45 竜騎士の心得2

「何でエールなんだ?」

 目の前に置かれたジョッキを見て、アスターはヒースに文句を言った。

「家の所領でできたエールだ。おごってもらって文句言うな」

 ヒースは負けじと言い返す。昼間の試合で負けた方は、勝った相手に酒を奢る約束になっていた。

 ここは竜騎士宿舎の大食堂。夕食時と言う事もあって、多くの竜騎士でにぎわい、いずれの卓にも料理が山と盛られた皿が並んでいる。

 体が基本の竜騎士は、食事は無償で用意されるのだが、嗜好品……特に酒類は自腹と決められていた。多くの酒豪が揃う竜騎士達に無償で酒をふるまう程、国も寛容ではない。特に討伐の時期に酒好きの竜騎士が酔いつぶれる程飲んで任務を放棄した事件があって以来、竜騎士が個人で保有できる酒の量は決められている。その為、ほとんどの竜騎士が休日を城下で過ごしているらしい。

「仕方ないなぁ」

 口ではそう言いながらも、アスターはエールのジョッキに口をつける。卓上には野菜の煮込みが添えられた数種のあぶり肉に具沢山のスープ、茹でたジャガイモに溶けたチーズを乗せたものや焼いた数種類の腸詰など、所狭しと並べている。それらをつまみながらジョッキを傾けていると、気付けば中身は空になっている。

「ヒース、おかわり」

「エールでは不満なんだろう?」

「じゃあ、ワインで」

 親友の図々しい要求にヒースは顔をしかめる。

「明日早いんだろう?」

「このくらいは平気だ」

「……」

 すまして答えるアスターと呆れて返す言葉もないヒースの目の前にコトリとワインのボトルが置かれる。

「マリーリア卿……」

 振り向くとプラチナブロンドの髪を軽く束ねたマリーリアが立っていた。

「アスター卿、昼間はすみませんでした」

「……いや、体はもういいのか?」

「はい。本当に、お手数をおかけしてすみませんでした」

 マリーリアは何度も頭を下げるが、アスターは少し不機嫌そうに顔をしかめている。

「体調管理は基本だろう? それが出来ない奴が鍛えてくれと言うな」

「はい……」

 彼女はうなだれるしかなかった。確かに昨日の一件に父親が絡んでいるとの噂が広まった為に自分も白い目で見られてしまい、食堂に居づらくて朝食が殆ど喉を通らなかった。そんな状態で暑い最中に厳しい鍛錬をすれば、倒れるのも当然の結果と言える。それはアスターとヒースの試合を見た後に医者とハルベルトからも指摘されていた。

「飯は食ったか?」

 うなだれるマリーリアにヒースが声をかける。一瞬、張り詰めた空気が漂い、気付けば食堂中の注目を浴びている。それは彼らも本意ではなかった。

「……これからです」

「とって来い。ついでにグラスを頼む」

 ヒースがワインのボトルを手にし、物欲しげにラベルを確認している。

「……それは私のだろう?」

「もらうと言うからには謝罪を受け入れるのだろう?」

「……」

 アスターは反論できず、その間にヒースは行って来いとマリーリアに目くばせをする。直属の部下ではないが、微妙な立場にいる彼女の事を彼も気にかけているのだ。

 マリーリアが自分の夕食とグラスを持って戻ってくる頃には、食堂内の張り詰めた空気がとけていた。

 改めて2人に侘びと礼を言って席に着いたマリーリアは、貰い物だけどと断りをいれながらワインの栓を抜いて2人に勧める。グラスから漂う芳香にさすがのアスターもいつまでも不機嫌な顔をしていられなかった。

「とりあえず頂く」

 ぶっきらぼうに言いながらも、一口飲んでそれは気に入ったようで、すぐさま空にすると2杯目を注ぐ。マリーリアもそれを見て、安心した様に食事をとり始めた。

「そんなに前線に出たいのか?」

 卓上に並んだ皿も、ボトルの中身もほぼ空になったところでヒースが尋ねる。

「竜騎士ならば当然でしょう?」

「物見遊山ではない」

 アスターは当初の不機嫌さがぶり返したようで、眉間に皺が寄ってる。

「分かっています」

「分かっていない。義務だ、責務だときれい事を言い募っただけではだめだ」

 アスターはつい声を荒げてしまい、再び周囲の視線を集めてしまう。

「アスター」

「……」

 ヒースがたしなめると、アスターは黙りこみ、グラスに残っていったワインを飲み干す。

「悪い、飲みすぎた。今日はもう休む。2人共、ごちそうになった」

 そう言い残すと自分が使った皿とグラスを手に席を立つ。そして2人が声をかける間もなく食器を片づけると食堂を後にした。

「全く……」

 ヒースもグラスの中身を飲み干し、ボトルを手に取り残り少なくなった中身を注ぐ。殆ど残っておらず、グラスの半分ほどしか満たしていない。名残惜しげにボトルを逆さにするが、1滴2滴出てきただけだった。

「竜騎士になってまだ1年も経っていないだろう? まだこれからじゃないか。焦る必要はないと思う」

「……」

 同じことをハルベルトにも言われたが、そうじゃないとマリーリアは言いたいのをグッと堪えた。

「あのバカ皇子より余程見込みがあるとあいつが言っていた。あまり口出しはできないが、指導法を変えてもらえるように君の上司に言っておくことはできるよ」

 ヒースは最後のワインを飲み干すと、空になった食器を持って立った。

「ワインごちそう様。今日は早めに休んだ方がいいぞ」

 ヒースはそう言い残すとその場を後にした。




 一人通り残されたマリーリアは自分のグラスに注がれたワインをしばらくの間眺めていた。彼等には言えないが、焦る理由が彼女にはあった。

『希望通り飛竜を手に入れてやったから感謝しろ』

 父親が手配したのは炎の力を持ったカーマインと名付けられた雌の飛竜だった。一目で気に入り、仲良くなった。そして見習いとして第1騎士団に入団したが、正式に竜騎士となった後にこう告げられた。

『竜騎士になったか。家名の為にもそれは喜ばしいことだ。だが、カーマインは繁殖用だ。成熟する2年か3年後には神殿に返す約束となっている。それまでは傷一つつけるな』

 知らされていなかった事実に愕然がくぜんとなった。繁殖用の飛竜は全て神殿の管理の元に置かれる。グスタフは最大限にコネを利用して、禁止されているにもかかわらず繁殖用の飛竜を用意したのだ。露見すれば少なからず罰せられるのだが、彼ならば全ての罪をマリーリアにかぶせることも可能だろう。全てはここ何代も竜騎士を輩出していないワールウェイド家の家名を守る為だった。

『その時はそなたもわしの手駒として嫁いでもらう。望みをかなえてやったのだ、良いな?』

 父親が告げた相手は礎の里の賢者の1人だ。父親と同年代……しかも祖父といってもいいくらい年が離れた相手の後添いだと言う。マリーリアは自分の未来が既に定められている事に戦慄し、更にはカーマインまで取り上げられることに憤り、初めて父親に反発した。

『ほぉ、そんなに嫌か? ここまでしてやったのに恩を仇で返すのか?』

 つかみかかろうとした彼女は同席していた護衛に取り押えられていた。それを父親は冷たい目で見下ろす。

『では、小娘1人で何が出来るか賭けでもするか? カーマインが成熟するまでにそなたが上級騎士として認められればそなたの勝ち。正式にカーマインがそなたのパートナーとなるように神殿側に交渉しよう。だが、認められなければ予定は変えぬ。竜騎士を辞して賢者の元へ嫁いでもらう。良いな?』

 圧倒的にマリーリアに不利な条件だったが、少しでも可能性があるならば飲むしかなかった。

『他言してはならぬ。己が力のみでなってみよ。だが、妨害だけはさせてもらうからな』

 そう言い残すと、護衛たちを引き連れて彼はその場を後にした。途方に暮れるマリーリアをその場に残して……。




 翌早朝、離宮にいるエドワルドと合流するため、アスターはヒースに見送られて城を発った。マリーリアは姿を見せず、彼女は自室の窓からそっと見送ったのだった。


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