第28話「黒の竜騎士」

 竜の咆哮が響き渡る。



「なんだ!?」


 ヴェルノは唐突に響いたその咆哮を聞き、ガリアを止めさせる。


 遠くから響いたと分かる咆哮。けれど、その咆哮からは何か強い呼びかけを感じ、無視することができなかった。


 咆哮があった方へ目を向ける。


 夜空に浮かぶ満月を背にする様に、何かの影が映る。距離が遠くはっきりとは見えない。


 目を凝らしてみるが、やはりはっきりとは見ることができなかった。それほどまでに、その影は遠くにあった。


『ヴェ、ヴェルノさ……』


 耳に付けた魔導具から驚きと戸惑いの混じった声が届く。随伴してきた竜騎士の声ではなく、村で救護作業に付いている竜騎士からのものだった。


「なんだ、何があった!?」


 竜騎士の声に何かあったと感じたヴェルノは、慌てて問い返す。


『ひ、飛竜達が……引いていきます。コボルドも……』


 まるで信じられないものを見たと言うかのような声で竜騎士は答える。


「どう言う事だ?」


『わ、分かりません……ですが、飛竜達が攻撃をやめ……山へ戻って行っている』


 要領の得ない竜騎士の返答に、ヴェルノも戸惑う。そして、今まさに起きた変化――満月を背に飛ぶ何かに目を向ける。


「あいつが……やったのか……?」


『ヴェルノさん』


 今度は、随伴してきた竜騎士から声が届く。それによって今がどういう状況だったかを思い出さされ、ヴェルノは再び悪竜達の方へと目を向ける。


 悪竜とその騎手も、ヴェルノ達同様に今起きた変化に戸惑っているのか、攻撃の手を止めていた。


「さて……どう動く?」


 攻撃の手を止めた悪竜とその騎手を睨みながら、ヴェルノはランスを構えつつ、次の動きを見定める。


 現状はまだ分が悪いまま、けれど村を襲っていた飛竜達が引いたのなら、その人員をこちらへ回す事ができる。そうすれば状況を巻き返す事は十分可能だ。


 睨みつけるヴェルノに対し、悪竜とその騎手たちも同様に睨み返してくる。かと思うと、騎竜である悪竜を反転させ、その場から離れる様に飛行していった。


 ヴェルノはそれを追うことなく見送り、ほっと息を付くと同時に緊張を解いた。


『逃がしてよかったのですか?』


 追えと言う指示を出さないヴェルノに、随伴してきた竜騎士が尋ねてくる。


「現状、奴らが何者で、何処のものか判らない以上、深追いは禁物だ。追った所で何があるか判らん」


『そうですね……』


 ヴェルノの言葉に随伴の竜騎士は小さく答えを返す。その言葉には、少しだけ不満の色が混ざっていたが、おおむね納得しているようだった。


「コーマック! 生きているか!?」


 先ほどの戦闘で負傷したであろう竜騎士にヴェルノは声をかける。


『はい。何とか……ラルクも深手ですが、死んではいません』


 声をかけた竜騎士――コーマックから無事を知らせる声が届く。


「そうか。ならよかった。それじゃあ、引き上げるぞ!

 コーマック、騎竜が動けそうにないなら言ってくれ、応援を呼ぶ」


 随伴してきた竜騎士達の無事を確認すると、ヴェルノはそう指示を飛ばす。


 そして、最後に再び、夜空に浮かぶあの影へと目を向ける。


「お前は一体……なんなんだ?」



   *   *   *



 夜の闇の中を限界まで速度を上げ、五騎の悪竜が地面擦れ擦れを飛ぶ。


 五騎のうち一騎は騎手を失っており、少しふらつきながら、他の悪竜に続く様にして飛んでいた。


『逃げて……よかったのですか?』


 悪竜の騎手の首に付けられたネックレス状の魔導具から、そんな声が響く。


「あのまま戦闘を継続しても、応援を呼ばれればおしまいだ。まさか、飛竜達があそこで引くとはな……」


 魔導具から響いた声に、悪竜達の先頭を飛行する悪竜の騎手が答えを返す。


『姿を見られてしまいましたよ。それでも、よかったのですか?』


「かまわない。あれ以上我らの存在を人に知られる方が危険だ」


 悪竜の騎手は言い切り。一度背後に目を向ける。


 満月の浮かぶ空。それを背に一体の竜が飛行していた。灰色の鱗に覆われた、灰の竜。その姿だった。


「灰の竜……なぜ今になって現れる。なぜ、今人を助ける……」


 ゆっくりと推し進めてきた計画が、たった一体の竜の登場で、ほぼすべてぶち壊しになってしまった。その原因である灰の竜を、悪竜の竜騎手は睨みつけ、歯噛みする。



『リーダー……あれはなんですか?』


 静かな夜の空を飛ぶ。そうすると、少しずつではあるが、計画の失敗に対する怒りが薄らいでいく。ちょうど、心が落ち着きを取り戻し始めた頃だった。部下の誰かがそんな言葉を漏らした。


「どこだ?」


 リーダーと呼ばれた悪竜の騎手は尋ね返す。


『前方、二時の方向です。あれは……飛竜ですか?』


「飛竜がこんなところに?」


 リーダーと呼ばれた悪竜の騎手は、部下に言われるがまま、指示された方向へと目を向けた。


 ゆらゆらと何かが揺らめいていた。闇に溶け込むかのように、その影は輪郭がぼやけ、揺らめいていた。


 飛竜の様に細長い胴体に一対の翼、それだけが辛うじて見て取れた。


 その影は正面をこちらへ向け、真っ直ぐとこちらへと向かって来ていた。


「飛竜……なのか?」


 像がはっきりとしない。目を凝らしてみても、輪郭がぼやけ、良く判らない。



「行くよ。ヴィルーフ」



 赤黒い閃光が走った。それは、そのぼやけた影からまっすぐに走り、薙ぎ払う様にして悪竜達を包み込もうとする。


「避けろ!」


 とっさに悪竜の騎手が大声で叫ぶ。それによって、悪竜達は寸前のところで高度を上げ、その奇妙な光に飲まれる事は無く回避する。しかし、騎手の居ない悪竜一体の回避が間に合わず、光に飲まれる。


 視界を覆った赤黒い光は、何事もなかったかのように消えていく。光に飲まれた悪竜は何事もなかったかのように、姿を現す。けれど、その悪竜は外傷などが一切ないにも関わらす、まるで操り糸が切れた人形のように力なく地面へと落下していった。


「何が……起こった……」


 奇妙な光に飲まれた悪竜は一瞬のうちに動かなくなり、地面へ落ちた後もピクリとも動かなくなっていた。


 何が起こったのか、理解が追い付かなかった。


『リーダー!』


 部下の声が響く。悪竜の騎手は慌てて、あの影へと目を戻す。


 揺らめく影は、大きく高度を上げ、急降下するようにして突撃をかけてきた。


「向かい打て!」


 悪竜の騎手は叫び声の様な声で、指示を飛ばす。その指示によって他の悪竜の騎手たちは一斉に石弓を構え、太矢を揺らめく影へ向けて発射する。


 一斉に発射された太矢は、揺らめく影を捉え、穿つ。けれど、それはまるで実態が無いかのように影を突き抜け、消えていく。


「何が……どうなって……」



『ぐあああああ!』


 揺らめく影が、まるで黒い槍の様に悪竜達の編隊の間を掠め飛ぶ。それと同時に、部下の断末魔の様な声が首に下げた通信用の魔導具から響く。


 すぐそばを掠められた悪竜とその騎手が一瞬のうちに溶断されたのだ。熱ではない何かによって溶かされ、切り裂かれた。


 赤黒い血が周囲にまき散らされ、切り離された胴体が宙を舞い、落下する。


「なんだ……なんなんだ!」


 悪竜の騎手は叫び、再び石弓を揺らめく影へと向け、太矢を再装填すると直ぐに発射する。


 旋回し、再びこちらへと向かってこようとする影。やはり、太矢がそれを捉えても、空を裂くかのように何もなく、闇の中へと消えていく。


 影が旋回を終え、再びこちらを向く。そして――再びあの赤黒い光が走った。今度は先ほどよりさらに至近距離での発射。逃げる暇などなく、悪竜と騎手合わせて一騎が光に飲まれる。


 流れた光が消えていく。そこは最初から生者など居なかったかのように、人形の様な悪竜と騎手の躯が地上へと落下する。


 揺らめく影が速度を上げ、襲い掛かる。


「クッソ」


 悪竜の騎手は悪態を付きながら、手綱を引き悪竜に回避するよう指示を飛ばす。


 速度と機動性そのどちらもが、悪竜より影の方が勝っていた。それ故に揺らめく影からは逃げる事は出来ず――ランスが悪竜の騎手の身体を貫いた。


 揺らめく影の中から何かが見えた。それは、まるで輪郭そのものが闇に溶け、解けた闇がその姿を隠すように、周囲が不自然な闇で満たされていた。


 それの本体は飛竜だった。戦闘用の鎧を纏った騎竜。その鱗は漆黒の様に黒く、その鱗に覆われた身体の彼方此方には歪な傷跡が走り、それがその姿をより一層歪な物に見せていた。


 そして、その騎竜の背には一人の少女が乗っていた。歳は十六歳くらいだろうか。栗毛色の長い髪を後ろで結わいて流した髪型に、竜騎士用の軽装鎧を着こんだ姿。返り血を浴び、赤黒く染まった少女の表情は、辺りを満たす飛竜の闇によってはっきりとは見る事は出来ない。けれど、その口元は


「ば、化け物め……」


 血を口から吹き出し、悪竜の騎手は最後にそう怨嗟の声を漏らしたのだった。

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