37 華やかな宴のその陰で3

 真夜中になってようやく宴がお開きとなり、エドワルドはハルベルトと共に彼の居室へ向かった。今朝の約束通り、女官抜きで部屋を用意してもらい、何の気兼ねもなく汗を流して部屋着に着替えた。これでゆっくりと眠れると安心して寝台に横になるが、扉を叩く音がしてハルベルトがやってきた。

「エドワルド、ちょっと付き合いなさい」

「はい……」

 逆らえるはずもなく、エドワルドは部屋着姿のハルベルトに彼の私室へ連れて行かれる。そこには既に夏物の涼しげな敷物の上に座卓が置かれ、酒肴の準備が整えられていた。

「まあ、飲め。とっておきを出したから」

 ハルベルトが敷物の上に用意された夏物のクッションの上に座ると、エドワルドもそれに習ってその向かいに座る。

「じゃ、遠慮なく」

 ハルベルトがワインのボトルを差し出すので、エドワルドは玻璃の杯に注いでもらう。香りを楽しみ、口の中で転がすように含んでまろやかな味と香りを堪能する。

「そなたがもらったものには劣るが、これもブレシッド公国産だ。うまいだろう?」

「ああ、いいな。もっと手に入ればいいのだが」

 ボトルに張られたラベルを兄に見せてもらい、今度はハルベルトの杯にワインを注ぐ。

「現状では仕方ないな。かの国とは絶縁状態だ。直接の交易ができない」

「元々は何が原因だったかな?」

「古くは数十年前にどちらの国の出身の大母補が大母になるかでもめたというのがある。結局はどちらもなれなかったが、両国の間に深い溝だけができた。

 近年では3年ほど前か。ガウラ出身の大母補が礎の里で変死したのだ。その場にいた若い竜騎士が疑われて投獄されたが、証拠が不十分で結局は釈放された」

 ハルベルトは注がれたワインで喉を潤す。

「犯人は捕まったのか?」

「薬による中毒との説もあるが、結局はわかっていない。それではガウラも黙ってはいられず、エレーナを通じて我が国にも協力を仰いできた。あまり首を突っ込まない方がいいと私もサントリナ公も進言したのだが、父上はエレーナをかわいがっていたからな。グスタフに一任したのだ」

「そうだったのか」

 この一件は本来なら極秘事項なのだろう。ロベリア総督として必要最低限の国際情勢は把握しているものの、国政に関わっている兄に比べたらその知識量は雲泥の差がある。それを補う為にグロリアはわざわざビルケ商会の会頭を紹介してくれたのだ。

「結局、分からない真相を暴くよりも、若い竜騎士の責任の追及に時間は費やされた。その若者がブレシッド公国の大公の養子だったらしい」

「……」

「ブレシッド側も相当粘ったが、とにかく区切りをつけて早く終わらせたい礎の里の上層とグスタフが結託し、その若者の竜騎士資格の剥奪という形で決着したのだ」

 当然、決着に貢献したグスタフは礎の里に太いパイプを持つことに成功し、その頃から国政に一層の発言権を持つようになったのだ。ゲオルグの不祥事が噂され始めるのもその頃からである。この時の何かが歯車に狂いを生じさせたのではないかと、ハルベルトは思う。

「その若者はどうなったのだろうか?」

「その先までは聞いてないな。どのくらい優れた資質を持っていたかは知らないが、当代きっての竜騎士であるブレシッド公が養子に望むなら優秀な若者だったのだろう。残念だが故郷に帰されたのではないかな?」

 昔から優秀な竜騎士を得るために、資質の高い子供を養子にして引き取る貴族は珍しくない。一方で怪我や病気で竜騎士への道が絶たれた場合、平気で切り捨てられている。アスターやルークが養子に望まれたのも同様の理由だが、決して本人の為になる訳ではない事を彼らは良く知っているのだ。

「もったいないな」

「確かに。他に解決法が無かったのかと今でも思うよ」

 皇家に生まれながらも2人は能力主義者だった。だからこそ、エドワルドはアスターやルーク、傭兵上がりであるリーガスをも部下に迎え、ハルベルトはグスタフを敵に回してまでも国政の改革に着手し始めたのだ。

 会話を交わしながら、ハルベルトは次々とエドワルドに酒を勧める。勧められた彼も口当たりの良さについつい飲んでしまう。




「あの雷光の騎士はなかなか天晴あっぱれな若者だな」

「ルークがどうしましたか?」

 ハルベルトは笑いながらテラスでの一件を話して聞かせる。

「ははは。下端でもいい……か。それなら遠慮なくこき使ってやろう」

「いい部下を持ったな、エドワルド」

「そうですね、私は恵まれているのかもしれない」

 エドワルドはそういうと、もう一杯空にする。さすがの彼もだいぶ酔いが回ってきたようで、動きが緩慢になってきている。

「それも国主の資質の一つだぞ」

「やめてくださいよ……どうあがいても兄上には敵いません」

「その私がそなたを見込んでいるのだ」

 そう言ってハルベルトはまたエドワルドの杯を美酒で満たす。

「今のままがいいのです。ロベリアで気心の知れた者たちと共にいるのが……」

「我儘だな。兄の願いをきいてくれないのか?」

「……」

「今は1人でも味方が欲しいのだ。帰ってきてくれ、皇都に」

「……すぐには無理ですよ」

 改革を進めている兄の苦労を知っているので、エドワルドも無下には断れない。

「わかっている。今期は無理だろうが、来期には呼び寄せたい。出来れば結婚の問題も片づけて帰って来い」

「それですか……」

 しばらくエドワルドは満たされた杯を眺めていたが、それを手に取り中身を飲み干す。

「クラウディアが他界して5年…この秋で6年だ。コリンにはまだまだ母親が必要なのは分かっているだろう?」

「クラウディア……」

 エドワルドは亡き妻の名前を出され、少し動揺する。

「いい加減、けじめをつけたらどうだ?」

「けじめ……ですか?」

「墓参りにも行ってないのだろう? 自分の中で心の整理が出来ていないから一からやり直す勇気が出ない。いつまでも彼女に縛られる必要はないと思うのだが、どうだ?」

「彼女に縛られていたら、夜遊びなんてしませんよ」

 エドワルドは動揺を押し隠すように自分で杯を満たすともう一杯あおる。

「一夜限りの相手ならば後腐れないからな。ガレット夫人にしても、ただ他の相手よりも付き合いやすいからとしか考えていないのではないのか? それでは彼女に失礼だ。それでもなお、お前の我儘で関係を続けるのであれば、互いの未来を閉ざす事になる」

「……」

「コリンに母親を作ってやれ。それがお前の幸せにつながる」

「今はフロリエがいますよ。彼女がいれば、大丈夫……」

 エドワルドはコリンシアの母親と言われて何気なくフロリエを思い出す。グロリアの館で暖炉の前に2人で座って遊んでいる光景を思い出していた。

「いい娘みたいだな」

「ああ……」

「だがな、いつまでもいてもらえるとは限らないのだろう?」

 確かに、記憶が戻れば場合によってはグロリアの元に居られなくなる可能性もある。

「そう……だったな」

 緩慢な動きで杯を手にし、エドワルドはもう一杯ワインを飲み干す。杯を座卓に置くと、彼はゆっくりと床に置かれたクッションに倒れこむ。

「エドワルド?」

 返事はない。どうやら眠ってしまったようである。ハルベルトは己も覚束ない足取りで立ち上がると、彼に上掛けをかけてやる。そして自分も寝台に倒れこむようにして眠りについたのだった。


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