第28話「姫の願い」

 手を引かれ、街の通路をひた走る。右へ、左へ、通路を曲がり、細い道を抜けていく。


 背後から迫る重たい足音に怯えながら、必死で足を動かし、走る。


 また通路を右折する。今度は、薄暗い通路へと出る。そして、その通路へと出るとすぐさま、そばに積み上げられ木箱の隙間に、身体をすべり込ませ、背を最大限低くする。


 背後から響いていた足音が直ぐ近くまで近付き、そして、過ぎ去り、遠のいていく。どうやら、上手くやり過ごせたようだ。フィーヤはほっと、安堵の息を付く。


「何とか撒けましたね」


 物陰からそっと顔を出し、辺りの様子を確認したレリアも、フィーヤと同様に安堵の息を漏らした。


「ありがとう。助かりました」


 辺りを確認し、安全を確認できた事を、レリアを通して確認すると、フィーヤはそうレリアに労いの言葉をかけた。


「その言葉は、王都を出るまで取っておいてください。まだ、完全に追手を撒けたというわけではありませんから」


 一応、安全は確認できたものの、未だ緊張を解くことなく、当たりを警戒しながらレリアは返事を返す。


「それで、どうしますか? 主要な道路はすべて封鎖されているみたいですよ」


 もう一度辺りを見回し、追手の姿が確認できないことを認めると、レリアが尋ねてくる。


「そう……ですね……」


 レリアに尋ねられ、フィーヤは対策を考え始める。



 レリアとフィーヤは今、王都の衛兵達に追われていた。


 アーネストと別れを告げた直ぐ後に、フィーヤの元に王宮の衛兵が尋ねて来ると、国王殺しの罪状を付きつけると共に、フィーヤを拘束しようとした。おそらく、国王暗殺を企てた誰かが、フィーヤにその罪を着せ、自分に目を向けさせないようにしたのだろう。結局その場は、レリアの手によって強引に逃げ出したため、今に至る。


 大人しく捕らえられ、そこから弁明によって無実を証明する。という方法もあったかもしれない。けれど、無実を証明するだけの証拠と、別の誰かを犯人とするだけの情報もなく、拘束されては満足な調査もさせてもらえない状況では、そのまま無実の罪を着せられ処罰されている可能栄の方が明らかに高い様に思えた。おそらく、その事を理解していたのだろう、レリアはフィーヤが指示するより早く動き、そのおかげで大きな被害を出すことなく、逃げだす事ができた。



 逃げ出し、王宮を抜け出したフィーヤとレリアは、その二人を捉えようとする王宮の衛兵に、王都の衛兵が加わった追手から逃れるために、王都の外へと目指していた。けれど、相手の動きは恐ろしく迅速であったために、フィーヤとレリアが王宮を抜け出しすて直ぐ、王都の城門とそこへと至るための主要な道路は封鎖され、外への道はほぼすべて閉ざされてしまった。


 迅速かつ大胆に、そして大きく動いた行動。それだけに、今フィーヤを捉えようとしている者達の力の大きさが見て取れる。それに対してフィーヤが持つ力は、余りにも小さい。それ故に、この状況に対し「諦め」という気持ちが沸いてしまう。


 一度、レリアへと目を向ける。レリアは、疑いなく、己の任を全うすると強く答えるような、気持ちの籠ったような目で見返してくる。


 そんな目で見返されてしまうと、ふと頭に浮かんだ「諦め」という言葉が掻き消されてしまう。


 彼女気持ちに答えるため、そして、こうも自分を大事に思っている彼女を守るため、自分は捕まるわけにはいかないと、そう思えてしまう。


「こうも道を塞がれてしまうと……例の道を使うしかなさそうですね」


「例の道とは……あの地下遺跡ですか?」


「はい。まさか、個人的な調べ事がこんな形で役に立つとは思いませんでしたけど……あそこなら、誰にも見つからずに外へ出られるかと思います」


「でしたら、包囲される前に動いたほうがよさそうですね」


 方針を決める直ぐに、レリアは立ち上がり、一度辺りを見回した後、目的の場所へと向けて歩き出す。



 けれど、事はそう上手く運ばなかった。


「とまれ!」


 レリアが立ち上がり、歩き出すと直ぐに、そう重く響く声が辺りに響いた。


 薄暗い通路の先、道を塞ぐようにして鎧を着こみ、武器を構えた衛兵が静止を呼びかけていた。


「っ!」


 驚きレリアは足を止める。


 道を塞ぐようにして立っていたのは、先ほど撒いたばかりの衛兵達だった。完全にこちらを見失い、しばらくは見つからないと思っていただけに、大きく驚く。


「どんなに上手く逃げようと無駄だ。大人しく抵抗をやめ投降しろ。そうすれば、無駄な被害を出さずに済む」


 武器を構え、警戒しながら距離を詰め、そう呼びかけてくる。


 レリアは腰に刺した剣に手をかけ、相手との間合いを測りながら、すり足で少しずつ後退する。


「姫様。合図をしたら、全力で後方から逃げてください。ここは私が足止めします」


「え?」


 唐突に告げたレリアの提案に、フィーヤは思わず問い返してしまう。


「城を出てからまだそれほど時間は立っていません。それなら、まだ、この地区で動いている衛兵はそれほど多くないはずです。ですから、ここで彼らを足止めできれば、十分な逃げるだけの余裕が稼げるはずです。その間に姫様は」


「しかし、それではあなたが……」


「姫様。言ったはずです。私は、私の全てでもってあなたを助けます。と、ですから、私の事は気にしないでください。

 これ以上、衛兵に追われながらでは、ここは包囲されてしまいます。そうなってしまっては、もう逃げだす事は出来ません」


 フィーヤへと目を向けるとなく、覚悟を決めた様な気丈な声で告げレリアが腰に刺した剣を握る。


「大人しく抵抗をやめる気になったか?」


 再度、勧告を告げ、衛兵達が距離を詰めてくる。


「行ってください」


 そして、近付いてくる衛兵を見ると、レリアが告げる。


「しかし――」


「行け!」


「――」


 鋭く、聞いた事の無いようなレリアの大きな声、それに大きく驚く。そして、その声に脅され、フィーヤは返事を返せぬまま、踵を返し、後方へと走り出す。


 途中、凸凹した路面に足を取られ転びそうになりながら、どうにか足を進める。一度、振り返り後方を確認する。


 レリアが剣を抜き、衛兵へと切りかかっている姿が目に入った。


 レリアの剣の腕を信じるなら、数人の衛兵相手に負ける事は無いだろう。けれど、その後上手く逃げ切れるかは分からない。追いつかれ、相手をする数が多くなれば、いくらレリアとは言え、抵抗を続けることは無理だろう。


 そうなってしまえば、そのまま捕らえられるか、切り殺されるかのどちらかだろう。


 切り殺されるのなら、まだ良い方かもしれない。もし、捕らえられてしまったら、フィーヤの居場所、逃げ道を知るレリアは、ただでは済まされないだろう。きつい拷問に、酷い辱めを受けさせられる可能性は高い。


 その事を考えると、強く胸が痛む。フィーヤ、それから目を逸らし、痛みに耐える様に目を閉じる。


 そして、そのまま必死に目的の場所へと向かって走る。



 王は、人を殺す。良きにしろ、悪しきにしろ、王は人を殺すのだ。その事をフィーヤが理解したのは、歳が十を迎えた頃だった。


 小さく、何も知らなかったフィーヤは、母親の死という物を見せられ、その事を強く教えられた。


 どのような王であれ、王族であれば、関わった者、敵対する者。彼らに対し、何らかの形で死をもたらしてしまう。それを理解した。


 自分の、王の娘という王族の立場が、数少ない親類である母に死をもたらしたのだと、その時理解した。


 自分が母を殺したのだと、理解したのだ。


 大好きで、数少ない大切な人を、自分が殺したのだと理解した。


 逃れられない立場が、それを招いた。


 それ以来、フィーヤは人との関係を極力断つと決めた。


 自分と関われば、その者に死を与える。自分が王族として振る舞えば、誰かに死を与えてしまう。だから、フィーヤは王族として振る舞う事をやめ、王族としてみてくる者と距離を取るようにして来た。


 自分が王族という理の外で生きれば、誰も殺さずに済むと、そう考えたからだ。


 人の理とは違う世界に生き、自由に空を舞う飛竜に心を引かれたのは、きっとそのためだったのだろう。


 それ以来、多くの者と関わることなく、孤独に耐え、フィーヤはそう過ごしてきた。


 すべてを忘れ、ただの人として生きていけたらと願いながら、そうできない事を心に刻み、過ごしてきた。


 もう誰も殺したくないと、願いながら、過ごしてきた。



 けれど、また大切な人に死を届けさせてしまった……。



「止まれ」


 低く、重たい声がフィーヤを呼び止める。向かった先、右折した薄暗い通路の先。そこに、闇に溶け込む様な、黒い衣装に包まれた人物達が、行く手を塞ぐようにして立っていた。


 フィーヤはそれを見て、足を止める。そして、小さく自傷気味に笑う。



 また、大切な人に死を届けさせてしまう。それも、彼女の想いさえ遂げさせられない形で……。



 自分の置かれた状況。招いた結果。それを思い、強い罪悪感と後悔に苛まれる。


 誰も死なせたくないと、人と距離を置き、そして、その孤独に耐えられず、自分と一番距離が遠く、しがらみから遠い者となら、誰も死なせずにかかわれると思い、手を伸ばしたのに、結果、その行動が、その者に死を与えてしまった。自分の行動が、自分の判断が彼女を死なせてしまった……。



「捕らえるのか?」


「いいや、殺せとの命令だ」


 二、三、言葉を交わし、黒装束の一人がナイフを引き抜き、近付いてくる。フィーヤはそれに、逃げることなく、立ち尽くす。逃げるための訓練などしておらず、動きやすい服装でもないフィーヤでは、目の前の黒装束から逃げる事は不可能だろう。それ故に、諦めた。



 結局、フィーヤは何処まで行っても王族で、それ故に関わるものに死を与える。その事は、変わりないのだ。その事を改めて理解し、そして、それ故に死なせるであろう関わり思った者に対し、強い後悔と罪悪感を抱いた。



 黒装束の一人が、フィーヤの傍まで近付き、ナイフを振り上げる。



(レリア……あなたの想いに答える事ができず……ごめんなさい)

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