5 神官長の受難1

 はるか昔、

 人々は妖魔に脅えて暮らしていた。

 数多の神々に願えども、それはかなわず、

 人々は大陸の片隅で細々と生きながらえていた。


 やがて一人の若者が神々に願い出る。

 「御身が成さぬのであれば、我等に力を与え給え」

 渋る神々の中で唯一柱、大いなる母神ダナシア様は

 若者に飛竜と力を与え給う。


 世にも稀なる飛竜を駆り、

 悪しき妖魔を打ち払う。

 やがて勇気あるその若者は、

 人々より竜騎士と呼ばれ、敬われ給う。




 見習いとして神殿に上がったばかりの神官達が暗唱している「始祖の竜騎士の詩」がどこからともなく聞こえてくる。気の重い来客の応対を終えたフォルビア正神殿神官長のロイス・ディ・バルテルは、若い神官達の声を聞いて苛立つ気持ちを抑え込んだ。

 今日の客は神殿の総本山、礎の里から来ていたのだが、正直に言って迷惑だった。大陸の南方にある礎の里と異なり、春分を間近に控えていてもこの国ではまだ冬の討伐期は終わりを迎えてはいないのだ。実際に討伐するのは竜騎士でも神殿にはその補助をする役割もある。まだまだ忙しいこの時期にわざわざ国境を越えて訪れたにしてはそれ程急を要する内容ではなかったために、彼は苛立ちを募らせていたのだ。

「如何なさるのですか?」

 一緒に話を聞いていた補佐役のトビアスがロイスを振り仰ぐ。彼は深いため息をつくと使者が寄越した書簡にもう一度目を通す。書かれているのはフォルビア正神殿にある温室を向こう1年間研究の為に使用するといった内容だった。

 研究に役立つのであれば断る理由などないが、打診もなくいきなり温室全てを使わせろというのはあまりにも横暴である。植えられているのはこの北の地では希少な薬草ばかりなのだ。本当は断りたいのだが、相手は現在の礎の里で最も影響力の強い人物。同じ高神官でも地方の神官長でしかない彼が逆らうのは得策ではなかった。

「相手がベルク準賢者殿では受けざるを得ないでしょう」

「しかし……」

「今植えているものを移植できないか近隣の神殿に協力を仰いでください」

「分かりました」

「忙しいとは思いますが、よろしく頼みますよ」

 ロイスの指示にトビアスも仕方なく頭を下げ、部屋を出て行った。

「それにしても……」

 手中の手紙を見やりながらロイスは考えをめぐらす。使いに来たのはベルクの片腕とも称されるオットー高位神官だった。要請された内容に不釣り合いな大物が遥々この北国までやってきた事に違和感を覚える。

 こちらを立ててくれたと思えなくもないのだが、それならばもう少し時期を考えるだろう。何も危険を冒してまで討伐期終了前に来ることはないのだ。おそらく、道中で妖魔に遭遇したのだろう、オットー自身も同伴していた竜騎士も随分消耗していたのだが、ほとんど休憩することなく次の目的地へ行ってしまった。

「何か、起ころうとしているのか?」

 ロイスの自問自答は続く。ベルクの生家は大陸東部で手広く商いをしているカルネイロ商会だった。彼の伯父が賢者の1人になったことで各国の要人とのつながりを持ち、それによって大きくなったとも言われている。だが、陰では競争相手への妨害など良くない噂も耳にしている。

 東方諸国をほぼ傘下に収め、次はタランテラの番なのだろうか? ロイスはこの美しい北の国で醜い争いが起きては欲しくなかった。



「神官長、ロベリアの第3騎士団から使いがお見えでございます」

 物思いにふけっていると、戻ってきたトビアスに声をかけられる。里の使いに続いてロベリアからも使いが来るとは今日はまた随分と来客が多い日である。

 それでもロベリアからの使いならば安心して応対できるのは相手が信用出来るからだろう。彼らを束ねているのはこの国の皇子でもあり、若いながらも総督を兼任しているエドワルドだ。彼ならば多少の無茶でも聞いても構わないと思えるのは人徳のなせる業だろう。

「お通ししてくれ」

 先ほどまでの陰鬱いんうつな気分を振り払い、ロイスはトビアスに客を迎え入れるように命じた。

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