第12話「雨の記憶」
雨音が大きく耳に響く。肌を濡らす水滴が頬を伝い、地面へと落ちる。
雨に濡れ、ドロドロになった地面。エルバートの目の前に、一人の男が倒れていた。
男は脇腹が裂けており、そこから血を流している。雨で滲んだ血は、地面を赤く染め上げ広がっていく。直ぐ手当しなければ死んでしまう、そう思える状態だった。
一歩、一歩、歩みを進め、エルバートは男の傍に近寄る。
重たい何かが、エルバートの右腕を引く。その事に気付き、右手を見てみる。一振りの剣が、エルバートの手に握られていた。
(そうだ……俺……戦っていたんだ)
思い出す。ここがどこで、自分が何者であるかを――そして、目の前の男が何者であるかを、思い出す。敵だ。
「た、助けてくれ……お、俺、何だってするから……頼む……」
涙を流し、怯えた声で、もがきながら男は命乞いをしてくる。
(ダメだ……殺す……お前は、敵だ)
情けなく泣き叫ぶ男に、エルバートは答えを返すことなく、剣を振り上げ止めを刺した。
噴き出した返り血がエルバートの身体をべったりと濡らす。けれど、それは直ぐに雨で洗い流され消えていく。
疲労からだろうか? 酷い脱力感が身体を襲う。もう動きたくないと身体が訴えてくる。
身体をふらつきさせながら歩き出す。向かうべき場所は分からない。けれど、進まなければならない気がした。
目が合う。進んだ先に、男が一人立っていた。男はエルバートの姿を見ると、酷く怯えた表情を浮かべ、直ぐに逃げ出そうとする。しかし、足が上手く動かないのか、男は足をからませ背を向けた状態で地面に倒れる。
それでも男は、どうにかして離れようともがき、ずるずると這い進んでいく。
「し、死にたくない……死にたくないんだ……」
必死に叫びながら、逃げていく。
見るからに戦う力はない。けれど、生かしておくわけにはいかない。これは、戦いなのだ。殺さなければいけない。
エルバートは歩みを進め、男の傍へと歩みよる。男はそれに気付くと、必死にもがき、進もうとするが、足が動かないせいで簡単に追いつかれてしまう。
「お、俺は……故郷に残した、家族が居るんだ。だから、死にたくない……助けてくれ」
逃げられないと悟ると、男は振り返り、そう訴えてくる。何度も聞いた、命乞いをしてくる。
エルバートは歩みを止める。
殺さなければいけない。これは戦いで、相手は敵だ。だから殺さなければいけない。うわごとの様に呟く声が頭に響く。
エルバートはその声に従い、剣を振り上げると、男に止めを刺した。
* * *
唐突に強い吐き気に襲われ。エルバートは目を覚ます。
手で口を押え、吐き気を耐えていると徐々に収まっていく。
落ち着くと、何があったのか思い出していく。昨日の事、酒が入って口走ったこと、そして、先ほど見た夢の事。
身体を起こし、辺りを見回す。寝心地の悪い固い二段ベッドの上。兵舎の寝室の一角。隣のベッドを見ると、ディオンが眠っていた。
ズキリと頭に鈍い痛みが走ると、また吐き気に襲われる。
「二日酔いか……くそ、飲み過ぎた……」
手で口を押えながら、毒づく。そして、ふと、ここが家だったら嫁のアメリアに強く叱られていたであろう事を想像し、小さく笑う。
耳に雨音が響く。音を追って目を向けると、兵舎の寝室に設けられた小さな窓から、雨が降りしきる外の景色が目に入る。
一度、舌打ちをする。
「俺に家族か……ほんと、嫌な事を思いださせる雨だ……」
* * *
降りしきる雨音が響く回廊をリディアは歩く。
外は生憎の雨模様。そうなると、外での教練は中止となり、リディアの予定にぽっかりと空きが出来てしまう。部屋に籠っている気分でもなく、相手をしてくれる知人などもほとんどいないため、そうなると自然とする事が無くなってしまう。
それでも、何か無いかと城内を歩き回ってみたものの、何かを見つけられる事は無く、自然とある一点へと足が向けられてしまう。
回廊から外の庭園――練兵場が見える。当り前ではあるが、そこで教練を行っている人の姿は無い。けれど、人の姿はあった。
練兵場の中央。一人の男が、雨に濡れながら立っていた。白髪で白く染まった髪に、大きな身体。見慣れた男の背中だった。
その背を見ると、リディアは濡れる事も厭わず、回廊から飛び出し、男の傍へと駆け寄って行った。
「なんだ、リディアか? 今日は、雨で教練は中止だぞ」
水溜りを踏みながら、エルバートの傍に駆け寄ると、エルバートは直ぐにリディアの事に気付き、そう声を返してくる。
「それは、分かっていますが……そう言うエルバートさんは、なぜこの様な所に?」
「俺か? 俺は……そうだな……ただ、なんとなくだ……」
「そうですか……」
返事を返すと、エルバートは直ぐに空へと目を向け、口を閉ざす。そんなエルバートにリディアはどの様な言葉をかければいいか判らず、口を閉ざした。
普段と明らかに雰囲気の違うエルバート。そんな相手にどうしていいか判らず立ち尽くす。
「こんな所に居ると、風邪ひくぞ。早く戻れ」
立ち尽くしていると、直ぐにエルバートからそう告げられる。けれど、リディアは今のエルバートをこの場所に残したまま、離れる事に躊躇いを感じ、踏みとどまる。
「仕方ねぇな。ほら、戻るぞ」
判断に迷い、しばらくそのままでいると、エルバートは溜め息を付き、そう告げると共に城内に向けて歩き始めた。リディアはそれに少し遅れる形で、エルバートの後追って城内へと戻る。
「お前、何でこんな所に来たんだ?」
雨が凌げる場所に戻ると、直ぐにエルバートがそう尋ねて来る。
その問いにリディアは再び迷い自問する。エルバートの姿を目にしたら、自然と走り出していた。問いかけられ、自問してみると、なぜそのような事をしたのかの答えが直ぐに出なかった。
そんな自分の行動に、リディア自身が驚き、戸惑う。
「すみません……」
答えに困り果て、リディアは謝罪を返す。
「まあ、良い。それより、悪かったな、かっこ悪い所を見せて……それに、迷惑までかけて」
リディアの返事を聞くと、エルバートは一度ため息を付き、返してくる。
「昨日の事は、誰にでもある事だと思います……たぶんですけど……。ですから、そこまで気にしていませんよ」
「そうじゃ無くてだな……ああ、どうせ、ディオン辺りが全部話し聞いてるんだろ、その事だ」
「えっと、息子さんの事ですか?」
「そうだ。悪かったな……迷惑だっただろ」
どこか遠くに目を向けたまま、エルバートがそう答えを返してくる。
「私は別に……それを、迷惑とか、思ってはいませんから……気にしなくて良いです」
「そうか……」
どこか哀愁を漂わせるエルバートの姿。そんな弱々しく見えるエルバートの姿から目を逸らしたくなり、リディアは足元へと目を向ける。
「息子さんとは、何があったんですか?」
他人の家庭事情。その事をあれこれ聞くことは良くない事だと、分かってはいても、どうしても聞かずにはいられず、尋ねてしまう。
「ディオンから、聞いているんじゃないのか?」
「聞いたのは大まかな話だけです。詳しく何があったのかは、聞いていません」
「そうか……」
エルバートは口を閉ざす。そして、少しの間無言の時が流れる。
他人には離せない事。そう判断し口を閉ざしたであろうエルバートに、リディアは小さく寂しさを覚える。
「俺は、貴族の生まれではなく、農奴の生まれだったんだ。知ってたか?」
そして、リディアが諦めを感じ始めた頃、エルバートは話す言葉を見つけたのか、ぽつぽつと語り始めた。
「それは……初耳です」
「だろうな。当り前だが、俺の家の稼ぎがそれほど多くなくてな、少しでも家の為にってので、俺は兵士に志願した。で、丁度戦争が起き、武勲を立て、気が付くと騎士になっていた。そこから、フェリーシアに出会って、気付いたら竜騎士――英雄になっていた。そんな俺だ、まともな教養なんかある訳もなく、戦う事しか知らなかった。そんな俺が、息子に教えられる事なんてある訳はなく、ダメな父親だったよ。
けど、あいつは、俺に、竜騎士に成りたいって言ってくれた。だからだろうな、俺でもあいつに与えられるものがあるって、舞い上がって、空回りして、傷付けた。
あいつが一番傷付いている時に、相手の事を見ず、俺の事ばっか口にして……ほんと、最低な父親だよ。
俺が、生涯で最も後悔したことはと聞かれたら、たぶんこの事を上げるだろうな。傍に居てやるべき相手の傍に、居てやれなかった俺を、今の俺は殴りとばしたいくらいだ」
遠くを見ながら、エルバートは淡々と語っていく。
「息子さんは、今、どうしているんですか?」
「さぁな。どこで、何をしているかも分からない。もう何年も、家に帰って来てないし、顔も見てすらいない」
答えを返すと、エルバートは後悔を噛み締める様に、手を強く握りしめた。後悔を浮かべ、寂しさを滲ませるエルバートの姿。その姿からは、彼の息子への強い想いが感じられた。
エルバートからそんな強い想いを向けられる誰かに、リディアは小さく羨ましさを覚える。
「悪いな。こんな女々しい話をしてしまって。ほんと、情けないな、俺……」
話し終えると、エルバートはそう息を付き、そして無理やりの様な笑みを浮かべた。
「そんなことは無いと思います。私も、大切な相手の傍に、いなければいけない時に、逃げた事があります。だから、少しは、エルバートさんの気持ちも理解できます。
人は、誰だって間違いを犯すものだと思います。大切なのは、その後どうするか、間違えたらそれですべて終わりなって事は無いと思います。完全では無くても、やり直す事は、出来ると思います。私も、そうでしたから……。
ちゃんと気持ちを伝えて、謝れば、相手も分かってくれると思います。エルバートさんは、そんな、悪い父親ではないと、私は思います。ですから、息子さんも、許してくれると、思います」
これだけ悩み、後悔する父親。不器用だったところはあったかもしれない。けれど、そんな親が、悪い親とは思えない。そんな親の想いに、背を向け続ける誰かに、リディアは小さく怒りを覚える。
そして、同時に、それだけの想いを、実の父親から向けられた事のない自分にみじめさを覚えた。
リディアの言葉を聞くと、エルバートは小さく笑う。
「まさか、息子より年下の子供に、慰められるとはな……ほんと、情けない。けど、そうだな。悩んで、足踏みしてても仕方ない。ぶつかってみて、まずはそれからだ。ありがとう、リディア。こんな、くだらない話に付き合ってくれて……」
そして、悩み続けた答えを見つけた様に、少し晴れやかな顔を浮かべエルバートは答えを返した。
「和解。出来ると良いですね」
「やれるだけの事はやってみるさ。さ、午後からは国葬だ。そのままじゃ不味いだろ、着替えてこい。風邪ひくぞ」
最後にそう答えを返しすと、エルバートは小さな笑みを浮かべその場を後にして行った。
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