第4話「邂逅」

「よう。アーネスト。久しぶりだな」


 少し言いづらそうにしながら、エルバートがそうアーネストに声をかけてきた。


 前見た時よりも少しやつれたのか、細く見えるエルバートの姿にアーネストは小さく驚く。


 エルバートは捕虜となった。なら、この場の何処かで顔を合わせるタイミングはあるだろうとは思っていた。けれど、もう三年近くもまともに顔を合わせていなかった相手。ならそれが父親であったとしても、どんな表情で、どんな言葉を返せばいいか分からなくなる。特に、それが喧嘩わかられの後であったのなら、なおさらだ。


「お久しぶりです」


 視線を彷徨わせ、それから形の悪い笑顔を浮かべ、答えを返した。


 直ぐに返す言葉が無くなり、無言の間が開く。直接視線を交わす事に躊躇いを感じさせられ、視線は自然と下へと向けられる。


 居心地の悪さ。自分とエルバートとの間にはこれ程までの距離が開いてしまったのだと、実感させされる。けれど、それは仕方のない事なのかもしれない。


 アーネストはエルバートの期待を裏切った。だから、これは仕方のない事だ。


 乾いた風が砂を巻上げ、アーネストとエルバートの間を流れていく。未だに言葉はない。


 最初に口を開いたのはエルバートだった。


「これは、お前がやってくれたのか?」


 アーネスト達が立つ場所のすぐそば、飛竜達の亡骸を埋葬し、突き立てた墓標を見てエルバートがそう尋ねた。


「俺一人で、やったわけじゃ無い……ハルヴァラストが、手を貸してくれた……」


「そうか。ありがとう。やっぱりお前は、何も変わってなかったんだな。少し、安心したよ」


 ほっと、エルバートが息を付く。


「そう……かな? 俺自身は、変わったと思っているんだけどな……」


「確かに、多くのものを見て、聞いて、経験して、そして変わった部分はあるだろうな。けど、お前が、飛竜達に向ける眼差しは、今も昔も変わっていない。それが知れて、よかった」


 そう言って、エルバートはアーネストに向けて笑った。


 そして、エルバートはその直ぐ後に、大きく頭を下げた。


「すまなかった」


 頭を下げたエルバートを見て、アーネストは大きく驚く。


 ずっと、エルバートの大きな背中を見て育ち、彼の破天荒でありながら毅然とした態度を見て育ってきた。そんなエルバートが、頭を下げる姿など、ましては自分に頭を下げるなどという事は想像できなかった。それだけに、大きく戸惑を見せる。


「あ、えっと……俺の方こそ、すみませんでした」


 戸惑った末、アーネストは謝罪を返した。


「なぜお前が謝る?」


「いや、だって……俺は、あなたの部下を殺し、あなたを……殺そうとした」


 声を震わせ、アーネストはその事実を口にする。


 肉親、その相手の近しい人間を殺した。その事実を再確認することが怖くて、そしてその事実を前に、父親はどういう態度を見せるのかが、恐ろしかった。


 また、失望させるのだろうか? また、拒絶されるのだろうか? それと、怒りと憎しみを向けられ鵜のだろうか? 肉親から向けられるそれらの感情が、怖かった。


 鋭いエルバートの視線が返ってくる。アーネストはそれに、身体を震わせる。


「アーネスト。お前は、何のためにあの戦場に立った? 護りたい何かが、押し通したい何かが有ったからじゃないのか? お前はそのために戦ったのではないのか?」


 鋭く、低い声でエルバートが問い返してくる。


 アーネストはエルバートの言葉に戸惑い、それから頷いて答えを返した。


 答えを返すと、険しかったエルバートの表情が和らぎ、小さく笑った。


「なら、謝罪の必要はない。俺達は、戦士で、皆、戦場では守りたいものや、成さねばならい使命を背負って立っている。たとえ戦い、命を奪い、奪われる事になったとしても、成さねばならと思って立っている。

 そして、それは戦場立つすべての戦士がそうであると、俺達は知っている。だから、俺達は戦う相手に敬意を示す。それは、仲間を殺した相手であっても変わらない。

 命を懸けて戦った戦士。そんな相手を憎み、謝罪を求めることなど、出来るはずがないだろ。

 俺達はただ、使命を全うし、戦った俺達の事を尊重してくれればいい。それ以上は望まない。故に、謝罪など不要だ」


 立ち並ぶ墓標を眺め、どこか寂しげな表情を浮かべながら、エルバートはそう告げた。


「そう、ですね……すみません。なら、なぜ、あなたが謝るのですか?」


 問い返す。勢いで、謝罪を返していたけれど、エルバートの謝罪の意味を、アーネストは良く判っていなかった。


 問い返すと、エルバートは視線を彷徨わせ、恥ずかしがるようなしぐさで、頭をかいた。


「えっと、その、なんだ……。前に、俺が、お前にやってしまった事に対する謝罪だ。あの時の俺は、どうかしていた。それを、ずっと謝りたかった……」


「あの、ごめん。何の話?」


 真剣な趣で返してきたエルバートの言葉に、それでもアーネストは、エルバートの言う事に思い至らず。そう、問いを返した。


 再び問い返されると、一度驚き、そして、その後に耐えきれなくなったのか、大きく笑い声をあげた。


「悪い。やっぱ、あれだな。こういう湿っぽい話し方は、らしくねえな。すまねえ」


 ひとしきり笑うと、そう謝罪を返してきた。その表情には少しだけ明るさが戻っていた。


「えっと、それで、何の話?」


 もう一度問い返す。


「ああ、あれだよ。三年前、俺がお前に言った言葉だよ。お前が、竜騎士を辞めると言った時の事だよ。その事を、ずっと謝りたかったんだ。

 あの時、一番傷付いてい居たのは誰だったか。父親として、どう言葉をかけるべきだったか。それを、時間を置いてようやく理解したよ。今更、謝ったところでって気はするが、謝って起きたかった。すまなかった」


 改めて理由を告げ、エルバートが頭を下げた。


「その事ですか……。それなら別に、気にしていませんから……。それに、あの時は、俺が、悪かった……あなたが、俺に大きな期待を寄せていたことは、知っていたし、それを俺は裏切ったんです。あのように、怒られて当然です。だから――」


「いや、俺の事なんでどうだっていい。お前は俺の息子だ。だから、俺は、お前を一番に考えるべきだった。けど、俺は、俺の想いを優先した。それは、やってはいけない事だったんだよ。

 子供は、親の期待に応えるのは当然かもしれない。けど、だからといって、その期待で相手を押しつぶして良いわけじゃ無い。俺は、それをしてしまった……。本当に、すまないと思っている。傷付いたお前寄り添ってあげられなくて、お前の理解者になってあげられなくて、すまない」


 エルバートは深く頭を下げる。


 それにアーネストはどう答えを返せばいいか判らなくなる。ただ、許せばいいのだろうか? 許すとして、何とそれを口にすればよいのか、分からなかった。


「アーネスト。もし、お前が俺を許してくれるなら、俺を再び父親だと思ってくるか?」


 顔を上げると、エルバートはそう尋ねてきた。その表情は何処か縋る様な表情に思えた。


「今更、何を言うんですか? 俺が、あなたを、父親以外の誰かだと思った事はありませんよ」


「そうか、それは良かった。ありがとう」


 アーネストの答えを聞くと、エルバートはほっと息を付き、安心したように笑った。その表情は、どこか憑き物が落ちたかのような、安らいだ表情をしていた。


「なあ、アーネスト。一緒に家に戻らないか? あいつ――エリックに、もうすぐ息子が生まれるんだ。顔を見せてくれないか? アメリアも心配している。安心させてほしい」


 そして、エルバートは記憶にある様な、いつもの表情でそう尋ねてきた。


 問われ、アーネストは一度口を閉ざす。そして、それから首を横に振った。


「ごめん。俺は、まだ、帰れない」


「そうか……分かった」


 アーネストの返答に、エルバートは少し寂しそうな表情を返したが、それ以上引き留めるような事はしなかった。


「怒ったりは、しないんですか?」


 また、父親であるエルバートの願いを拒否した。その事に不安を感じ、尋ね返す。


「なぜ怒らねばならないんだ? お前は、お前で、進むべき道を見つけたのだろう。なら、親として、それを止める事は出来ない。寂しくはあるが、同時に嬉しく思う。

 アーネスト。お前の進む道の先に、幸福がある事を願っているよ。俺から言える事は、これだけだが、応援している」


 寂しさと、清々しさを合わせた様な、そんな表情でエルバートは笑った。


「ハルヴァラスト、だったか? アーネストを助けてくれて、感謝する」


 傍に立つハルヴァラストを見上げ、エルバートはそう感謝を告げる。


「俺は、貴様を殺そうとした相手だぞ」


「そうだな。だが、どうであれ、俺にとっては大切な息子を助けてくれた相手に変わりない。ありがとう」


「ふん」


 エルバートの言葉に、ハルヴァラストは鼻を鳴らして答えを返す。


「それじゃあ、アーネスト。話せてよかった。この格好じゃ、さすがに肌寒い。俺は、先に戻る」


 最後にそう言って、エルバートは砦へと戻って行った。



 再び乾いた風が流れていく。空はもう藍色に染まり始めていた。


「父親、か……。良かったのか? あんな風に答えて」


 遠ざかって行くエルバートの後姿を眺め、ハルヴァラストがそう尋ねてくる。


「あなたは、俺がここで降りると言って、それを受け入れるのか?」


「さあな。俺は気まぐれなんだ。どうするかは、その時の俺が決める」


「そうか……。けど、俺はやると、進むと決めた。だから、まだ戻れない」


 願った事、交わした約束。それらが、まだ残っている。それが、いつ終わり、何処に終着点があるかは分からないし、見えてこない。だから、いま、家へと帰る事は出来ない。立ち止まる事は出来ない気がした。やるべき事を終えてからでないと、家に帰る事は出来ない。そう思えた。


「なあ、ハルヴァラスト。あなたは、竜と人、その二つのあり方は、どうあるべきだと思う?」


 藍色に染まり、星が輝き始めた空を見上げながら、アーネストはそう尋ねる。


「さあな。俺は全能ではない。だから、すべての事に答えを出せるわけじゃ無い。だから、俺に答えを出す事は出来ない。

 だが、もし答えるとしたら。竜にとって人間は不必要な存在であり、人間は竜の力を借りずとも生きている。共存する意味など、ありはしない。それだけだ」


 ハルヴァラストの答えは、相変わらず冷たいものだった。


「そうか……なら、何であなたは、俺に力を貸してくれたんだ?」


「ふん。そんなもの、決まっている。ただの気まぐれだ。俺は、俺の行動すべてに意味をみいだせる程、理知的じゃないんだよ」


 そう答えると、ハルヴァラストは高く跳躍し、一度大きく羽ばたくと、まるで景色に溶け込むようにして、藍色の空へと消えて行った。

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