第25話「誘いの言葉」

 王宮の奥、王族たちが暮らす区画の端に小さな庭園があった。山岳を背にして立つ王宮の高い位置にあるこの庭園は、庭園に沿って走る回廊のと庭園を挟んでの反対側は崖になっており、そこから、眼下に高い城壁と外の平野を一望することができた。


 アーネストとアルミメイアは、フェミルに連れられその小さな庭園へと来ていた。


 高所で風通しの良い場所であるためか、庭園へと出ると流れる風を肌で感じることができ、涼しげな場所に思えた。


 庭園には幾つもの草花植えられ、庭園の中央の東屋ガゼボの周りには青々とした葉に、赤く小さな花を幾つも咲かせた花が植えられ、彩っていた。


 アーネストの前を歩くフェミルが、庭園の中ほどまで歩くと、流れる風を大きく肌で感じようとするように両手を広げた。


「どうですか? この場所は。あまり広くはありませんが、景色も花も美しく、とても良い場所だと思いませんか?」


 大きく伸びをして、この場所の空気を強く感じるとそれに満足したのか、フェミルはアーネストの方へ振り返り、感想を尋ねてくる。


 フェミルに促され、アーネストは庭園の景色を目で追う。


 強い日差しが、影をくっきりと描き、鮮やかな色の花々を強く彩っていた。


「お気に召しませんか?」


 直ぐに返事を返さないアーネストにフェミルは、少し沈んだ声で問い返し、首を傾げる。


「いえ、そんなことはありません。とてもいい場所だと思います」


 萎れた様な声で聞き返してきたフェミルに、アーネストは慌てて答えを返す。フェミルはその答えに満足そうにうなずく。


「どうですか? 奥、座りませんか? そこでは日差しがきついと思います」


 フェミルが東屋の影に入りながら、東屋の下に備えられたベンチを刺し、促す。


「いえ、ここで構いません。それほど疲れてはいませんから」


 アーネストの答えに、フェミルは肩を竦めて見せる。そして、今度はアーネストの一歩後ろをついて来ていたアルミメイアへと目を向け、同じように促す。アルミメイアもそれに首を振って答える。アルミメイアの答えに、フェミルはまた肩を竦めて見せる。


「それで、お話とは、何ですか?」


 何か話したいことがありそうな口ぶりで、ここへ連れて来たのに、それらしい話をはじめないフェミルに、アーネストは直接要件を尋ねる。


「つれないですね……まあいいでしょう。話したいことは、先日話した事の続きです。覚えていますか?」


「『嘘で歪められた世界を、正しくあるべき形へと戻す』ですか?」


 問われ、アーネストは先日聞いた言葉をそのまま口にし、答える。フェミルはそれにまた満足そうな笑みを浮かべる。


 先日問われたフェミルの言葉、それがずっと頭の片隅に置かれた。そのため有って、フェミルから向けられる笑顔をそのまま受け取れずに居た。アーネストはフェミルの人となりを知らない。そのため、彼女に表裏があるかは分からない。けれど、その口ぶりからは、何か考えを巡らせ、話している事は見て取れた。それ故に、彼女の言葉と態度を素直に受け取れないでいた。


「答えは出ましたか?」


 嬉しそうな表情を浮かべたまま、先日返せなかった答えを改めて尋ねてくる。


 アーネストは一度息を付き、それか口を開く。


「その前に、聞かせてほしい事があります。あなたの言う、『正しくある世界』とはどんな世界ですか? 私にはそれが、良く判りません」


 アーネストは問い返す。


 『正しくある世界』それが、曖昧で実態が見えてこない。フェミルが理想とする世界が、アーネストやアルミメイア、それからハルヴァラスト達が望むものと同一かは分からない。それ故に、彼女は何を望み、何を求め、何を理想としているか……それを探る。


「そうですね……。分かりやすく、嘘のない世界。正しい法と、正しい秩序、そして、正しい社会、それらによって作られる世界を私は望みます」


 フェミルはアーネストの問いに、目を閉じ静かな声で答える。


「それは……どのような世界ですか?」


 正しさ、フェミルの口にするそれが、何を基準としてのものか、判断が付かない。そのためアーネストは再度問い返す。それに、フェミルは少し困ったような表情を浮かべる。


「難しい質問ですね……」


 フェミルは暫く空を眺め、思考し、そして、諦めた様に息を付く。


「私は、まだその問いに対する回答を得ていません。ですから、あなたの様な方の手を借り、共に歩み、理想の世界を実現したいと思っています。

 ですから、あなたの力が、欲しいのです。一緒に、歩みませんか?」


 フェミルはアーネストへと手を差し出し、そして問いかけて来る。


「なぜ、私を選んだのですか?」


 差し出されたフェミルの手を見て、アーネストは疑問に思っていたもう一つの問いを尋ねる。


 アーネストは田舎貴族の生まれで、貴族のとしての力が弱ければ、特別なコネクションも持ち合わせない。アーネストを味方に引き込むメリットは小さく、必要性は薄い様に思えた。それなのに、フェミルは声をかけてきた、大きな秘密を打ち明けながら、引き込もうとしている。そこまでこだわる理由が分からなかった。


「なぜだと思いますか?」


 フェミルは悪戯っぽく笑みを浮かべ、首を傾げて見せる。


「竜騎士として、力があるからですか?」


 アーネストを欲する理由として思いつくのは、これくらいだった。


 『世界を変える』その言葉は、どこか大きな争いを呼び込む様な言葉に聞こえた。その争いに勝つための力が欲しい、だからアーネストに声をかけた。考えられる理由はこれくらいだった。


 争いを呼ぶ者。そう思えてしまったから、余計にアーネストはフェミルに警戒心を抱いていた。


「半分正解で、それだけでは間違いです。私があなたを欲した理由は、あなたは他者を――飛竜を思いやる事ができる人間だと思ったからです。

 この国が抱える嘘と、それによる歪みのほとんどは、竜に関わるものです。人が竜を縛るために作り出したものです。それを正すためには、人だけでなく竜を見ることができる人間でなければいけません。ですから、あなたを選びました。あなたはそれができる人間だと思ったからです。

 この答えで、満足してくれますか?」


 フェミルはニコリと笑い、答えを返してくる。その言葉に、嘘の色は見えない。


 フェミルの言葉を、素直に受け取って良いのだろうか? そう自問する。託された願いと、約束、それから望むもの。それらを考えれば、竜族を縛る嘘を断つと言うフェミルの言葉は賛同できる。けれど、ほとんど知らない相手で、真意のわからない相手。降って沸いた話だけに、すんなり受け取れなかった。


 心のどこかで感じる違和感が、アーネストの判断を鈍らせていた。


 答えに悩み、アーネストは直ぐ傍に居るアルミメイアに目を向ける。目を向けられたアルミメイアは、アーネストの視線に呆れた様な視線を返してくる。そして、息を付きアルミメイアが代わりに口を開いた。


「なあ、えっと、フェミル……様、だっけ? お前に、聞きたいことがある」


 ぎこちなく敬語を使おうとし、諦め続きを口にする。


「なんでしょう?」


 フェミルはアルミメイアの言葉使いを気にすることなく、尋ね返してくる。



「お前、何で?」



 アルミメイアの一言で、辺りの空気が張りつめる。


 何の脈絡もないアルミメイアの言葉に、アーネストは一瞬、思考が追い付かずアルミメイアを見返す。けれど、アルミメイアに茶化す様な表情は無く、酷く真面目な顔をしていた。


「どういう事ですか?」


 アルミメイアの問いにフェミルはとぼけた様な声で答えを返す。


「臭いだ。随分と慎重だったみたいだな。襲撃者のナイフに塗られてた毒の臭いが、お前からも漂ってきた。ほんの微かだったから、直接触れてはいないんだろう。嗅いだ事の無い匂いだったから、昨日の事が無ければ気付かなかったよ」


 鋭くフェミルを睨みつける。


「どういう事ですか?」


 アルミメイアの言葉を受け、アーネストもフェミルに問いかける。


「随分と突拍子の無い話ですけど……その子の話を信じるのですか?」


 表情に同様の色を見せることなくフェミルは聞き返してくる。


「突拍子の無い話ですけど……彼女は、おかしな嘘を口にすることは無いですから」


「そう……随分と信用しているのですね」


 フェミルは一度深く息を付く。


「そうですね。隠す事は、良くないですよね……。

 御姉様を襲った襲撃者。それは、おそらく私の協力者の一人が差し向けたものでしょう」


「どうして……そのような事を……」


「邪魔だったから……ではないですかね? 私が直接かかわったわけでは無いので、詳しくは知りませんが……」


「邪魔、ですか……」


 フェミルの答えを聞き、アーネストは鋭い視線で、睨み返す。


「そんなに睨まないでください……私だって本意ではないのです。けれど、この国を、できる限り混乱を少なく変えていくには、御姉様は少し邪魔な存在なのです」


「だから、排除するために殺そうとした……どうしてですか? 邪魔だと言われても、俺にはそうは思えません」


「そうですね……ここまで来たら、隠しても意味はありませんね」


 フェミルは大きく息を付く。そして、アーネストから視線を外し、空を見上げる。


「この国は、嘘で歪められ、多くの遺恨を残しながらも、今は安定しています。それがいつまで続くかは知りませんが……。しかし、見かけ上安定しているが故に、それを変えるのは、簡単な事ではありません。

 安定した世界、それを素早く変えるには、やはり大きな混乱を起こす必要があります。一度揺らげば、安定のために、人々は多少の変化を受け入れるでしょう」


「だから、国王を殺した……」


「察しが良いですね。そう言う事です。

 けれど、それではそのまま、通常通り王位継承権を持つ者が王に成るだけです。それでは意味がありません。けれど、そこに、次になるべき王が居なかったら……王に成るべき人が、それにふさわしだけの力が無かったとしたら……どうなりますか?」


「内乱でも起こすつもりですか!?」


 フェミルの告げられた言葉に、アーネストは語気を荒げ、問い返す。


「そんなに大きな事は起こしませんよ。けれど、近いかもしれませんね。

 不安定に揺れ始めた世界、そこで、王が王としての役割を果たせなかったら……人は次の王を探すでしょう。そうして揺れる世界で、高い王位継承権を持っていながら、どの勢力にも属さない御姉様は、大きな混乱の種になる可能性が高いのです。速やかに状況を終わらせるためには、勢力図は分かりやすい方が良い。ですから、御姉様には退いていただきたかった……のでしょうね。

 この答えで満足いただけましたか?」


 言い切り、フェミルはアーネストを見返す。そして、一度笑みを消し真面目な表情する。その顔で、アーネストを真っ直ぐ見返してくる。


「改めて聞きます。私と一緒に、歩みませんか?」


 そして、相変わらずの笑顔を浮かべ、再び手を差し出してきた。

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