って水飲み場を離れた。

「もういいのですか?」

「はい、お願いします」

 本当はまだ休んでいたかったが、自分から頼んでいる以上待たせるわけにはいかない。マリーリアは流れ出た汗を乾いた布でふくと、アスターに頭を下げた。彼は仕方なくといった様子で水飲み場を離れると、彼女と向き合い剣を構える。

 先ほどまでと同様に2人は剣を交えるが、今度は少しずつアスターがマリーリアに改善すべき点を指摘していく。彼女はのみ込みが早く、始めに感じた粗削りな部分はだいぶ和らいできた。

「これまでにしましょう」

 マリーリアの体力を考え、アスターは適当なところで終わりを告げた。

「どうしてですか?」

 気持ちとは裏腹に座り込んだ彼女の息はだいぶ上がっている。

「あなたの体力は限界だからです。もう休まれた方がいい」

 アスターは水飲み場で水を汲んできた器を差し出す。マリーリアは礼を言って受け取り、それを一口飲む。

「ですが……」

「焦ってもどうにもなりません。今日はこれまでです」

 そう言い切ると、アスターは自分も水分補給の為に水飲み場に向かう。

「待ってください……ぁ……」

 マリーリアは立ち上がってアスターを引き止めようとしたが、急に目の前が暗くなる。意識を手放す前に力強い腕に支えられた気がしたが、後の事は分からなくなっていた。




 冷たい水の感触にマリーリアは目を覚ました。

「気付いたかね?」

 視界に入ってきたのは年配の医師だった。鼻につく薬品の臭いでマリーリアは自分が医務室で寝ている事に気づいた。

「私……」

「ああ、まだ無理してはいかん」

 体を起こそうとすると、医師は彼女を止めた。額に乗せられていた濡れた布がずれ落ち、首の後ろと脇の下に当てられていた冷たい革袋がチャプンと水音を立てた。

「軽い熱中症じゃ。アスター卿が気を失ったお前さんを抱えて飛び込んできたのじゃ」

「あれほど慌てたアスターはなかなか見られないぞ」

 急に加わった声に首をめぐらすと、窓辺に置いた椅子にハルベルトが座っている。視線は外に向けられており、何やら随分と騒がしい。確か、ここの窓から見えるのは練武場だったはずだ。

「これを飲みなさい」

 医師に飲み物が入った器を手渡される。マリーリアはゆっくりと体を起こすと、礼を言って受け取る。中身は酸味のある果実水で、喉の渇きを抑えきれずに全て飲み干した。

「もっと飲みなさい」

 医師はおかわりを注いでくれる。マリーリアはそれも全て飲み干した。

「ありがとうございます。あの、アスター卿は?」

 マリーリアの問いにハルベルトが手招きをする。医師の手を借りながら窓辺に寄ると、一面に人垣が目に入る。そしてその向こう、ここからは少し見下ろす形となる練武場に向かい合う2人の男性が立っている。1人は矛を構えた第1騎士団第1大隊隊長の肩書を持つヒースでもう1人は双剣を手にした第3騎士団副団長の肩書を持つアスターだった。

「座りなさい」

 ハルベルトが席を立ち、まだ少し体がフラフラしているマリーリアは半強制的に座らせられる。

「熟練者同士の試合だからな。見物人があっと言う間に増えた。祭は昨日で終わったはずなんだがな」

 暗に皆、仕事をさぼっている事を指摘しているのだが、そういうハルベルトも執務室を抜け出してきている。だが、マリーリアはそんな事よりも眼前の試合にくぎ付けとなった。

「すごい……」

 縦横無尽に繰り出されるヒースの矛をアスターは剣で受け流し、身をかわしたと思ったら鋭く斬り込む。斬り込まれたヒースもそれを矛ではじき返す……舞いと錯覚するような華麗な応酬が続いている。

「あれが日々の鍛錬を惜しまずに鍛え上げた、我が国の最高峰と言われる竜騎士の姿だ。彼等と同等かそれ以上に渡り合えるのはごく僅かだ。そう思わないか? マリーリア」

 ハルベルトは窓の外の光景を目を細めて眺める。数年前までは彼もその中の1人で、誇りある群青の装束に身を包み、この国の竜騎士の全てを率いる存在だった。

「はい」

「全て日々の積み重ねだ。いくら強くなりたくても、地道に一歩一歩、歩むしかない」

「……」

 窓の外で大きな歓声が上がり、見るとアスターの喉元にヒースの矛が突き付けられていた。

「これで2対2だ。次で決着がつく」

 ハルベルトが呟く。アスターとヒースは一旦分かれてそれぞれ違う水飲み場に向かう。そして続けて3杯水を飲んだ後、塩を少し舐めて頭から水を被った。

「君が今、微妙な立場にいる事は分かっている。それが元となって焦りが生まれているのだろう」

「……」

 マリーリアは答えられなかった。ハルベルトの言う微妙な立場というのは昨日の一件にからんでのことで、彼女が抱える本当の理由までは知らないだろう。知られてもいけなかった。

 ふと、外を見ると、ちょうど顔を上げたアスターと目があった。窓辺に目立つプラチナブロンドを見とめて表情が和らいだのは気のせいだろうか。ハルベルトが手を上げると、目礼を返して武器を手にヒースに向き直る。体をほぐすように動かしていたヒースも武器を手にして構えた。

 先にアスターが地を蹴った。続けざまに鋭い攻撃を繰り出し、ヒースはそれを危なげなく受け流す。一瞬のすきをついてヒースが攻撃を仕掛けるが、アスターはそれをかわし、さらに続く攻撃を掻い潜ってヒースの胸元に飛び込んだ。

き物が落ちたようだな」

 ハルベルトのつぶやきと共に、アスターに双剣を突き付けられたヒースが両手を上げて降参をした。これで3勝目となり、アスターがこの試合の勝者となった。





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