6 好ましい変化1
騎士団長として妖魔討伐とその後の事後処理、総督として決済事項の署名やもめごとの仲裁等、次々と出てくる仕事に加え、極めつけは総督主催の新年を祝う春分節。様子を見に行くと約束したものの、結局エドワルドは一月以上もグロリアの館に顔を出せないでいた。
これまでに何もしなかったわけではない。記憶が戻らない彼女の身元を調べるため、仕事の合間に近隣の町や村に該当する女性が行方不明になっていないか問い合わせた。更には彼女を助けた湖畔の一帯をくまなく調査して手がかりを探した。だが、いずれも芳しい成果を上げる事が出来ず、あの女性は謎だけが残ったのだった。
手紙で彼女の体調が回復し、見事グロリアのお眼鏡にかなって話し相手として館に留まる事になったと知ったのはあの一件の3日後だった。エドワルドはルークに命じてグロリアに礼状と共にお金を送り、女性の支度金として使ってもらうよう言付けていた。
季節は春になっていた。新年の春分節を過ぎて雪解けが進み、空から降るのが雪から雨に変わって霧が完全に引くと妖魔の襲来が無くなる。竜騎士も、その下で働く兵士たちも、ようやく緊張を解く季節となった。
春らしいのどかな天気が続いたこの日、ようやく仕事が一段落したエドワルドは、久しぶりにグロリアの館に向かっていた。この日もお供を言いつかったのは、第3騎士団で最も若いルークだった。
伝文ならば小竜に任せる事が出来るが、物やお金の場合は新米の彼が使いに出されていた。今日も都合が悪くなったアスターの代わりを急に言いつかったわけだが、嫌な顔せずにグランシアードと自分の飛竜の装具を整えて、エドワルドが出てくるのを飛竜の着場で待っていた。
「無理についてこなくても良かったのだぞ、ルーク。する事があったのではないか?」
立場上、どんな時でも一人で行動できないとわかっていても、エドワルドは少々恨めしく思ってしまう。
「自分の務めだと思っていますから」
ルークはすまして答える。武術のみならず竜騎士に必要な知識もアスターから教え込まれている彼は、最近、口調まで師匠に似てきたとエドワルドは思う。それでも配属されて2年目の新米が一癖も二癖もある竜騎士達を束ねるエドワルドに適うはずがない。
「それとも、叔母上の館に目当てがあるのかな?」
「い、いえ」
あてずっぽうに言ってみたが、どうやら当たりだったらしい。初々しい彼は耳まで赤くなっている。
「ほぉ……。そのあわてぶりは女だな。相手は誰だ? 叔母上の侍女の1人か?」
その方面に関しても百戦錬磨な総督閣下は、面白がって若い竜騎士を追求し始める。ルークは困ったように「いや、その……」と口を
「はっはっは。自信を持て。告白したらどうだ?」
他人事だと思い、エドワルドは実に楽しそうだ。
「自分はまだ新米ですから……」
冬を乗り切ったとはいえ、周囲はエドワルドやアスターをはじめとした熟練の竜騎士ばかりである。まだひよっ子と呼ばれている彼に自信を持てるはずはなかった。
「そなたを見込んでスカウトしたのはこの私だ」
「え?」
ルークにとってそれは初耳だった。「人手が足りないから誰でもいい」と言われて配属になったと聞いている。
「私の目に狂いは無かったな。こうして春を迎えたのが何よりの証だ。使い物にならなければ、アスターがさっさと元の騎士団に送り返している。君とエアリアルの機動力は我々にとって
「団長……」
今まで下端として雑用等にこき使われるばかりだった彼は、褒められたことはほとんどなかった。思考が停止して頭の中が真っ白になり、相棒の飛竜エアリアルが心配そうにパートナーを振り仰ぐ。
「お、見えてきた」
2騎の行く手に
「父様!」
エドワルドが飛竜の背中から降りると、玄関からコリンシアが飛び出してきた。そして勢いよく父親に飛びついてくる。
「コリン! 元気だったか?」
エドワルドは飛びついてきた娘を抱き上げ、久しぶりに会う娘の頬に軽くキスする。彼女も父親の頬にキスを返し、グランシアードに挨拶をする。飛竜も姫君に会えて嬉しいらしく、コリンシアに大きな頭をすり寄せていく。
「いらっしゃいませ、殿下。女大公様がお待ちでございます」
遅れて出てきたオルティスが
「ああ、騒がせてすまないな。変わりないか?」
「お気遣いありがとうございます」
オルティスが静かに扉を開けると、娘を抱えたままエドワルドは館の中に入っていく。ルークは頭を下げてそれを見送ると、グランシアードとエアリアルを休ませる為に専用の厩舎へ連れて行った。
「お久しぶりです、叔母上。お変わりありませんか?」
オルティスに案内され、娘を抱いたまま館の居間に入ると、グロリアは暖炉の傍にあるお気に入りの安楽椅子に腰かけていた。傍らのテーブルにはいくつか書簡が置いてあり、お茶を飲みながらそれらに目を通していたようである。
「随分久しぶりですこと。娘を預けているのを忘れたのではないかえ?」
相変わらず挨拶には嫌味が混ざる。エドワルドは苦笑すると娘を床に降ろし、勧められた席に座る。
「そんな事はありません。仕事に追われて、やっと一段落したのです」
そんな言い訳をしながら、お土産代わりの巾着を懐から出し、張り付いてくる娘に手渡した。
「父様、ありがとう!」
コリンシアは喜んでそれを受け取ると、父親の隣に座って早速中身を取り出し始める。砂糖菓子の包みにかわいいレースがついたリボンや髪留め、凝った刺しゅう入りの絹のハンカチといった細々とした物が入っている。
「わぁ!」
小さな姫君は感嘆の声を上げると、早速、大好きな砂糖菓子の包みを開けてほおばり始める。エドワルドはそんな娘の頭をなで、オルティスが淹れてくれたお茶を味わった。
「そういえば、あのお嬢さんは話し相手が勤まっていますか?」
とりとめのない会話の後、エドワルドはふと助けた女性の事を思い出してグロリアに尋ねる。今までグロリアからもらった手紙には彼女の事に触れられて無かった為、もしかしたら気が合わなかったのではないかと心配していた。
「フロリエの事かえ?」
「フロリエ?」
聞きなれない名前に思わず聞き返す。
「いつまでも名前が無いのは不便。彼女がしていた首飾りにFの頭文字が掘り込まれていた。それから妾がそう名付けたのじゃ」
「ほぉ……」
わざわざグロリアが、呼び名とはいえ名前を付けたことから、彼女は相当気に入られたようである。それをわざと、一向に様子を見に来ないエドワルドには知らせなかったらしい。
「オルティス、フロリエはどこじゃ?」
忠実な家令はグロリアに近寄ると、丁寧に頭を下げて答える。
「フロリエさんはお部屋におられます。ご親族が寛がれるのに、自分がいてはその妨げになるだろうからと仰せでございました」
「呼んで参れ。エドワルドが気にかけておるから、挨拶せよと伝えよ」
「かしこまりました」
オルティスが頭を下げると、コリンシアが席を立つ。
「コリンが呼んでくる!」
元気よく宣言すると、小さな姫君はオルティスの先になって部屋を出ていった。
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