43 追憶3

 有能な侍官が既に荷物の手配を済ませてくれていたので、エドワルドは部下と共に父の元へ辞去の挨拶を兼ねて娘を迎えに行った。

「……こうそさまは、みんなと、えっと、またこの空を見ましょうと、お、おおせになりました。そして、それを忘れないようにと、きしの、しょ、しょうぞく?に、ぐんじょうの色をえらばれました」

 アロンの部屋に入ると、アロンと肩に小竜を乗せたコリンシアがソファに2人で仲良く座っている。分からないところをアロンに教えてもらいながら、皇家の祖である初代国主の物語を子供向けに脚色した絵本を読んでいた。

「……よぉ、読めたのぉ」

 アロンは目を細めてコリンシアの頭を撫でている。彼女もうれしそうに祖父を見上げていたが、父親の姿を見ると絵本を手に駆け寄ってくる。

「父様、これ、お祖父様に頂いたの!」

「そうか。随分読めるようになったな」

 駆け寄ってきた娘を抱き上げると、コリンシアは褒められて嬉しいのか首に抱きついてくる。

「父上、ありがとうございました」

「良いのじゃ」

 アロンは相貌を崩して孫娘に笑いかけている。昨年までは国主として政務に追われ、コリンシアと2人きりでこれほど長く居る事はなかった。今回こういった機会が得られ、末の孫娘と楽しい時間を過ごせたらしい。これも、フロリエが彼女を変えてくれて可能になった事だとも言える。

「これね、帰ったらフロリエにも読んであげるの。それでね、お祖父様に教えてもらって練習してたの」

「そうか」

 あの、勉強嫌いだった娘が嘘のようだとエドワルドは思いながら、フロリエの姿を思い浮かべて彼女に感謝した。娘の頬に口づけ、彼女を床に降ろした。

「アスター卿は?」

 背後に部下が3人控えているが、常に傍にいるはずの人物が見えず、アロンは不思議に思って息子に尋ねる。

「マリーリア卿のたっての願いで、武術の指導を行っております。おそらく明朝までこちらに滞在することになるでしょう」

「そうか……」

 皇家の髪色を持つ娘をやはり気にかけているらしいアロンは一つため息をついた。ほぼ同じ頃に生まれた2人だが、ゲオルグとあまりの出来の違いにうらやむ一方で、父親であるグスタフの仕打ちに哀れにも思えてくる。皇家の人間は誰もが彼女を気にかけていた。

 気を取り直したアロンは後ろに控える3人を手招きして呼ぶ。彼らは国主の前に進み出ると、その場に跪いた。

「よいよい、立ちなさい」

 彼はそう言って3人を立たせると、動く左手でそれぞれと握手を交わす。リーガスと握手を交わす時にエドワルドは彼がジーンと結婚したことを伝えると、2人に「おめでとう」と短く祝福した。

「今後も、エドワルドを支えてくれ。……頼みますぞ」

 アロンがゆっくりだがはっきりと3人に声をかけると、3人は畏まって頭を下げる。

「恐れ多いことでございます。陛下もどうか、一日も早くお体が良くなられますよう、お祈り申し上げます」

 代表してリーガスが返答すると、アロンは満足そうに頷いた。

「では父上、任地のロベリアへ帰ります。またしばらくこちらには来られませんが、次にお会いする時には健康を取り戻されている事を願います」

 部下の3人が下がると、エドワルドは父親の傍によって彼の体を抱きしめた。

「そなたも気を付けてな。それから、これを叔母上にお渡ししてくれ」

 控えていた家令から立派な封筒に入った手紙を預かると、それをエドワルドに渡す。宛名も差出人もフルネームで書かれ、皇家の紋章で封蝋を型押しされているが、やはり中身は一行なのだろうかと思いながら彼はそれを受け取った。

「かしこまりました」

「お祖父様、お元気でね」

 最後にコリンシアが泣きそうな表情で抱きつく。

「コリンもな。またお歌を聞かせておくれ。フロリエという女性にもよろしく伝えておくれ」

「……お祖父様も、フロリエも、おばば様もみんな、ずぅっと一緒ならいいのに……」

 とうとう泣き出したコリンシアの頭を国主は苦笑しながら撫でる。

「次に来るときは、フロリエも連れて来るといい」

「はい……」

 ぐずぐず言いながらアロンにしがみつき、肩に止まる小竜は心配げに姫君の顔を覗き込む。国主は可愛い孫娘の頭を名残惜しく撫でた後、小竜にも「しっかりお仕えするのだぞ」と声をかけて撫でてやる。

 長居しても分かれがつらくなるだけなので、エドワルドは離れようとしないコリンシアを抱き上げる。そして父親に短く挨拶をすると、部下を連れて部屋を辞去した。




 ハルベルトの執務室に挨拶に立ち寄ったのち、居合わせた他団の竜騎士と休暇に入るルークに見送られてエドワルドは皇都を出発した。ただ、真っすぐに離宮へ向かわず、少し進路を変える。

 彼が立ち寄ったのは郊外にある皇家の墓所を管理する神殿だった。コリンシアを連れて中に入ると、慌てた様子で神官長が出迎える。

「これは、エドワルド殿下……」

 神官長が驚くのも無理はない。この神殿にエドワルドが来たのは妻の葬儀以来である。しかも娘を連れて何の前触れもなく現れたものだから、神殿内はちょっとした騒ぎになっていた。

「久しいな。時間が空いたから寄ったのだ。案内してくれるか?」

 エドワルドは手に白い百合の花を持っていた。ここへ来る途中に咲いていたのを見つけ、リーガスとジーンを待たせて娘ととってきたのだ。これは亡き妻が好きな花だった。

「かしこまりました」

 神官長自らが案内して墓所へ向かう。共の2人には休むように言い残し、エドワルドは娘の手を引いてその後に続く。

 神殿を抜けて回廊を歩き、荘厳な門を抜けると墓所に着く。季節が異なるせいか、なんだか印象が異なる。彼女の葬儀が行われたのは秋の終わりで早くも雪がちらついていた。今は夏の日差しが墓標を照らし、下生えの草が青々としている。

「ここなあに?」

 どこへ行くとも知らされずに連れてこられたコリンシアが不安そうに尋ねる。

「そなたの母が眠っている場所だ」

 良く理解していないらしいコリンシアの手を引き、エドワルドは目的の墓標の前に立つ。神官達の手によって毎日手入れをされているので、大理石でできた墓標は5年以上の年月が経っている割にはきれいに保たれている。


『最愛の妻、クラウディア・リーズ・ディア・タランテイル、ここに眠る』


 あの頃、碑文に何を刻んでいいか分からず、短くこの文章だけを入れてもらっていた。エドワルドは持参した花を供え、跪いて祈るとコリンシアも隣でそれを真似た。神官長が祈りの言葉をそっと添えてくれる。

「娘を連れて先に戻ってもらえますか?」

 エドワルドは立ち上がるとそう神官長に頼む。コリンシアは不安気に振り仰ぐが、父親が頷くと大人しく神官長に手を引かれて墓所を後にした。

 エドワルドは1人になると、懐から白い布の包みを出した。包みを解くと金の腕輪が出てくる。『永久の愛をあなたに クラウディア』と内側に刻まれたその腕輪は、1年目の結婚記念日にお互いで交換したものだった。

 エドワルドが贈ったものは彼女と共にこの下で眠っている。エドワルドは再び跪くと、その腕輪を百合の花の隣に添えた。

「クラウディア」

 墓標に触る手にポタリと何かが落ちた。エドワルドはそれが自分の涙だとすぐには気付かなかった。そして自分が泣いている事に気づいた時に、彼の中で何かが音を立てて崩れた気がした。

「クラウディア……」

 次々と彼女との思い出が蘇る。

 初めて会ったのは夏至祭だった。まだ自分は竜騎士見習いで、グロリアがフォルビア家の遠縁の娘を紹介してくれたのだった。舞踏会では一緒にダンスを踊った。

 無断で城を抜け出して会いに行った事もあった。グランシアードや馬で遠出をしたこともあった。

 結婚式では花嫁衣装が本当に美しかった。子供が出来たと告げられた時の喜びも思い出した。彼女の大きくなったお腹の中で、子供が動く様子を確かめた時の感動も……。

 結婚1周年の腕輪を交換し、改めて愛を誓った。難産だったが子供は無事に産まれ、家族が増えたことを喜んだのもつかの間、産後しばらくして彼女は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

 彼女の最期の言葉が蘇る。


『愛しているわ……』


「クラウディア……」

 涙が次々とあふれ出てくる。エドワルドはその場でしばらく泣いていた。

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