第30話「夏の訪れ」

 マイクリクス王国王宮ハーティス宮殿、その美しい宮殿の奥に設けられた国王専用の執務室に、その部屋の主であるスイラスは、大きな扉をくぐり、扉を閉めると、大きな息を付いた。


「相変わらず。お疲れの様ですね」


 スイラスが執務室へ入り溜め息を付くと、誰も居ないはずの部屋の奥から、そう声がかかった。


 部屋の奥、壁を埋めつくるように備えられた本棚の傍、小さな椅子に腰かけるようにして一人の女性――フィーヤが古い本を膝に置き、ページを捲っていた。


「何が起きたかくらいは聞いているだろうに、察してくれたまえ」


 誰も居ないはず部屋で、フィーヤが読書をしている。その見慣れた光景に対してもう言葉を口にすることなく、スイラスは答えを返し、部屋の奥の執務机に合わせて作られた椅子に腰を降ろす。


 そんな、ぶっきら棒なスイラスの態度に、フィーヤは小さくクスクスと笑う。


「竜骨山脈の辺りで、騒動が起き、それを灰の竜が収めたと、そう言う事ですか?」


 椅子に座り深く息を吐くスイラスにフィーヤが尋ねる。


「言った通りだよ。知っているのなら、わざわざ聞かないでくれ」


 フィーヤの言葉にスイラスは煩わしそうに答えを返す。


「私の耳はそれほど良くはありません。入ってくるのは噂程度の話です。ですから、詳細を知っているであろう、お父様に尋ねているのです」


「私が知らぬことを知っていたりするのにか?」


「それは単純にお父様が、噂話に疎いだけです。真実の話になりますと、また違ってきます」


「そうか。まぁ、いい。

 竜骨山脈での事は、お前が知っている通りだよ。灰の竜が現れ、それを収めた」


 「灰の竜」その名を口にするとともに、スイラスはため息にも似た深い息を吐く。


「やはり……現れたのですね。灰の竜が」


 言葉を返すと共に、フィーヤの表情が少し硬くなる。


「死した竜が、蘇ったとでも言うのかね……あれは」


 冗談まがいの言葉を口にすると共にスイラスが小さく笑う。


「つがいか、末裔の可能性もありますよ。灰の竜を討伐した後、損耗がひどく、詳しい調査などは出来なかったと記憶にありましたから」


「かもな。だがどちらにせよ。大きな悩みの種である事は変わりない。

 神話に唄われる竜。それが、現代に蘇ったのだ。

 王の言葉を聞かぬ竜。竜の意志を聞けぬ王。それが示す事はこの国にとって、あまりに大きい」


 スイラスは顔を伏せ、何度目か判らない溜め息を付く。


「王の権威の失墜……ですか」


「神聖竜に引き続き……灰の竜。それも、今度は多くの人の前に現れた。どうやったって隠し立ては出来ん。多くの貴族から、対策や今後の動きに付いて聞かれ、困ったものだよ」


「それで、お父様はどうなさるおつもりなのですか?」


「さてな……どうしたものか」


 スイラスは目を閉じ思案する。今日はその事をずっと考えていた。


「竜達の真意が分からぬ以上、上手くは動けん」


「確かめに行かれますか?」


「そうできたらいいのだが……どこにいるかもわからぬ相手。どれだけかかるか判らん。それに、それほど長い時間王都を留守にするわけにもいかぬ」


「良くない噂も、多く聞きますからね」


「真竜教団か……」


「それに靡く貴族も、ですね」


 フィーヤが古書を閉じ、立ち上がる。そして、部屋の窓の傍まで歩み寄ると、窓から見える王都の景色を見下ろした。


「そろそろハイドランジアが咲く季節ですね」


 眼下に広がる王都の景色を眺めながらフィーヤが呟く。


「お前の好きな、あの赤い花か……もうそんな季節になるのか」


 フィーヤの呟きにスイラスは言葉を返し、軽く頭を抱える。


「遠い異国の地から運ばれてきた花。その美しい花をただ愛でるだけで良いのなら、私は夏と言う季節が好きなのですけどね」


「社交界が終わりへと向かう季節か……」


「夏からは竜騎士と、それから竜騎学舎の学生達も参加しますから……。

 飛竜と共に生き、飛竜の運命の手綱を握る騎士。彼らが貴族たちの策謀の波の飲まれていくのを見るのは、とても心が痛みます」


 フィーヤは手を握りしめ、悔しそうに小さく声を震わせる。


「竜騎士は、王に直接使える騎士なのだがな……」


「竜騎士とは言え、人ですから……。人の動きと心を、決まりごとだけで縛ることは出来ないという事でしょう」


 息を付きフィーヤは振り返り、スイラスの方へと目を向ける。


「飛竜と関わり、そして今年は竜ともかかわった竜騎学舎の者達。どうしても、何事もなく終わる様には思えないのです」


「今年は特に騒がしいようだからな……他人の事だけでなく、お前自身も、自分の身を心配したまえ」


「それは、お父様もですよ」


 スイラスの言葉にフィーヤは小さく笑って答えを返す。


 スイラスの言葉で、少しは気分を取り戻したのか、フィーヤはいつもの澄ました表情に戻り、ゆっくりとした足取りで、執務室を後にして行った。


 現れるのが唐突で有れば、去って行くのも唐突。そんないつものフィーヤに、スイラスは小さくため息を付いた。



「竜か……お前達は、いったいこの国をどうしたいと言うのだ……」


 執務机から見える部屋の窓を眺め、その外にいるかもしれない竜へと向かって、スイラスはそう言葉を漏らした。

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