9 晴れた空の下で1

 翌日は絶好のピクニック日和だった。コリンシアは朝食もそこそこに、急いで着替えを済ませると、わくわくしながらフロリエを迎えに行く。

「フロリエ、行こう!」

 小さな姫君が扉を叩いて部屋に入ると、フロリエもちょうど着替えを終えたところだった。

 今日はシルクのブラウスに外出用のスカートをはいていて、春向きの薄手の外套がいとうをはおっていた。これらもグロリアが着なくなったものを仕立て直したもので、全体的に色が地味である。

「コリン様、おはようございます」

「おはよう、フロリエ、オリガ」

 部屋にはフロリエの他に年若い侍女がいた。基本的にグロリアの身の回りには古参の使用人ばかり仕えているが、近隣の富裕層の子女が行儀見習いとして短期間だが奉公に上がることがある。彼女たちの大半は、館に出入りするエドワルドをはじめとした優秀な竜騎士に見初められれば……といった下心がある。だが、グロリアの厳しさに辟易えきえきしてあまり長続きしない。

 オリガはそんな若い侍女達の中では数少ない例外で、昨年の秋に弟と共に奉公へ上がり、グロリアにもコリンシアにも献身的に仕えてきた。ちなみに弟のティムは厩舎の手伝いをしている。竜騎士の素質もあるので、館に来る飛竜達の世話をしながら必要な知識を勉強中だった。

 フロリエは大抵の事は自力でできるが、目が見えない為に出来ない事もある。そんな彼女を補佐するために、グロリアは歳も近いオリガを彼女の世話係として付けてくれたのだ。コリンシアも始終フロリエにまとわりついているので、3人は一日の大半を共に過ごしており、短期間で気の置けない間柄となっていた

「いいお天気で良かったですね、コリンシア様」

 にこにこと優しく微笑みながらオリガはフロリエの帽子を手直ししている。コリンシアは椅子に座ったままのフロリエの傍まで来ると、嬉しさを隠し切れ無い様子で2人を見上げる。

「うん。父様はもう降りたよ。フロリエも早く行こう!」

 手直しが終わるのを待ちきれない様子で姫君はフロリエの手を取る。フロリエも嬉しそうなコリンシアの声につられて自然と笑みがこぼれ、手直しが済むと姫君の手を取って椅子から立ち上がる。仲良く戸口に向かおうとするが、オリガはコリンシアを呼び止める。

「姫様、少しお待ちくださいませ」

 小さな姫君が立ち止ると、オリガはそっと近づいて腰をかがめ、ほどけかかっている腰帯を結びなおす。

「はい、いいですよ」

「ありがとう、オリガ」

 コリンシアは素直にお礼を言うと、再びフロリエの手を取って戸口に歩き出す。オリガもフロリエの身の回りの荷物を持って後に続く。

 階下に降り、居間に顔を出してグロリアに朝の挨拶と出かける旨を伝え、玄関を出た。

「早かったな、コリン。おはよう、フロリエ」

 飛竜の支度をしていたエドワルドが、玄関から出てきた淑女たちに声をかける。今日は討伐に行くわけではないので、彼は騎竜服に薄手の外套という軽装だった。ただ、護身の為に腰には長剣を下げている。

「おはようございます、殿下。今日はよろしくお願いします」

 フロリエは声の主に頭を下げる。エドワルドは1人駆け寄ってきたコリンシアを抱き上げると、エアリアルの準備をしている蜂蜜色の髪をした若者を身振りで呼ぶ。

「フロリエ、今日、同行する部下のルークだ」

「おはようございます、ルーク様。どうぞよろしくお願いします」

 紹介された竜騎士にフロリエは深々と頭を下げる。この一月の間に、彼は何度か使いでこの館を訪れていたが、フロリエと顔を合わす機会は無かった。館の使用人達から彼女の話を聞いていたが、それでも上品な物腰の女性と助けた時の姿が重ならずに驚き、さらにはその女性から様を付けて呼ばれてルークはあわててしまう。

「あの、俺……私はまだ竜騎士になって日が浅いし、貴族の出じゃないから、様は止めてください。体中がむず痒くなります」

「わかりました、ルーク卿と呼ばせて頂きます」

「はい、よろしくお願いします」

 真っ赤になって狼狽えるルークを上司のエドワルドがにやにや笑いながら見ている。その腕の中でコリンシアが声をたてて笑い、ルークの顔はますます赤くなる。

「ルーク、自信を持てと言わなかったか?」

「もう少し、時間を下さい」

「わかった」

 若い竜騎士にエドワルドは笑いながら頭を小突いた。

「殿下、飛竜は2頭いるのですか? 挨拶をしてもいいですか?」

「そうです。是非ともしてやってください」

 フロリエの申し出にエドワルドは快諾すると、彼女を飛竜達の傍に案内する。

「彼は私の相棒グランシアード。もう一頭はルークのエアリアルです」

 エドワルドはフロリエの手を取り、グランシアードの頭を触らせる。彼女は恐れることなく飛竜の頭をなで、その大きな頭を抱えるようにして頬を寄せる。

「グランシアード、今日はよろしくね。……まぁ、あなた大きな竜なのね。大地の力強さを感じるわ」

 その言葉に竜騎士2人はギョッとする。特にエドワルドは自分の飛竜については彼女に何も話していなかったので、なおさらである。

 グランシアードは他の飛竜に比べて確かに大きく、彼女の言うとおり大地の力を備えていた。目が見えない彼女は飛竜の纏う力だけでそれを言い当てた事になるが、それができるのは神殿に仕える高位の神官か上級の竜騎士である。しかも相当の修練が必要になる。

 助けた時の防御結界と言い、やはり彼女はただの村娘ではないのだろう。もしかしたらダナシアの教えを守る大母補の候補として育てられたのかもしれない。

 そのうちエアリアルが自分もかまってほしくなり、フロリエに頭を寄せる。彼女はそれに気づくと、同様に頭をなでて頬を寄せる。

「あなたがエアリアルね。……とても速く飛べるのね。風の力を感じるわ」

 ごく自然にエアリアルの力も言い当てる。ルークは驚きを隠せない。

「団長、あの方は一体……」

「わからん。少なくとも私と同等の力がある」

 小声でそう答えると、2頭の飛竜の頭をなでているフロリエに近寄る。

「飛竜の力は叔母上から聞きましたか?」

「いいえ……。頬を寄せてみたら何となくわかりました」

 フロリエはおっとりと答え、グランシアードに催促されてまた頬を寄せている。グランシアードは案外気位が高く、初対面の人間にここまで懐く事はほとんどない。例外は後ろに控えている若い竜騎士ぐらいだろう。エドワルドは感心すると同時にその素質の高さに舌を巻いた。

「そうですか……挨拶がすみましたら、そろそろ出かけましょうか? どちらに乗るか希望はございますか?」

 腕の中の娘とまだ飛竜達の頭をなでているフロリエに問いかけると、先に姫君が元気よく答える。

「早い竜に乗ってみたい!」

 いつもは父親の飛竜に乗るコリンシアが、フロリエの言葉に興味をひかれたらしくエアリアルを希望する。姫君の希望に若い竜騎士はにこにこして頷く。

「わかった。ルーク、コリンを頼む」

 エドワルドは抱っこしていた娘をルークに預け、彼はそのまま飛竜の背中にコリンシアを乗せて騎乗用のベルトで固定した。そこへ、厨房に寄って出てきたオリガが手にしたかごを持って進み出る。中にはコリンシアの要望で用意された蜂蜜入りのケーキが入っていた。彼女はそれをフロリエに渡そうとしたが、エドワルドはそれを制してエアリアルにまたがろうとしている若い竜騎士を呼び止める。

「ルーク、それも預かってくれ」

「は…はい」

 心なしか答える声は震えている。前日に聞き出した若い竜騎士に恋する相手とふれあえる機会を作ってやろうという上司の計らいなのだが、一方のオリガも頬を染め、恥ずかしげに目を伏せている。どうやら若い侍女の方もルークは気になる存在のようだ。これほどわかりきった反応を見せているのにまだ告白もしていないというのは先が思いやられるが、変に気を回さなくてもこの2人ならうまくいきそうな気がした。


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