14 月明かりの部屋1
フロリエは寝付けずに寝台から体を起こした。久しぶりに屋外に出て、体は疲れているはずなのに眠れない。昼間、エドワルドが連れて行ってくれたピクニックで、小竜や馬を通して見た彼の姿が忘れられずに胸が高鳴っている。彼に手を取られて踊り、飛竜の背では怖くてその
「…う…ん、」
昼間見たコリンシアの愛らしい姿を思い出し、フロリエはいつの間にか笑みを浮かべていた。ウェーブしたプラチナブロンドの髪は青いリボンで束ねられ、日の光を受けてキラキラと輝いていた。サファイアブルーの大きな瞳も髪に負けないほど輝き、子供らしいバラ色の頬もかわいらしく、満面の笑みで自分を見上げていた。
「お風邪を召しますよ」
コリンシアがまた上掛けをはねのける。フロリエは口元に笑みを浮かべたまま上掛けを優しく直し、小さな声で子守唄を口ずさむ。初めて会った、あの時のように……。
日は既にのぼっているのにいくら目を凝らしても辺りは闇。何も見えない、何も覚えていない。あの時フロリエはわが身に起こったことが理解できず、不安に押しつぶされそうになっていた。
前日に妖魔に襲われていたところを助けられ、このお館に運び込まれたという。助けたのはロベリアの総督を務めているこの国の皇子様。運び込まれたのはその皇子の縁続きだという女大公様が隠棲するお館。身の回りを世話してくれた侍女が教えてくれたが、目も見えず記憶もない彼女にどう接していいかわからなかったらしく、早々に下がってしまった。彼女は1人、放っておかれるように取り残されていた。
ガシャーン!
パタパタパタ……
何かが壊れる音と小さな子供のものらしい足音が聞こえてきた。寝台に横になったまま、彼女は物憂げに首をめぐらす。まだ、何かで打った頭が痛くて体も起こすことができない。
パタパタパタ……
ガチャッ、バタン!
部屋のドアが開いて勢いよく閉められる。
「……えくっ……ヒック……」
どうやら入ってきた子供は戸口で泣いているらしい。外では何人かの使用人が怒ったような口調で何やら話しているのが聞こえる。やがて、その話し声はどんどん遠ざかって行った。
「……ヒック、ヒック……」
フロリエがいる事に気づいていないらしく、子供はまだすすり泣いていた。
「……どうしたの?」
思い切って彼女は声をかけてみた。少女は突然かけられた声にびっくりしたらしく、泣き止んだ。おそらくこちらを凝視しているのだろう、強い視線を感じた。
「おいで……」
寝台からまだ起きられない彼女は驚いているだろう子供に向かって手招きする。しばらく固まっていた子供は、意を決したのか彼女に近寄ってくる気配がする。
「どうしたの?」
「……」
近寄ってきたものの、まだ警戒しているのか口を開こうとしない。彼女は笑みを浮かべてそっと手を伸ばした。おおよその位置を検討して伸ばすと、柔らかな髪に触れた。子供はビクリと体を硬直させたが、優しく何度も撫でてやると、安心したのか寝台の縁に上がり込んできた。
「……壊しちゃったの」
子供はぽつりと呟く。
「何を?」
「おばば様が飾ってたお皿」
大きな音の正体はこの子供が皿を割った音らしい。
「どうして?」
声が聞こえる位置に向けて彼女は首を傾げる。てっきり怒られると思っていた子供はびっくりして相手を見返す。
「……怒らないの?」
「理由を聞かないうちには怒れないわ。わざとじゃないかもしれないし」
「……」
子供は相手の顔をまじまじと見つめる。
「……子猫のブルーメが棚から降りれなくなってたの」
「それで?」
ようやく子供が口を開いた。彼女は微笑みながら先を促す。
「助けてあげようとして、棚に上ったらお皿が落ちて割れちゃった」
「誰も呼ばなかったの?」
「……忙しいから、後でって」
子供の声はだんだん小さくなる。彼女は子供の頭をなで続けた。
「ちゃんとごめんなさいって言いましょう」
「……コリン、わざとじゃないもん」
ちょっとすねたような返事が返ってくる。きっと口はへの字に曲がっているに違いない。
「大事なものが壊れておばば様はきっと悲しんでおられるでしょう。侍女の方々も割れたお皿を片づけてくださっています。わざとじゃなくても、悪いことをしたと思ったら、ごめんなさいって言いましょう。そうすれば、ちゃんと許して下さいますよ」
「……」
彼女の言葉を理解しようとしているのか、子供は寝台に座ったまま黙り込んでいる。
コンコン
扉を叩く音がしてフロリエの返事を待たずに扉が開き、年配の侍女が入ってきた。子供は脅えたように彼女の手にすがりつく。
「ここにおられましたか。コリンシア様、女大公様がお呼びでございます」
「……」
子供はなおも
「大丈夫ですよ。訳をきちんとご説明申し上げて、きちんと謝ればきっと許して下さいます」
「……」
おそらく、子供は脅えたように彼女を見ているのだろう。その様子を傍らで見ている侍女は怒ったように子供をせかしている。
「頭ごなしに怒らないであげて下さい。理由がございます。それをこの子の口からきいて下さいますよう、女大公様にお
主であるグロリアやエドワルドから客人として扱うように言われているが、目も見えず記憶もない、どこか得体の知れない彼女から進言を受けて年配の侍女は面食らう。
「さぁ、目上の方をお待たせしてはいけません。涙をふいて、女大公様の元に行きましょう」
「……お姉さんも来て……」
子供の希望に彼女は困ったように首を振る。
「まだ動けないの。大丈夫、ちゃんと許していただけますから」
子供を安心させるように微笑みながら優しく
しばらくすると、タタタ……と元気よくかけてくる足音が聞こえてきた。カチャリと扉が開いて、誰かが部屋に入ってくる。
「お姉さん!」
先ほどとはうって変わり、明るい声で子供が声をかけてくる。聞くまでもなく、ちゃんとお許しをもらったようだ。
「おばば様が許して下さったの。お姉さんが言ったとおり、ごめんなさいって言ったら許してもらったの!」
子供は弾むような声で結果を報告してくれる。フロリエは微笑むと子供の頭をなでた。
「よかったわね」
「うん。……ありがとう」
感謝の言葉は少し小さな声で付け加えられた。
それからしばらくの間、子供は彼女にいろいろな話を聞かせてくれる。大好きな父親の事、怖いけど好きなおばば様の事、子猫のブルーメに世話係兼教育係の侍女の事等々……。
やがて、子供は小さくあくびをする。走り回ったり、泣いたりして疲れたのと、厳しいおばば様からお許しをもらって安堵したのとで眠気がきたのだろう。言葉が途切れがちになる子供に寝台の隣で横になるよううながすと、靴を脱いで上がりこんでいた彼女はすぐにコテンと横になった。
「……また…お話……していい?」
「ええ。ぜひ、聞かせてくださいませ」
来客用の寝台は広く、子供1人が増えたくらいでは全然窮屈に感じない。フロリエは眠ろうとする子供をあやしているうちに、自然と口から子守唄が出てきた。小さな声で優しく歌っていると、傍らからは小さな寝息が聞こえてきた。
一時ほどして、小さな姫君を探して先ほどの年配の侍女が客間をのぞいてみると、2人は寄り添うようにして眠っていた。
……これが小さな姫君に変化をもたらした第一歩だった。
夜が明けて、いつも通りオリガが朝の御用を伺いに部屋に入ると、2人ともまだ眠っていた。フロリエもまだ起きていないことに珍しいと思いながらも、仲良く寄り添う姿をほほえましく思い、オリガは音をたてないように静かに朝の支度を整えたのだった。
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