38 フォルビア正神殿1

 規則的な車輪の音に耳を傾けながら、オリガは馬車に揺られていた。彼女の隣にはフロリエが座り、2人の正面にグロリアが腰かけていた。先程までは、グロリアが語る子供の頃のエドワルドの武勇伝に耳を傾けていたのだが、話が一段落したこともあって車の中には規則的な車輪の音しか聞こえてこない。

 鳥のさえずりに誘われてオリガはふと窓の外に目を向ける。馬車の周りには数人の兵士が護衛としてついており、それを目にした領民たちがあわてて道を譲っているのが見えた。物々しい警備と車に付けられたフォルビアの紋章……きっと彼らは女大公が外出しているのは珍しいと噂しているにちがいない。そう言われてもおかしくないほど、グロリアが館の外へ出るのはまれなことだった。

「女大公様、お疲れではありませんか?」

 会話が途絶え、フロリエがグロリアを気遣って声をかけると、オリガと同様に外を眺めていた女大公は向かいに座るフロリエに視線を移す。

「心配いらぬ。外の景色を眺めていたのじゃ」

「お珍しいものでもございましたか?」

「なに、外出が久しぶりじゃからの、年甲斐もなく浮かれておるのじゃ。これではコリンと同じじゃの」

 小さな姫君は、皇都に出立する数日前から嬉しさのあまり何も手に着かず、終いには女大公様から久々にお小言をもらっていた。

「これではもうコリンを叱れないの」

「私が黙っておりますから大丈夫です」

 苦笑するグロリアにフロリエは内緒話をするように小声で答え、「では、そうしてもらおうかの」と2人は楽しげに話をしている。

 今日の外出が決まった折、大騒ぎして決めたフロリエの衣装は、新緑の季節に合わせた緑の絹地に裾の方に金糸や銀糸でつる草の刺しゅうを施されたドレスだった。髪も金糸を織り交ぜた明るい緑のリボンで軽く結い、草花をモチーフにした髪飾りをつけている。そのほかの装飾品も華美ではないものを選び、慎ましやかな彼女に良く似合っている。

 一方のグロリアはレンガ色の落ち着いた色合いのドレスだった。こちらにも金糸や銀糸を使って刺しゅうが施され、彼女の威厳を際立たせている。

 オリガは会話を交わす2人を眺めながらそっとため息をついた。これだけ女大公にも小さな姫君にも望まれ頼りにされているにもかかわらず、未だにフロリエをうとんじる者が館の中にいる事実に彼女は心が痛んでいた。

 特にこの春から行儀見習いで奉公に来ている若い3人の侍女達は、エドワルドから贈られたフロリエの素晴らしい衣装の数々に羨望の眼差しを向けながらも、彼女への待遇に不満を抱いていた。

『あの人は姫様と遊んでばかりいるのに、どうして私達が働かないといけないのよ! もう我慢できない!』

『知ってる? あの人、殿下の同情を誘うために本当は嘘ついているって』

『嘘~』

『本当は娼館から逃げた娼妓なんじゃないかって疑われているらしいわよ』

『信じられない』

『じゃあ、私達であの人の嘘を暴いてやりましょうよ』

『賛成』

 館への奉公を許されるのはこの地方でも裕福な家の娘ばかりだ。プライドばかりが高く、相手の事を知ろうともしないでいる。彼女達の陰口を耳にしたのは偶然だったが、その激昂ぶりに聞いているだけで恐ろしくなった。いつか敬愛するフロリエの身に危害が及ぶのではないかと、オリガは恐れた。

「……オリガ?」

「どうしたの?気分が悪いの?」

 気付けば楽しく会話を交わしていたグロリアとフロリエが、顔を覗き込んでいた。話しかけられたらしく、返事がないのを不調と思われたようだ。

「す、すみません、考え事をしておりました」

 慌てて謝罪するが、2人はなおも心配そうに尋ねる。

「顔色が悪いようじゃ。酔うたか?」

「馬車を止めていただいて、少し休みましょうか?」

 フロリエがそっと手を握って包み込んでくる。それだけで不思議と不安が安らいでくる。

「大丈夫です」

 2人はなおも気をかけてくれるが、どうにか不調ではない事を納得してもらい、そのまま目的地に向かってもらう。

 オリガは聞いたことを弟のティムにしか相談していない。実際に何かされたわけではなく、ただオリガが話を聞いただけだ。証拠もないのに騒げば自分が逆に責められるだろう。結局は気にかけて様子を見ておこうと2人の間で話が決まっていた。




 途中立ち寄った村で昼食をとり、昼過ぎになってようやく目的のフォルビア正神殿に到着した。女大公グロリアのお出ましとあり、神官長ロイスが自ら出迎え、そして居合わせた人々の注目を浴びながら、彼女達は主殿に参拝した。グロリアの体調を気遣い、今夜は神殿に泊まる予定になっているのだが、多忙な神官長は今夜の晩餐と明朝の会談ぐらいしか会う時間がとれないと断り、案内を女神官に任せるとすぐに仕事に戻ってしまった。

「晩餐の時間までまだ時間がある。そなた達は神殿内を案内してもらうといい」

 一行は神殿に隣接された居住棟にある客室の中でも、特別な客に用意される最上級の部屋に案内されていた。さすがに疲れたのか、グロリアは客間に通されると煌びやかな訪問着を脱ぎ、ゆったりとした衣服に着替えてくつろいている。彼女は空いたこの時間に少し体を休めたいらしく、フロリエとオリガにはこのままここに居ても退屈だろうからと神殿内の見学を勧めてくれたのだ。

「お傍に控えて居た方がよろしいのでは?」

「あの子たちがおるから大丈夫だ」

 伴った侍女はオリガだけなので、神殿側が気を利かせて見習いの女神官をつけてくれていた。10代半ばらしい2人の見習い女神官は、女大公の御前とあって少し緊張した面持ちで控えている。2人は顔を見合すと、少しだけ年長の少女がグロリアの世話に残り、年下の少女が神殿内の案内をしてくれることになった。




 案内してくれたのは敷地の一角に作られたハーブ園だった。それ程広くはないが、数種類のハーブが整然と植えられ、辺りにはその優しい香りが漂っている。通路もきちんと整備されていて、オリガに手を引かれながらフロリエは散策を楽しんでいた。

「いい香り」

 ちょうど花も見ごろで、オリガはフロリエの為にどこにどんな花が咲いているか、事細かに口で説明する。フロリエは風が運んでくる香りを楽しみながら、オリガの説明を元にどんな光景が広がっているかを脳裏に思い浮かべる。

「よく手入れされていますね」

「ここは、私達見習いの女神官がお世話をいたしております」

 2人がハーブ園を褒めると、イリスと名乗った少女は嬉しそうに顔をほころばせる。

「大変ではありませんか?」

「これもダナシア様にお仕えする務めになりますから」

 妖魔の討伐で使われる香油は各神殿で聖別して作られる。それにはハーブが不可欠で各神殿で微妙に配合が異なってくる。ここのハーブはその香油作りに使われているのだと彼女は説明する。

「大事なお勤めですわね」

「はい」

 美しい客人に褒められ、イリスは誇らしげに胸を張る。

 ハーブ園をすぐには去り難く、散策を続けていた3人は庭の端にあったベンチで一休みしていた。通路が整備されているとはいえ、フロリエは今日の衣装に合わせた踵が高めの靴を履いていた。屋外を歩くには少々不向きで、気を利かせたオリガが彼女をベンチに誘ったのだ。

「あら、あちらには温室があるのね」

 ハーブ園の境となっている植込みの向こうにオリガは温室の屋根が見えるのに気付いた。

「温かい地域の植物を植えているのですか?」

 フロリエがイリスに問うと、彼女は少し困った様な表情を浮かべる。

「あの温室では希少な薬草が育てられているそうです」

「薬草ですか?」

「はい。詳しくは知りませんが、神官長様が研究に必要だからと偉い方に頼まれて育てているそうです」

「中には入れませんの?」

「常に鍵がかけられていまして、専任の方が管理されていると伺っています」

 余程希少なものなのだろうか、その厳重さに話を聞いた2人は驚く。

「あの辺りは元々薬草園になっていまして、私達の様な見習いが入る事を許されていない区画になります。温室の話も先輩達の噂で知りました」

 神殿にも色々と事情があるらしい。イリスが困っている様子なので、2人は温室についてはそれ以上の詮索は控える事にした。


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