7 好ましい変化2

「随分懐いているみたいですね、コリンは……」

 いつもなら父親にべったりくっついて離れないのだが、何かを言われたわけでもなく自発的にこうして何かをしに行くこと自体今まで無かったことである。娘の変化にエドワルドは戸惑いを隠せない。

「そなたはあの者に感謝せねばなりません」

「え?」

 グロリアに何の事か聞こうにも、彼女はただ「すぐにわかる」と言って答えようとしない。疑問符を頭に張り付かせたままお茶を飲んでいると、やがてコリンシアの弾んだ声が聞こえてくる。

「フロリエ、早く、早く!」

「コリン様、そのように手を引かれましても、私は早く歩けません。もう少しゆっくりお願いします」

 女性の困ったような声と共に足音が近づいてきて扉の向こうで止まり、居間の扉がノックされる。

「フロリエでございます」

「お入り」

 オルティスが扉を開け、まずはコリンシアがちょこんと頭を下げて入ってくる。続けて幼い姫君に手を引かれた一人の女性が姿を現す。長い黒髪を軽く結い、女大公のお下がりを仕立て直したらしい地味な衣服を身にまとった、清楚な女性だった。

「失礼いたします」

 彼女は上品に膝を曲げて一礼し、コリンシアに手を引かれてグロリアの傍に立つ。役目を終えた姫君は、どこか唖然としている父親の隣に戻った。

「お呼びでございますか?」

「そなたの正面にエドワルドがおる。挨拶しなさい」

「はい」

 フロリエはスカートをつまむと、先ほどよりも深々と頭を下げる。

「フロリエでございます。先日は殿下に助けていただいたにもかかわらず、お礼を申し上げるどころか取り乱し、お見苦しい姿をお目にかけ、大変失礼いたしました。遅くなりましたが、お詫びとお礼申し上げます」

 よどみなくすらすらと礼を述べるその姿と、先日の話を聞こうとした時に取り乱した姿が重ならず、エドワルドは心底驚いた。入室して来てからの所作も礼を述べる言葉づかいも上品でとってつけたようには見えない。内心の驚きを隠しつつ、彼はかしこまっている彼女に話しかける。

「お元気になられて良かった。どうですか、ここには慣れましたか?」

「未だ戸惑うことばかりで、皆様にご迷惑ばかりかけています」

 はにかんだその姿にエドワルドは好感を抱いた。

謙遜けんそんすることはありませんよ。そなたも座りなさい」

 珍しくグロリアが他人を手放しで褒めている……エドワルドは更に驚いた。

 フロリエは彼の内心など知る由もなく、手でソファの位置を確認しながら彼の向かいに腰を下ろした。

「しかし、叔母上。彼女は若いのですから、もっと華やかなものを着せたらどうですか?」

 エドワルドの指摘にグロリアはため息をついて答える。

「このままで良いと申すのじゃ」

「あの支度金で何も買わなかったのですか?」

 下働きなどではなく、貴人に直接仕える使用人は主に恥をかかせないためにもそれなりの身支度が必要になってくる。ましてや彼女は女大公グロリアの話し相手として傍に仕えることになった。エドワルドは通常よりも色を付けて支度金を渡したのだ。

「本人がいらぬと申してな、最低限の物だけ揃えた。あの支度金の残りは妾が預かっておる」

 グロリアがため息をついて答えると、エドワルドは正面に座る慎ましやかな女性に尋ねる。

「何故? 新しい服は嫌いかい?」

「殿下のご厚意は大変感謝しております。身元のわからない私にここまで気を使って下さり、お礼の言葉もございません。ですが、殿下や女大公様のご厚意でここにいる私が、贅沢をするのは許されないような気がいたします」

「そんな事は無いでしょう? 叔母上の話し相手としてここにいていただくのです。給金と思って受け取ってください。これからいい季節になります。明るい色のお召し物もあってはいいのではないですか?」

 エドワルドは心底もったいないと思っていた。華美ではないが、彼女の慎ましやかな美しさは洗練された上品な所作により際立って見える。流行の明るい色彩の衣服の方がその美しさはより映えるのではないかとも思えたのだ。

「エドワルドの言うとおりですよ、フロリエ」

「ロベリアから仕立屋を寄越します。ちょうどコリンのも頼みますし、一緒に流行のものを作らせましょう」

 グロリアにも後押しされ、ようやくフロリエは頷いた。

「ありがとうございます」

 2人がこれ程までに自分の事を気遣ってくれることに感謝して彼女は深々と頭を下げた。

「父様、コリンね、フロリエとお揃いがいい」

 ずっと父親のお土産で遊んでいたコリンシアが不意におねだりしてくる。

「お揃いか……それもいいな」

 娘に甘いエドワルドはすぐに賛成する。

「コリンはフロリエが好きかい?」

 何気なく聞いた言葉に小さな姫君は大きく頷く。

「大好き。フロリエはね、たくさんお話ししてくれるの。あと、お歌も教えてもらったの」

 コリンシアはずっとしゃべりたいのを我慢していたらしい。父親に普段フロリエとどう過ごしているか話し始める。

「歌は何を教えてもらったのかな? 聞かせてくれるかい?」

「うん!」

 コリンシアは元気よく返事をすると、子供らしい元気な声で言葉遊び歌を歌い始める。今まで勉強のたぐいが嫌いで、こういった事すら習おうともしなかった娘が自分から喜んで歌っていることにエドワルドは感激する。

「すごいぞ、コリン! 上手だったよ」

 感無量で彼は娘を抱きしめた。そしてそのままフロリエに向かって礼を言う。

「フロリエ、そなたに何と礼を言っていいか……」

「お礼だなんて……」

フロリエは困惑したように頬を染める。

「謙遜することはあるまい。コリンがこうして落ち着いたのはそなたのおかげじゃ」

 グロリアが笑いながらフロリエを褒める。珍しい光景にエドワルドは戸惑うが、コリンシアの変化が彼女によるものならば納得できる。

「コリン様が慕って下さいますので、お話したり、一緒に歌ったりして一日の大半を過ごさせて頂いております。それに……姫様がいらっしゃるおかげで私はお館の中を支障なく歩くことができます。コリン様にはとても感謝しております」

「そうなのか?コリン?」

 抱きかかえたままの娘の顔を覗き込み、エドワルドは尋ねる。

「うん。フロリエはね、目が見えなくてよく転ぶの。転ぶと痛いでしょ? だからコリンが手を引っ張って連れて行ってあげるの」

「うん、そうだな」

 コリンシアが持つ優しい気持ちに嬉しくなって、エドワルドは頭をなでる。

「それでね、ご本が読みたいけど読めないの。だからコリンがね、文字を覚えて読んであげるの。そう約束したの」

「そうか……そうか……」

 今までのコリンシアからは想像できないほどの進歩である。エドワルドは感無量で娘を抱きしめた。グロリアが言っていた、フロリエに感謝しろという言葉を彼はようやく理解したのだった。




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