第12話「やさしいことば」
雲が少なく、澄みきったような青空の中を、一騎の竜騎士の低空飛行した大きな影が駆け抜けていく。それを、リディアは虚ろな瞳で見上げていた。
見慣れた竜騎士の姿、それも低空飛行で普段より近くから見上げているはずなのに、宙を飛ぶ竜騎士の姿は今まで以上に、遠くを飛んでいる様に思えた。
「なにを、見ているのですか?」
することも思い浮かばず、ただ茫然と空を飛ぶ竜騎士の姿を目で追っていると、どこから声がかかった。声のした方向へ目を向けると、草むらに腰を降ろし座るリディアを見下ろすようにして一人の女子生徒が立っていた。
三年次で有る事を示す青いラインの入った制服を着こみ、身体を動かすのには邪魔そうなほど長い髪の女子生徒、メルディナ・ファーディナンドの姿だった。
「空を飛ぶ飛竜を眺めていました」
リディアは静かに、抑揚のない声で答えを返した。
「良く見えますか?」
「どうでしょう? 普段と何も変わりませんよ」
「ならなぜ、そんなに夢中になるかのように眺めているのですか?」
「なんで……でしょうね」
リディアは曖昧な答えを返す。それにメルディナは小さく笑うと、リディアの横に並ぶように座り、リディアが見ているものを彼女も眺めるかのように空を見上げた。
「何か、用ですか?」
普段関わりのない相手であるメルディナが、リディアの横に座り無言で空を見続ける姿を少し不思議に思い、リディアは尋ねた。
「用、と呼べるものはありませんが、少し、あなたの事が気になってしまって、様子を見に来たのです」
「私の様子を……? なぜ、あなたが?」
「これでも一応先輩ですから、迷える後輩の悩みを聞き、力を貸したいと思うのは当然の事かと思いまして。あなたとは、演習の際の縁もありますし」
そう言ってメルディナはリディアに優しげな笑顔を向けた。
「リディアさん、と呼んでよかったのかしら。あなたは、なぜ飛竜に乗ろうとしないのですか?」
メルディナの問いかけは、もう何度も聞いた言葉だった。リディアはそれの答えをはぐらかすように俯き、口を閉ざした。
「答えて、いただけませんか?」
答えを返さないリディアに、メルディアナは寂しげな声で告げる。
リディアは一度小さく深呼吸して、それから口を開いた。
「ファーディナンドさんは、なぜ竜騎士を目指すのですか?」
「私は……そうですね」
質問に質問で返されるとは思っていなかったのか、メルディナはリディアの問いに少し間を開け、言葉を探した。
「私は、家のため、ですかね。
多くの女性竜騎士がそうだと思いますが、私の家はそれほど力のある家ではありません。ですので、少しでも良い嫁ぎ先を見つけるために、竜騎士という地位を手に入れたいのです。
公で口にすると怒られる理由ですけどね」
悪戯を隠す子供の様に、答えと共にメルディナは笑った。
「あなたは、なぜ竜騎士を目指すのですか?
あなたの様に力のある家の生まれなら、竜騎士という立場は必要ない様に思えます。それに、アルフォードは、竜騎士の名家というわけでは無かったと記憶していますが」
多くの女性竜騎士が、竜騎士を目指すのは、メルディナの様に格上の家に嫁ぐ時に有利になるからだ。
竜と共に築かれ、竜と共に生きる。そう歌われる国であるため、マイクリクス王国で竜騎士はその高い戦闘力以外にも、竜と強いつながりを持つ存在として特別な意味、地位を持つ。それだけに、親類に竜騎士が居ると言うだけで、発言力が増したりし、たとえ格下の家柄の娘であっても、竜騎士で有るなら娶るという家は多くあるのだ。
けれど、リディアの様な元から高い地位にある家の娘は、滅多の事では竜騎士に成る事は無い。それは、竜騎士として戦場へ出る可能性や、それによる死亡などの危険が伴うからだ。
それでも、代々竜騎士を排出してきた名家などは、女性であっても竜騎士を排出するが、リディアの家はそう言う家系ではない。
普通に考えれば、リディアが竜騎士に成るなどおかしな事だった。
「私は……私を、アルフォードの娘という型にはめ込もうとする家の者達や、環境が嫌だったんです。だから、そうじゃ無い私になりたくて、竜騎士を目指しました。
アルフォードのリディアではなく、竜騎士のリディアになりたくて……」
リディアはゆっくりと、静かに胸の内を整理しながら、漏らした。そして、一度息を付く。
リディアと同じ貴族の娘で、同じように家の名に縛られ、それに従い生きるメルディナなら、リディアの気持ちを少しは理解してくれる、そんな気がしたからだろう。リディアは胸の内のぐしゃぐしゃになったものを、どうにか言葉にして、話し始めた。
「でも、ダメでした。
私は、竜騎士として生まれた人間で無ければ、竜騎士として育てられた人間でも無かった。
だからですかね。竜騎士としてあるべき時に、竜騎士として、身体が動かなかった。竜騎士としてするべき事をできず、頭の中が真っ白になって、気が付くと逃げ出していたんです。
私は竜騎士に成るべき人間じゃない。そんな風に思えてしまいました。そう思った途端、何もかもが遠くに見えて、近付く事が……怖くなったんです」
「だから、騎竜に近付く事をやめ、飛ばなくなったのですか?」
リディアはコクリと頷いて答えた。
「逃げるように、近付く事を恐れ、近付く事をやめたら、どんどんと近付く事が怖くなっていって、もう、どうしたらいいか、分からなくなったんです」
リディアは顔を膝にうずめ、視線を耐えるかのように蹲った。
リディアの言葉を聞くとメルディナは優しく微笑み、そして直ぐに言葉を返さず、蹲るリディアの身体を優しく抱きしめた。
「家の為に望まれる事を、望まれるとおりにこなして生きるのは、辛い事ですよね。
それを家の誰もが当たり前の事だと思い、皆こなして来たことだとして、誰も褒めてはくれず、誰も気遣ってはくれない。それは、寂しい事ですよね。
私達は、家の為にどれだけ精一杯頑張っていても、誰もそれに気付いてくれないなんて……。
あなたは、こんなにも傷つき、がんばっているのだから、とても尊く、偉いと私は思いますよ。
あなたの頑張りは、私が評価しますよ。あなたは、すごい人だって、私がみんなに伝えてあげる」
ゆっくりと、優しく、暖かく、メルディナはリディアの背中を撫でる。その暖かさは、とても心地よく、しばらく感じた事のなかった暖かさだった。
「私もね、最初竜騎学舎に来たころは、何もできないダメな子だった。騎竜が怖くて、空が怖くて、飛ぶのが怖かった。戦闘訓練の時なんかも、あちこちから飛んでくる指示で、頭の中がいっぱいになって、周りが見えなくなりもした。
周りのみんなはどんどん先へ進むのに、私は出発地点でずっと足踏み。すっごい焦って、自分には竜騎士なんて無理なんじゃないかって思った。
でも、今はこうして、ちゃんと竜騎士をやっている。正確には、まだ竜騎士ではないけれどね。
誰にだって、どこかで躓いて立ち止まる事は有る。そこから前へ進めず、振り落とされる人もいる。でもそれは、生まれがどうだとか、育ちがどうだと、才能が無いから、とかじゃない。本当に生まれや、育ち、才能が試されるのはもっとその先、最後の最後。今はほんのちょっと、気付きや切っ掛けが足りなかっただけ。その気付きや切っ掛けを見つければ、また歩き出せる。
大丈夫、あなたは才能が有る、出来る子だと私は思う。今は、ほんのちょっと寄り道をしているだけ。進むべき道を見つけられれば、必ず歩き出せる。
恐れないで、誰もあなたの歩みの遅さを責めたりはしない。だから、あなたが恐れる事なんて、何もないのよ」
テンポ良く、ゆっくりと撫でられる様が心地よい安らぎを与えてくれ、リディアはそれに逆らうことなく、目を閉じ身体を委ねた。
メルディアの言葉はゆっくりと心に響き、少しだけ体の固さが取れた様な気がした。
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