第29話「あかのつき」

 私は……竜騎士になる。


 竜騎士になって…私は、私に……なりたい私に……なる。


 だから……私は……竜騎士になるんだ。



   *   *   *



 竜の咆哮が響き渡る。ざわついた夜に、波打つように咆哮は響き、雑音を掻き消していうかのように、静寂が広がっていく。


 眼下に見える燃える村。そこから、少しずつ飛竜と、小さなコボルド達の影が離れていくのが見える。


「終わった……のか?」


 空高く飛ぶ竜――ハルヴァラストの背に乗ったアーネストが、山へと帰っていく飛竜とコボルド達を見届け、安堵の息を漏らしながら呟く。


「終わったわけじゃ無い。今をただ止めただけだ。

 ここから先は、アーネスト、貴様の領分だ」


 安堵したアーネストに、釘を刺すような言葉と視線をハルヴァラストが返す。


「猶予など、ほとんどありはしない。

 次動き出したら、今度は俺の力では止める事は出来ない。覚えておけ」


 ハルヴァラストの言葉に、アーネストは息を飲む。


 逃げられなくなった。そう感じた。


 最初から逃げるつもりなどは無い。けれど、ハルヴァラストからの言葉と、鋭い視線が、自分の背負い込んだものがどういったものかを強く示し、実感させてきた。


「分かっているよ」


 アーネストは手を握りしめ。強い口調で答えを返す。


 逃げるつもりはない。向かう先はまだはっきりとは見えないが、突き進んで見せる。そう、強く覚悟を決める。


「ふん」


 アーネストの言葉に、ハルヴァラストは一笑する。そして、目の前の状況が終わりを見せ始めたのを見届けると、ゆっくりと旋回し、元いた場所へと進路を戻した。



   *   *   *



 私は……竜騎士に……なる。



   *   *   *



 高度を下げ、ゆっくりとハルヴァラストは飛行していく。


 急ぐ必要が無くなり、穏やかになったハルヴァラストの飛ぶ姿は、ゴツゴツとした外見に似合わずとても優美なものだった。


 灰色の鱗、満月の光を受けて白く輝くその鱗は、銀の鱗を思わせ、とても美しく思えた。


 アルミメイアの竜の姿に、ハルヴァラスト。対峙してみるその強大な力と、威圧感からは言いようもない恐怖を感じるだけだったが、それらを抜きに見る竜の姿は、とても美しく思え、伝承に唄われる事も、うなずけるものに思えた。



「なんだ?」


 ハルヴァラストが小さく呟き、眉を顰める。


「どうかしたか?」


 何かを感じ取り不穏な声を漏らしたハルヴァラストに、アーネストは尋ねる。


「血の臭いだ……それに、死の臭いも感じる……」


 言われて気付く。ハルヴァラストの言うとおり、意識して感じてみると、辺りは鉄錆の様な、血の臭いで満たされていた。


 ハルヴァラストが進む方向。血の臭いに気付いたからだろうか、辺りを満たす血の臭いがどんどんと濃くなってきている様に感じた。


 この先に何かある。そう思わせるには十分なものだった。


「降ろしてくれ。確認したい」


 アーネストが提案する。


「いいのか? 一人で」


 ハルヴァラストはゆっくりと速度を落とし、着地する。


「戦闘の音が聞こえない。直ぐにどうこうって、状況じゃないと思う。

 それに……竜であるお前が、人である俺と一緒にいるところは、あまり見られたくない」


 ハルヴァラストの背から飛び降り、答える。


「そうか。分かった。だが、貴様に死なれては困る。何かあったらすぐに呼べ。良いな」


 ハルヴァラストの言葉に、アーネストは小さく頷いて答える。そして、ゆっくりと踏み出し。辺りに漂う血の臭いの中心へと歩き出す。



 私は……竜騎士に……。



 一歩、一歩、精神を研ぎ澄ませ、小さな変化を見落とさないように気を配りながら、歩み続ける。


 辺りを満たす血の臭いが、どんどんと強く、濃くなっていく。それと同時に、辺りの気温が数度下がったかのように肌寒くなっていき、生き物の気配などが薄れていく。


 虫の声すら聞こえなくなり、完全な静寂で辺りが満たされ、砂を踏む足音が大きく響く。


 ピチャ。アーネストの足音に、水を弾く音が混ざる。足元に目を向けると、何処からか流れてきた赤黒い液体に満たされていた。


 ゆっくりと赤黒い液体の流れを辿る。


「―――――」


 一瞬、声にならない声を上げる。


 目に映ったのは、人の躯と――悪竜の躯だった。


 なぜこんなところに、人間と悪竜の死体が? そんな当たり前の疑問より先に、なぜ、このような歪な死体が出来上がったのだろうか? と言う疑問が頭に浮かぶほど、目の前の屍は異様なものだった。


 人の死体も、悪竜の死体も、熱ではない何かによって溶断されていた。ぐじゅぐじゅに切断面が解け、露出した臓器や骨などから血と解けた骨髄が流れ出していた。


 アーネストの胃の中から何かが込み上げて来て、吐き気が襲う。それをどうにか飲み込み耐える。


 アーネストは今まで戦場と言うものを経験したことは無い。それだけに、人の死や、生物の死をそれほど多くは見てきたわけでは無い。けれど、今までに聞いた話を含め、そのどれよりも痛ましく、歪な死体だった。


 先に進めば、ここで何が起きたのかが分かる。それを示すように、血の臭いと歪な空気が奥から流れてくる。けれど、目の前の死体と、それに耐えられそうにない心が、先に進むなと訴えかけてくる。


 息を飲み、覚悟を決める。そして、足を前へと踏み出す。


 一歩、一歩と歩みを進める。そして、その歪な空間の中央へとたどり着く。



「グルルル」



 飛竜の喉を鳴らす音が響いた。


 視線を上げる。視線の先、歪な空間の中央には、ゆらゆらと微かに輪郭がぼやけて見える、飛竜の姿が有った。


 漆黒の鱗に、どこか優美さを感じさせるフォルム、歪な傷跡を多く抱えた姿。それは、何度か見た、黒竜――ヴィルーフ姿だった。


「どうしたの? ヴィルーフ」


 聞きなれた少女の声が響く。


 山の岩場に静かにたたずむヴィルーフ。その足元には、見慣れた、それでいて見た事の無い少女が立っていた。


 栗毛色の髪と、白い肌を返り血で赤く濡らし、死に染まったランスを手にした少女――リディアの姿が、そこに有った。


 リディアが、ヴィルーフの視線を辿り、アーネストへと目を向ける。


「あ、先生」


 少女が笑った。


「先生。やりました。私、竜騎士としての任を果たせました。

 竜騎士として、国の敵、人の敵である悪竜を倒しました」


 少女は楽しそうに笑顔を浮かべ、両手を広げ舞う様に一回りする。


 それは、とても嬉しそうに見え。同時に、どこか虚ろなものに思えた。


「リディア……君が、やったのか?」


 アーネストが尋ねる。


「そうです。できました。私にも出来ました。これで、私も……竜騎士なれますよね?」


 可愛らしく首を傾げ、少女は問いかけてくる。


 周りを見る。悪竜の死体が合計4つ転がっていた。他に、飛竜などの姿はない。つまり、たった一騎で悪竜4体をしとめたことになる。それだけを見れば、竜騎士として十二分以上に力を持っている事を示す。けれど、目の前のそれは、何かが違って見えた。


 アーネストの知る、竜騎士の姿とはこんなものだったのだろうか? そう、思わずにはいられなかった。


「先生。私は今……笑えていますか?」


 少女が問いかけてくる。笑顔を浮かべ、虚ろな表情で問いかけてくる。


 なんで、どうしてこうなった? そう問わずにいられなかった。


 なぜ、何処で間違えた? そう思わずにはいられなかった。


 けれど、それらの問いを口にしたところで、答えを返してくれるものは何処にもありはしなかった。


 目の前の少女と話す機会はいくらでもあった。思い悩む少女に、かけるべき言葉は幾つもあった。アーネストの選択と決断が、少女の行く末を変えるだけの影響はあったはずだ。そう思えるが故に、そう思えてしまうが故に、目の前の光景は、アーネストの胸に強い罪悪感を刻み込んでいく。



 これが、一六歳の少女の有るべき姿なのだろうか?



 俺の言葉と行動が彼女をこういう形へ導いてしまったのだろうか?



 少女と黒竜の背に、白く綺麗な月が浮かぶ。今はそれが、地上の赤い血の海の光を反射して、赤く輝いている様に思えた。


 そしてそれが、目の前の少女が立つ世界の様に思えた。

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