第2話「移ろゆく日常」

 アーネストがマイクリクス王立竜騎学舎で剣術の講師として働くようになってから三ヶ月ほどが過ぎた。


 先日の長距離飛行演習での悪竜襲撃事件で、一時バタバタとしたが、今はその影響はなりを潜め、いつも通りの日常が戻ってきていた。


 けれど、その影響は確かな形として、生活の影に現れていた。



 いつもの時間割通りに行われる竜騎学舎での授業。それを受ける学生達の態度からは、最初の頃には感じられなかった緊張の色が、色濃く見る事ができた。


 おそらくそれは、先日の事件のせいで戦いは何時何処で起こるか分からないという事を、身に染みて感じたからだろう。それは、実際に襲われた学生達だけでなく、彼らの安全を祈る事しかできなかった学生達にも強く伝わったようだった。


 特に来年竜騎学舎を卒業し、竜騎士として叙任される三年次の学生達は、他の学生以上に緊張と真剣みを滲ませ、授業へと挑んでいた。


 それは、竜騎士として必要性の薄い剣術の授業である、アーネストの授業でも大きく変わる事は無かった。


 先日有ったアーネストとフレッドとの決闘で、アーネスが剣一本で騎竜に騎乗したフレッドを負かした事で、少なからず評価が上がったことも関係しているのかもしれない。



 木剣と木剣がぶつかり合う乾いた音が響く。剣と剣がぶつかり合い、バインド、鍔迫り合いへと移行する。


「うおおおおお!」


 掛け声と共に、目の前の学生が目一杯の力で、剣と剣を合わせ押し込み、アーネストの体勢を崩そうとしてくる。アーネストも負けじと力を籠め、押し返す。けれど単純な力比べて、勝てるほど甘くは無い。


 アーネストは即座に身体の軸をずらし、力を右側へと流れさせ、体勢を崩させる。剣術の鍔迫り合いになった時に基本的な行動の一つ、剣術に精通したものなら効果をなさない様な行動、けれど剣術への理解が薄い学生に対しては効果が大きかった。


 アーネストの想像した通り、急に追い返される力が抜けた学生は、体勢を前へと崩し、アーネストは丁度学生の側面へと回り込む。体勢を崩した学生は、それでもどうにか対処しようと、崩れた体勢のまま、自由の利くようななった剣を振るう。けれど、すでに次の行動に移っていたアーネストの攻撃の方が早く。がら空きになった背面を、アーネストは木剣で軽く叩く。


 背中を叩かれると、それで負けを悟ったのか、学生は崩れた体勢のまま、流されるように地面へと倒れる。


「もっと相手の動きを見極める事だな。この程度でやられる様じゃ、実戦では使い物にならないぞ」


 地面へと倒れこむ学生に、アーネストは軽く助言をかける。


 助言をもらった学生は、すぐに直ぐに立ち上がると、悔しそうな声を上げながら、のろのろと起き上がり、その場から離れていき、試合の様子を見ている学生達の中へと戻っていく。


 悔しがるという事は、それだけ真面目に取り組んでいるという事。その事がアーネストは少しだけ嬉しかった。


「次!」


 学生達の中へと戻っていく学生を見届けると、すぐざま次の相手を呼ぶ。


 アーネストに呼ばれ、学生の中からアーネストと対峙するように、前に出て来たのは一人の少女だった。


 スラッとした細身の体に、白い肌、淡い栗毛色の髪を結わいて後ろに流した少女。身に付けた革製の鎧と、手にした木剣さえなければ、荒事に関わる様にはとても思えない姿だった。


 アーネストは一度小さく深呼吸をして気持ちを入れ替える。


 リディア・アルフォード。目の前の少女は、その容姿とは裏腹に新入生ながら竜騎学舎の学生の中でも秀でた成績を残している学生の一人だった。


 リディアが、アーネストと対峙するように立つと、剣を構え、呼吸を一拍おいてから、


「やあぁ!」


 掛け声と共に、一気に踏み込み、上段から剣を振り下してくる。


 早く、正確な一撃。それだけに防ぐことは容易であるが、向こうも防がれる事は想定しており、すぐさま剣を引き、二撃目、三撃目と連撃を続け、反撃の隙を見せない。さすがと言える攻撃だった。


 けれど、見た目通り、力をそれほど持ち合わせているわけでは無く、一撃、一撃は早いものの、重くはなかった。


 カッ、カッと乾いた音が響く。鋭く、早く、正確なリディアの攻撃、並みの騎士がこれ程の攻撃ができれば、勝機を見出すのは難しかっただろう、けれど非力なリディアの一撃では、大きく体勢を崩される事は無く、受け流すのは容易だった。


 七、八と連撃が続く。体力の無さからか、少しずつ、精度と速度が落ち始める。アーネストはその隙を見逃さず、反撃を仕掛けようと、防御から反撃へと移れるように構えを変化させる。


 アーネストの動きの変化に感付いたのか、リディアは攻撃をやめ、大きく後方へと下がり、距離を取る。


(よく相手の事を見ている。さすがだ。けど)


 距離を取られたことでアーネストの試みは失敗に終わり、一拍息を取りながら構えを元に戻す。


 力が無い事を除けば、リディアの動きは今のところ完璧と言えるものだった。それだけに、これからの成長が楽しみな学生の一人だった。


 これから彼女がどう成長していくかを想像すると、自然と笑みがこぼれてしまう。最初は行くあてもなく、頼まれて始めた事であったが、今は少しだけこの仕事にやり甲斐を感じ始めていた。


「はっ!」


 今度はアーネストが踏込、上段から剣を振り下す。型通りの攻撃。


 リディアはアーネストの攻撃を、型通りの対応でしっかりと受け流す。流された剣を、アーネストはそのまま型通りに、二撃目、三撃目と続けていく。最初は少し遅く、そして、次第に早く斬撃の速度を上げていく。


 リディアはそれをしっかりと対応していき、徐々に速度を上げていくアーネストから、試されている事を感じ取ったのか、睨み返してくる。


 アーネストの動きに必死についてくるリディアを見て、再び小さな笑みを浮かべる。負けず嫌いな性格なのか、試すような事をすれば、必死にそれを乗り越えてこようとする。それをうまくコントロールできれば、彼女はもっと伸びるだろう。そう思うとわくわくしてならなかった。


(型通りの動きには付いて来れているな、なら!)


 型通りに動きに、ブレを混ぜ、フェイントを噛ませていく。それを受けるリディアは、予想外の動きを見せたアーネストに、驚き、対応できず、大きな隙を生じさせる。アーネストはそれを逃すことをせず、一気に懐へ踏み込むと、斬撃を加える。


 完全に隙を付いた一撃、それに対してリディアは、目を閉じ、斬撃を受けるのを耐える様に硬直させた。


 斬撃が完璧に決まったと判断すると、アーネストはその斬撃がリディアに届く直前でピタリと止める。


「想定外の動きに弱いな。相手が常に型通りの行動をするわけじゃ無い。型通りの動きを追うのではなく、その型がどういった動きをするためのものか良く考えてみる事だ」


 今までの動きを見るに、根が真面目であるためか、予想外の動きに弱いところが見て取れる。そこさえ克服できれば、大きく飛躍できるだろう。そう結論付け、アーネストは他の学生同様に助言を口にして、木剣を下げる。


 試合は終わりと取れる明確な合図を告げたのに関わらず、リディアは目を閉じ身構えていた。


「アルフォード?」


 すぐに動きを見せないリディアに、アーネストは声をかけ、軽く肩を叩く。リディアはそれに、一度ビクリと身体を振るわせた後、ゆっくりと目を開き、驚きの表情を浮かべ、見返してくる。


「大丈夫か?」


「え、はい。大丈夫です。問題ありません」


 声をかけるとリディアは直ぐに、いつもの澄ましたような表情に戻り、肩に乗せていたアーネストの手を払いのけると、そそくさと半ば逃げる様にその場を立ち去って行った。


 普段生真面目なリディアからはあまり考えられないような行動だった。


(だいぶ嫌われたかな……)


 振り払われ、行き場を無くした片手を宙にさ迷わせながら、先日リディアと夕食を共にした時の事を思い出しながら、もう少し良い対応の仕方をしておくべきだったと、反省する。


 早足で立ち去っていくリディアを見届けると、ちょうどよく授業の終わりを告げる鐘の音が、鳴り渡る。


「それじゃあ、今日の授業はこれで終わりだ。全員今日の動きで何がいけなかったのか、どうしていけばいいのか改めて考え直し、次へ生かしてほしい。以上だ!」


「「はい! ありがとうございました!」」


 アーネストの授業終了の宣言に、学生達は声を揃えて返事を返してくれた。


 返事とともに緊張を解き、各々休息や次の授業の準備などを始めていく学生を見届けた後、先ほどの立ち去って行ったリディアの方向へと目を向けた。


 いつもと違って見えたリディアの後姿が、どうしてか頭から離れなかった。

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