8 好ましい変化3

 フロリエの影響によるコリンシアの変化はそれだけではなかった。日が沈む頃、夕食の支度が整ったとオルティスに告げられ、衣服を改めたエドワルドが食堂に行くと、コリンシアは既に席についていた。

 これは別に珍しいことではないが、先に食べ始めずに皆がそろうのを大人しく待っていたのだ。

 グロリアとエドワルドが席に着き、コリンシアの傍に控えていたフロリエが彼女の隣に着席する。そして大いなる母神ダナシアに祈りの言葉をささげてから食事を始めたのだ。

「コリン様、またお野菜を残しておいでですね?」

「どうしてわかるの?」

 図星だったコリンシアはぎくりとする。皿にのっている肉料理は半分ほど食べているが、付け合せの野菜には手をつけていない。

「先日お教えした方法で召し上がってください。お野菜はコリン様が大きくなるのに大切な役割があるのですよ」

 フロリエにうながされ、コリンシアは仕方なく野菜を一つとり、ナイフで細かく刻んだ。そしてその野菜と肉を一切れ、一緒に口の中に入れる。小さな姫君は頑張って口を動かし、涙目になりながらどうにか飲み込んだ。

「もう一つ頑張りましょう」

 微笑みながらフロリエに言われ、コリンシアは再び野菜と格闘する。その様子をグロリアは穏やかな笑みを浮かべて見守っている。

「殿下、食が進まないご様子ですが、お口に合いませんか?」

 一向に食べようとしないエドワルドを心配し、オルティスが声をかけてくる。見れば料理は全く手が付けられておらず、先ほどから黙り込んでワインばかり飲んでいる。

「いや、大丈夫だ」

 エドワルドは我に返り、あわててフォークを手に取って冷めかけた料理を口に運ぶ。ただ単に、コリンシアとフロリエのやり取りに目を奪われていたのだ。娘の変化に喜びと同時に戸惑いも感じ、それを成し遂げた女性に畏敬いけいの念を覚える。本当に頭が下がる思いだった。

 エドワルドは実に数年ぶりに、この館で落ち着いて夕食をとることができたのだった。

「コリン、明日はピクニックに行かないか?」

 食後の飲み物が運ばれてきたころ、ようやくおちついたエドワルドは娘に提案する。

「行きたい! フロリエも一緒でいいでしょ?」

 コリンシアは目を輝かせ、嬉しさのあまり身を乗り出して答える。

「もちろんだ」

 エドワルドは快諾かいだくするが、フロリエは困ったように眉をひそめる。

「せっかく親子で楽しまれますのに、私が行っては邪魔になってしまいます。それに……」

 その先をグロリアが言わせなかった。

「フロリエ、エドワルドはそなたを助けた場所へ連れて行きたいそうじゃ」

「え?」

「何でもいい。記憶が戻るきっかけになればいいと思ってな」

「私の?」

 穏やかに声を掛けられ、フロリエは言葉に詰まる。

「もちろん、ただ楽しんでいただけたらと思う。部下達も来るから遠慮はいらない」

「気分転換に行ってくるといい。ここにいると、なかなか外に出ることも無いだろうから」

 世話になっているグロリアと、助けてもらったエドワルドの2人に勧められると弱く、フロリエはようやく申し出を受ける。

「……はい、ありがとうございます」

「わーい! フロリエも一緒にお出かけ。楽しみだ!」

 コリンシアのはしゃぐ声に連れられて、フロリエもつい笑顔になる。

「それでは、今日は早くお休みにならないといけませんね」

「はーい」

 フロリエの言葉にコリンシアは素直に頷いた。




 春になったとはいえ、夜はまだまだ冷えるので暖炉に火が入れられる。持病を持つグロリアの体を気遣い、館の中を一定の温度で保つためでもあった。

 夕食後、居間に移ったコリンシアとフロリエは、その暖炉の前の敷物に座って楽しそうに手遊びで遊び始めた。グロリアはいつもの安楽椅子に座り、エドワルドはオルティスが用意してくれたワインを飲みながら、ぼんやりと楽しそうに遊ぶ2人をながめている。

「もう、酔ったのかえ?」

 心ここにあらずといった風情のエドワルドにグロリアが声をかける。

「いえ、コリンが楽しそうだと思いまして……」

「フロリエと共に過ごすようになって、あの子は変わりましたよ。フロリエはフロリエで誰に対しても、何にしても極端に遠慮する節があるが、小姫のおかげで打ち解けてくれるようになった。あの2人のおかげで、今はこの館は笑い声が絶えない」

 グロリアは目を細めて遊ぶ2人を眺めている。

「しかし……彼女は一体どこから来たのだろう……」

「不思議な娘ですよ。あれだけの素養を持った娘は皇都でもなかなかいませんよ」

「同感です」

 グロリアの言葉にエドワルドはうなずき、グラスに満たしたワインで喉を潤す。



 やがてコリンシアがお休みの時間になり、敷物からフロリエと仲良く手をつないで立ち上がると、エドワルドとグロリアにお休みの挨拶をする。

「父様、おばば様、お休みなさい」

「お休み、コリン」

 コリンシアは父親とグロリアにお休みなさいのキスをし、フロリエの手を引いて居間の戸口に向かう。退室前にはきちんとお辞儀をして部屋を出て行った。本当に一月前のコリンシアからは想像ができない行動だった。

「私はあの子が何者であれ、我が家に引き取りたいと思います」

 グロリアの言葉にエドワルドは驚く。

「随分……気に入っておられるようですね……」

「そなたは気に入りませんか?」

「いえ、珍しいことだと思いまして……」

 グロリアは人の好き嫌いがかなり激しい。例え身内でも気に入らない相手には会おうともしないし、使用人もよほど気に入らなければ身の回りに置かない。隠居して10年経つのに、後継者を置かないのが最たるものだろう。それをまだ、会って一月ほどの女性を引き取りたいと言う。本当に珍しい。

「なんとなく似ているのですよ、彼女に……」

「え? 誰にですか?」

 エドワルドの問いに答えようともせず、グロリアは自分も休むと言って席を立つ。

「そなたもほどほどで休みなさい」

 そう忠告すると、彼女は居間の奥にある自室へ行ってしまう。

「一体誰に……」

 フロリエの身元が分かる手がかりになるかもしれない。それなのに何も言わないグロリアに疑念を抱きつつ、先ほどまでそこで娘の相手をしてくれていた女性の姿を思い浮かべる。

 身内には似ている女性はいない。自分の知る限りの人物にも当てはまらない。そうなると、グロリアの昔の知り合いと言うことになる。言わないのには何か訳があるのだろうと思い込むことにして、彼はしばらくの間グラスを一人で傾けた。

 オルティスが用意してくれたワインはブレシッド公国産の最高級品だった。過去のいざこざで国交が絶えてしまい、大陸で最も美味で有名なワインが今では入手できなくなっていた。その貴重な逸品は味わい深く、ついつい飲みすぎてしまい、気付けばボトルを空にしていた。エドワルドは最後の一杯を飲み干すと、いい気分でいつもの部屋に向かう。

 この館の主であるグロリアが一階の客間を改装した部屋を使っているので、エドワルドはこの館の主寝室として作られた部屋を使わせてもらっていた。私室に入ると上着を脱いでソファにかけ、娘が寝ている奥の寝室の扉を静かに開ける。

 明かりを落とした部屋の中、コリンシアがぐっすりと眠っている寝台の脇にフロリエが座って編み物をしていた。見えないはずなのになかなかの手さばきである。すると、コリンシアが寝返りして上掛けを蹴飛ばす。フロリエは気配でそれを察知し、手探りで上掛けを元に戻し、再び編み物を続ける。

「ずっとついていたのか?」

 エドワルドが寝室に入り、小声で声をかけると、フロリエは立ち上がって頭を下げる。

「はい。すぐに布団を蹴られるので、直さないとお風邪を召されますから」

「悪かったな、遅くまで」

 美味しいワインを味わいながら飲んでいたので、すでに深夜と言っていい時刻である。

「いえ……お役に立てるのでしたら、嬉しく思います」

「もう遅い。私も休むから、そなたも部屋に戻って休みなさい」

「はい」

 フロリエは頭を下げると、編み途中の物を籠に片づけて持ち、慣れた足取りで戸口に向かおうとする。

「部屋まで送ろう」

「すぐそこでございますから……」

 フロリエは遠慮しようとしたが、エドワルドは彼女の手を取り、自分の腕につかまらせる。

「ほんの気持ちだ」

 そう言って彼は歩き始めたため、フロリエもそれ以上は何も言えずに従った。

 フロリエの部屋は、最初に彼女を休ませる為に用意してもらった客間をそのまま使っていた。エドワルドが使っている部屋のすぐ隣で、部屋を出ればすぐだった。

「ありがとうございました」

 フロリエが深々と頭を下げる。

「礼を言うのは私の方だな。コリンをかまってくれてありがとう。そなたのおかげで素直になった」

「恐れ多いことでございます。及ばずながら、身の回りのことを手伝わせていただきとうございます」

「そうか……すまないが、これからもよろしく頼む」

「かしこまりました」

 フロリエは品良くお辞儀をすると、「それでは失礼いたします」と言って自分の部屋に入っていった。

 夜も更けた上に度数が強めのワインを相当飲んだため、さすがのエドワルドも眠気を覚える。部屋に戻ると夜着に着替え、熟睡する娘の横に潜り込んで目を閉じたのだった。

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