15 月明かりの部屋2

 月光が差し込む室内の寝台から一人の女性が起き上がった。薄物一枚身にまとい、サイドテーブルのデカンタからワインをグラスに注いで飲み干す。

「私にもくれないか?」

 寝台に寝ころんだままの男がねだる。

「そのままではこぼしてしまわれます」

 そう指摘されてしぶしぶ男は体を起こす。月光を受けてキラキラと輝くプラチナブロンドの髪に秀麗な顔立ち、鍛え上げられた上半身があらわとなる。

「さあ、どうぞ」

 女性がグラスを差し出すと、男は礼を言って受け取り、一気に飲み干す。

「もう一杯くれ」

 彼がグラスを差し出すと、女性はワインを注ぐ。デカンタは空になった。

「急にいらっしゃるから用意が整っておりません。これで最後ですわ」

 女性は空になったデカンタを見せると、優雅に微笑む。歳は30くらいだろうか、豊かな栗色の長い髪はつややかで美しく、薄物の上からでも豊満で成熟した美しいボディラインがはっきりとわかる。

「すまない」

 男は律儀に謝り、飲み終えたグラスを女性に返す。

「気を使いすぎて疲れてしまったのだ。もっといやしてくれないか?」

「あらあら……。竜騎士としては勇猛果敢に妖魔に立ち向かい、総督としては公正明大な執政で知られるエドワルド様のお言葉とはとても思えませんわ」

 ころころと笑いながら女性が寝台の縁に座ると、エドワルドは自分の腕の中に彼女を引き寄せた。

「そんなこと言うなよ、エルダ」

 エドワルドがロベリアの街外れにあるこの梔子くちなし館に通うようになって2年余り経つ。彼の部下達だけでなく、世間では彼に複数の恋人がいると思われているが、本当に付き合っているのは目下この女性だけである。



 エルデネート・ディア・ガレットと名乗るこの女性の事を、つい最近まで彼は中流貴族の未亡人としか知らなかった。今まで付き合ってきた女性達のように、金品をねだるどころかこちらからの贈り物も受け取らず、逆にコリンシアへと子供好みの品々を用意してくれる事もある。付き合い始めた頃に無理に贈り物をしようとした事があったのだが、「これを頂く時はお別れする時です」と言われ、以来金品を贈るのはあきらめていた。

 興味本位で付き合い始めたエドワルドだったが、彼女の裏表のない物言いに魅かれ、時折ここを訪れては疲れた心と体を癒していた。ここでは彼も押し込めていた本音を吐露とろし、時には副官のアスターとは違う視点の助言を与えてくれる彼女は得難い存在になっていた。

 実は、総督としてロベリアに赴任した当初のエドワルドは妻に先立たれて心がすさみ、本当に私生活が荒れていた。仕事は放棄しなかったものの、ろくに娘の世話もせず、夜毎侍らせる女性を変えて遊び歩いていたのだ。その事が皇都で国主の補佐をしている兄の耳に届き、5大公家の一つ、サントリナ家に嫁いだ一番上の姉とも相談してその様子をうかがう為に誰かを送り込むことになった。

 その頃、夫を亡くしたエルデネートは生活に困り、奉公先を探していた。それをつてから知りえたサントリナ公夫人が彼女にエドワルドの様子を知らせるように頼んだのだ。やがて彼女がエドワルドの目に留まって付き合い始め、徐々に彼は本来の落ち着きを取り戻した。

 ひょんなことからエドワルドが真実を知ったのは半年ほど前だった。皇都に戻ろうとしたエルデネートを全力で引き止め、そのまま大人のいい関係を続けている。しかし、彼のプロポーズは受けてもらえなかったのだ。




「そんなにお疲れになるほど何をなさったのですか?」

「ピクニック」

 エドワルドは端的に答えた。

「あらあら、コリン様のお相手でしたか」

 エルデネートは小さな姫君の姿を思い出して苦笑する。この2年の間に幾度か顔を合わせたことがあるが、彼女は大事な父親を奪うライバルとしてコリンシアから嫌われていた。グロリアも有能な人材とは認めているものの、エドワルドの恋人……ひいては結婚相手としては相応しくないと彼に苦言している。もっともそれはエルデネート自身も望んではいない。

「コリンもいたが、ちょっと違うな」

 エルデネートの髪をもてあそびながらエドワルドが答える。彼女は不思議そうに彼を振り仰ぐ。

「彼女を助けた場所へ連れて行った。何か思い出すきっかけになればいいと思ってな」

「春先にお助けになられたあの女性ですね。何かあったのですか?」

 フロリエを助けた経緯をエルデネートはエドワルドに聞いて知っていた。グロリアに気に入られ、コリンシアにも慕われていると聞き、身寄りのない女性が路頭に迷う心配が無くなりほっとしていた。気難しいグロリアが気に入らなければ、自分がケアをしようかと本気で考えてもいたのだ。

「恐怖心だけだったな、思い出したのは」

「まぁ……」

 エドワルドは彼女を抱く腕に力を込めた。

「エドワルド様?」

「恐怖のあまり彼女は失神した。かえって気の毒な事をした」

 余計な事をしたのかもしれない、とエドワルドは悔やんでいた。

「その後はどうなさったのですか?」

「少し休ませた後、皆で昼食をとった。部下達が盛り上げてくれたおかげで最後には楽しかったと言ってくれた。気をつかってくれたのかもしれないが……」

 エドワルドはため息をついた。

「その方は本心をおっしゃられたのではないでしょうか?」

「そうかな?」

「そうですとも。自信をお持ちくださいませ」

 にこりと微笑むと、エルデネートは彼の頬に軽く口づける。

「エルダ……」

 エドワルドは改めてエルデネートを抱きしめ、唇を重ねる。そしてそっと寝台に押し倒し、その成熟した体を隅々まで堪能する。甘い吐息で満たされた部屋で交わされる恋人達の逢瀬おうせを月光が静かに照らしていた。




 白々と夜が明ける頃、エドワルドはいつものように恋人に見送られて館を辞去し、総督府へと帰っていった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



9日12時に閑話を更新します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る