第7話「進んだ道の先」
バタリと手足を広げ、地面に倒れる。疲労で握れなくなった手から剣が零れ落ちる。
酸素を失い、失ったそれを求め荒い息をする。鈍い痛みが手足を縛る。重く、辛く、痛む身体。けれど、それらがどことなく心地よく感じられた。
そして、身体が落ち着いてくると、今度は悔しさが沸いてくる。
「ご苦労さん。良い運動になった。助かったぜ」
大きな息を付くと共に、倒れたリディアの傍に、エルバートが腰を降ろす。
先ほどまで相対していた相手であるのに、エルバートはリディアとは相性的にほとんど疲れの色を見せていなかった。そこに、再び悔しさを覚える。
「負けました……」
悔しさを滲ませ、その表情見せないように片腕で顔を隠しながら、リディアはその言葉を告げる。
「ああ、俺の勝ちだ」
負けを認めると、見せつけるようなそんな声でエルバートは答えを返してくる。それに、また悔しさを覚える。
「なんだ? そんなに悔しかったのか?」
「当り前じゃないですか……」
結局、リディアはエルバートに歯が立たなかった。
実力差がある事は分かっていた。けれど、少しくらいは迫れるのではないかと思っていたが、簡単にあしらわれてしまった。それがひどく悔しかった。
クスクスと笑い声を聞こえる。そちらへ目を向けると、エルバートが笑っていた。
「おかしかったですか?」
「いや、悪い。そんな風の言われたのが久しぶりでな。ちょっと嬉しかったんだよ。おかしかったわけじゃ無い」
「そうですか」
エルバートは一度笑うと、何かを思い出したかのように再度笑い出す。そして、ひとしきり笑うと、神妙な顔で、口を開いた。
「それにしても、お前、竜騎学舎の生徒にしては偉く腕が立つな。誰かに剣の指導を受けたのか?」
「入学する前に、少しだけ指導を受けた事があるくらいです。後は、授業と自主的な鍛錬だけです。どこかおかしかったですか?」
「いや、たいした事は無い。ただちょっと気になっただけだが……まあ、気にするな。
動きは悪くない。筋もいい。ただ少しばかり経験と、基礎体力が足りないくらいだな。お前は良い腕をしているよ」
「そうですか……」
エルバートの助言を聞くと、再び悔しさが込み上げてくる。それは、何度も聞いたこと言葉に似ていたからだ。何度も挑んで、何度も返り討ちに会い、その度に言われた言葉。そのせいで、その言葉を発した剣術講師の顔が思い出されて、悔しさと同時に怒りが沸いてくる。
「それにしても、ずいぶん長く付き合わせちったな」
エルバートが空を見上げる。それに釣られ、リディアも空を見上げると、空は既に茜色に染まり、一部は藍色に染まっていた。
「悪いな。少しの間って言ったのに、ここまで付き合わせちまって」
「構いませんよ。特別しなければならない事があったわけでは無いですから」
「そうか、なら助かった。じゃあ、今日はここまでだ。付き合ってくれてありがとな。
立てるか?」
エルバートは立ち上がると、改めて感謝の言葉を述べると、手を差し出してくる。リディアはそれに身体を起こすと、エルバートの手を握り返し立ち上がる。
ガントレッド越しでも分かる、がっしりとした固く、大きな手。そんなエルバートの手に、リディアは大きく驚く。父親と同じくらい歳であるにもかかわらず、その手は父親のものと大きく違って感じられた。
「なあ、リディア。君は、しばらく王都に居るのか?」
「その予定ですけど、それがどうかしたのですか?」
唐突に告げられた質問に、リディアは首を傾げ、問い返す。
「その、何だ。もしよかったら、だが。時間があるなら、しばらく俺の相手をしてくれないか? 何だったら、剣の稽古をつけてやってもいい」
リディアの問いにエルバートは少し、悩む様な、歯切れの悪い声で答えを返す。
「それは願ったりな申し出ですが……よろしいのですか?」
そう返事を返すと、エルバートは先ほどまでの歯切れの悪そうな表情を改め、笑顔を浮かべてくる。
「ああ、しばらくすることが無さそうなんでな。君みたいのが相手をしてくれると助かる」
「そう、ですか。なら、よろしくお願いします」
「おう。頼むぜ」
了承を返すと、エルバートは嬉しそうに笑い、リディアの肩を叩いた。少し乱暴な、その行為。けれど、それはそれほど嫌に感じるものではなかった。
なぜだか、リディアは自然と笑みが零れた。
話がまとまると、別れを告げエルバートは笑顔を浮かべたまま楽しそうに去って行った。
エルバートが引き上げていくと、それに合わせ練兵場に居た他の竜騎士達も引き上げていく。そして、一人、リディアがその場に取り残される。
騒がしい気がしていた練兵所。一人になると、すぐにその場は静かになる。辺りを見回し、広く、冷たく思えるその場所を見る。
一人で立っている。その事を思いだすと少しだけ寂しさを覚えた。ずっと感じていた視線は、感じられない。けれど、今はそれでも居心地が悪いと感じられた。
* * *
「楽しそうだな。エルバート」
鍛錬を終え、練兵場からしばらく寝泊まりする兵舎へと歩き出すと、ディオンがそう声をかけてきた。
「おかしいか?」
「昔のお前からは想像できなくてな。正直少し驚いている」
「なんだそれ……。あのなぁ、俺だって二児の父だぞ。子供の相手をして、楽しくないわけないだろ。それにな、その息子たちも、親元を離れていって、俺だって寂しんだよ」
エルバートがディオンにそう答えを返すと、ディオンはおかしそうに声をあげて笑った。
「てめえ、俺をなんだと思ってたんだよ」
エルバートの言葉に、ディオンははぐらかす様に笑う。
「まあ、いいんじゃないか? 相手にも、お前にも良い経験になるだろ。けど、面倒事は起こすなよ」
「分かってるよ。そんな事。てか、面倒事ってなんだよ」
エルバートの返しに、ディオンは笑う。
「ならいい」
* * *
背の高い草木が殆ど生えていない、半ば砂と岩だけの斜面。それをアーネストは一歩一歩足に力を入れ、昇って行く。
道標の様な物は殆ど無く、辛うじて踏み均された細い道が、行く道を示していた。
黒猫が一匹、アーネストの前を歩く。疲労の溜まった身体で歩くアーネストとは対照的に、黒猫はするすると軽い足取りで岩場を進み、アーネスト達から一定の距離が離れると立ち止り、距離が縮まると再び進み始める。そんな風にして、黒猫は付かず離れずの距離を保ち、アーネスト達の前を歩いていた。
ほとんど変化のない風景。そんな中で変化を見せる黒猫との位置。その動きは何処か、こちらを励ましているように思えた。
一歩一歩足に力を籠め、進む。あともう少しで、岩場の上からこちらを見下ろしてくる黒猫の傍に辿り着ける。そう思いながら、歩みを強める。
「痛ッ……」
凹凸のある地面を踏み外し、少し体勢を崩す。すると、耳元からうめき声が響く。
「悪い、傷に障ったか?」
「いや、少し痛んだだけだ。大した事は無い。進んでくれ」
うめき声を聞くと、アーネストは直ぐに、声をあげた相手の状態を確認する。
アーネストに肩を貸されながら歩くレリア。彼女はアーネストの言葉に、少し顔を歪ませながら、気丈な答えを返してくる。
「あまり無理はするなよ」
「貴様に言われずとも分かっている」
弱音を見せないレリアに、そう釘を刺しアーネストはレリアの身体を担ぎ直す。
アーネスト達が王都を脱出してから、4日ほどが経っていた。その最初、レリアは前回の戦闘での傷を無理して隠し、アーネスト達について来ていたらしく、途中でその無理がたたり、今はこうしてアーネストに肩を貸されながら歩いていた。
今は少し大人しくなったものの、やはり未だにアーネスト達――フィーヤに迷惑をかけまいと無理をする節があり、そこが少し心配であった。
「二人と、大丈夫ですか?」
レリアの身体を担ぎ直すため足を止めると直ぐに、前方からそうフィーヤの声がかかった。
顔を上げ、前を歩くフィーヤの姿を確認する。丁度黒猫が立つ岩場のそば。そこに、フィーヤは立っていた。
そのフィーヤの姿は、今では王都を出た時の姿とは似ても似つかないものとなっていた。黄金色の綺麗な髪は、手入れ不足でボサ付き、着飾っていたドレスは煤で汚れ、裾は歩きやすいように裂いてあった。
ここ数日まともな場所で寝泊まりしていない。その事がはっきりと分かる姿をしていた。
「こちらは問題ありません。まだ進めます。姫様は休憩など、取らなくて大丈夫でしょうか?」
「私の方も大丈夫です。この道もあともう少しです。このまま最後まで進んでしまいましょう」
気遣うレリアの声に、フィーヤはそう答えを返す。
フィーヤにも大分疲労の色が見られた。けれど、少しなら無理が効きそうにも見えるが、同時にこういった身体を使う事に成れていそうにないフィーヤだけに、無理をさせてよいものかと少しばかり心配になる。
フィーヤはそんな心配とは裏腹に、すぐさま踵を返し歩き始める。
「ほら、ぼさっとするな。置いて行かれるぞ」
先を歩き始めるフィーヤを目にすると、直ぐにレリアがそう急かし始める。
「ああ、悪い」
急かすレリアに答えを返し、アーネストも再び歩み始める。
「キュピ~」
大きな積乱雲がゆっくりと流れていく青空の下、気持ちよさそうに翼を広げ、一匹の幼竜が風を受け、滑空してくる。
「遅い、待ちくたびれたぞ!」
頭上を掠め飛んで行く幼竜に釣られ視線を上げると、進む道の先、丁度丘の頂上の様な場所が目に入る。そこには既に少女が一人立っており、その少女と目が合うと、少女は少し怒気の孕んだ声でそう告げてきた。
少女の姿を見て、頂上までの距離はあと少しという事を認識すると、疲労の溜まった身体にも多少なりとも力が沸き、歩みを早める。
そして、ようやく少女の元――丘の頂上へとたどり着く。
「遅い、いつまで待たせるんだ」
「お前が早すぎるんだよ。少しはこっちの事も気遣ってくれ」
頂上まで付くと、文句を言う少女――アルミメイアにそう返答を返し、肩を貸していたレリアの身体をそっと地面に降ろす。
「付きましたか……」
アーネスト達がたどり着くと、少し先に辿り着き、息を整えていたフィーヤがそっと安堵の息を付く。
「あそこで良いのか?」
全員が到着するのを見届けると、アルミメイアが丘の上からある一点を指し示す。
「はい、あそこに付ければ、暫くの間、私達の安全は確保されるはずです」
「だといいけどな……」
アルミメイアが指示した先、丘の頂上から少し下った場所。丘から辺りを見渡せる場所に、石造りの城壁に囲われた砦が一つ建っていた。
年季を感じさせる古い砦。積み上げられた石の城壁は、風化の後が見られ、その砦はもう使われていないのではないかとさえ思える程だった。
再び歩みを進め、砦の目の前に立つ。すると直ぐに城門が開かれ、中からは初老の気弱そうな貴族が一人、数人の兵士を連れ、砦の前に辿り着いたアーネスト達の傍へとやってくる。
「ようこそ、フィーヤ殿下。ご無事で何よりです。それから、御迎えに上がれず、申し訳ありませんでした」
マイクリクス王国王都から直線距離で約65
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