第二章「灰の竜と黒の竜騎士」

第1話「竜の国の王」

 マイクリクス王国王都、巨大な山脈を背にした巨大な城塞都市の中で、城壁に次ぐ巨大な建造物――ハーティス宮殿。マイクリクス王国建国と同時期に建造され、歴史を重ねてきた宮殿は、1000年の歴史を感じさせるほど古めかしくありながら、一際緻密で美しい姿を見せていた。


 そんな美しい宮殿の奥、マイクリクス王国国王の為に作られた執務室に、国王であるスイラス・ストレンジアスは、大きな木製の扉をくぐり室内に入ると、扉を閉めると共に大きな溜め息をついた。


 ここ数日はいつにもまして忙しかった。


「随分とお疲れの様ですね」


 スイラスが溜め息をつくと、国王の許可なしに入る事の許されない執務室の奥から、スイラスへと声がかかった。スイラスが声のした方へ目を向けると、予想した通りの人物が、窓際の本棚の近くの椅子に腰を掛け、古めかしい本へと目を落としていた。


 白磁の様に白い肌に黄金色の髪を流した女性の姿は、絵画に描かれる女神の様に美しく、見惚れさせるものだった。


「フィーヤ。来ていたのか……まったく。いつもの事だが、ここへの立ち入りは許可した覚えはないぞ」


 スイラスに声をかけてきた、マイクリクス王国第二王女フィーヤ・ストレンジアスに返事を返しながら、スイラスは部屋の最奥、執務机に合わせて作られた豪奢な椅子に腰を降ろした。


 国王の執務室には多くの本が、本棚に収まっている。その一部は王国内の出来事や、様々な数字の資料を閉じたものであるが、それ以外に国王、ひいては王族のみが閲覧を許される竜族に関する資料が収められていた。もっとも、その竜族の資料はかなり古く、今では使われていない様な言葉や文字で書かれているため、読むことができるのは、目の前のフィーヤただ一人だけだった。それも、その言語の習得はほとんど独学であるために、書物に書かれている竜に関する事柄のすべてを把握しているわけでは無いらしかった。


 フィーヤはこの竜族に関する書物を好み、時間を見つけてはこうして、勝手に入り込んでは読書に耽っているのだ。このフィーヤの変わった趣味は親であるスイラスの小さな悩みの一つだった。


「あら、良いじゃないですか。私も一応王族ですよ。それとも、私には見せられない何かが有るのですか?」


 フィーヤは顔を上げ、こちらの反応を楽しむような嫌らしい笑みを浮かべながら答えを返した。


「疲れているのだ。そういうからかいは辞めてくれないか?」


 身体から力を抜く様に、スイラスは深く息を吐き、身体を椅子へと沈める。


 面白い返事が返ってこないと分かると、フィーヤは再び手元の古書へと目を戻す。


「このところ国内、いえ竜族の動きが騒がしいみたいですからね。その対応ですか?」


「判っているのなら、わざわざ聞かないでくれ」


「話を少し聞いただけですから、すべては知りませんよ。ですから、一番詳しく知っているはずのお父様に尋ねているのです」


「お前は、竜族に関しては遠慮がないな……。その熱意をもっと別の事に向けてくれたら、どれほどよかったものか……」


 スイラスは大きな溜め息をつく。


「私からして見れば、一番近い隣人であるにもかかわらず、竜族に関して無関心すぎる様に思うのですけどね。彼らの力は大きなものであり、その恩恵を受けているにもかかわらず、余りにも無知すぎます」


「ああ、そうだな。その話は何度も聞いた」


 スイラスは熱の籠ったフィーヤの話が始まりそうなのを、軽く手を振って遮る。そんなスイラスの態度に、古書から目を離し、語り始めようとしていたフィーヤは少し不満そうな表情を浮かべる。


「それで、何が起こったのですか?」


「いつも道理だよ。先日有った悪竜ドレイクが竜騎学舎の学生を襲うという事件、それから、近年多発する飛竜ワイヴァーンが人里を襲うという事件。その事についてどういう事かと、責め立てられているだけだよ。まったく、私が竜族のすべてを知っているわけでは無かろうに、答えられるわけがない」


 これで満足かと、スイラスはフィーヤに答えを返しながら、見返す。フィーヤはそれをどこ吹く風という様に流し、


「マイクリクスの国王は、竜族と人を繋ぐ存在。竜族の言葉を聞き、人々に届ける役目を負っているはずですが?」


 また、あのこちらの反応を楽しむような嫌味な笑みを浮かべて、視線を返す。


「そんなものは形骸化した役目だということは、王族であるお前もよく知っているであろうに」


「ええ、そうですね。だからこそ、こうして彼らに事、そしてこの国の歴史に関して調べているのですよ」


 フィーヤは再び古書に目を戻し、本のページをめくる。


「ところでお父様。神聖竜レンディアス。彼のドラゴンが現れた、という話を聞いたのですが、それは本当ですか?」


 ページをめくりながら、何気ない事を尋ねる様に、フィーヤは尋ねてくる。唐突に尋ねられた事で、スイラスは答えに窮し、それが答えとなってしまう。それにより、フィーヤは興味を示し、再びスイラスの方へと視線を返す。


 スイラスは再び溜め息をつく。


「箝口令を強いたはずなのだがな……」


「人の口に戸は建てられませんよ。事の重大さを理解できていない学生なら特に」


「本当に、困ったものだ。彼の竜が歴史から姿を消して1000年。ずっと、その存在を見せてこなかったのに、なぜ今になって現れたのだ……」


 スイラスが座る椅子の後方、執務室の最奥の壁に掛けられた一枚の絵画、そこにはマイクリクス建国の神話の一節、神聖竜レンディアスと初代国王フェルディナンドが言葉を交わすシーンが描かれていた。その絵画に描かれた神聖竜レンディアスの姿を眺めながら、届かない問いを問いかける。


「お父様もその真意は判らないのですか?」


「さっきも言ったであろう。竜の言葉を聞くという役目など、形骸化したものだと。彼の竜は、私に何も語りかけて来てはおらぬよ」


「お父様はどう考えますか?」


「何をだ?」


「彼の竜が現れた意味。彼の竜は、私たちの敵なのか、味方なのか……」


「神に等しき力を持つとされる竜。味方であってほしいと願うよ。この国は彼の竜によって作られた国だ。その事を信じるしかあるまい」


 彼の竜は人に好意を向けた、それ故に手を貸し、この国を築くに至った。その好意がいまだに残っているなら、人に害を与える事は無いだろう。


「もし……彼の竜が私たちの敵となるとするなら。お父様はどうなさいますか?」


「敵とならないで済む道を探すよ。もし、無理だというのなら……戦うさ。たとえ建国に携わった竜であっても、私には国民を守る義務がある」


「私達王族が、王として相応しくないと、彼の竜が口にした場合は、どうなさいますか?」


 フィーヤの問いに対し、スイラスは一呼吸置いてから、口を開く。


 一番答えにくく、一番重要な問いだった。


「その時は、人と竜との決別の時となるかもしれないな。

 彼の竜がこの国を作ったのかもしれない。けれど、彼の竜はこの国を作っただけだ。

 我々王族には1000年間、国を守り続けてきた。国を守るという責任を放棄した竜に、国を任せるなど、できはしないよ」


「国民は、王の言葉と、竜の言葉。どちらを信じるのでしょうね。

 未だに古の竜族信仰を信じる者達も多くいますよ」


「従ってもらうさ、私たちには歴史と実績がある。そこを判らせれば問題ないはずだ」


「貴族たちは、素直に従ってくれますかね?」


「問題はそこだよ。今日も、彼の竜の言葉を聞けない王は、王ではないと言っていたよ。自分たちも彼の竜の言葉を聞けてはいないというのに、まったく」


 会議の時の、貴族の無責任な発言を思いだし、スイラスはいら立ちを募らせる。苛立ちのあまり、肘掛けに置いた手の人差し指で、トントンと肘掛けを叩き始める。


「彼らには彼の竜と話すすべが有るのかもしれませんよ」


「ほう。何か知っているような口ぶりだな」


「私が聞いた話では、彼の竜の背中には竜騎士ドラゴン・ナイトが乗っていた、と聞きました。竜銃ドラグーンの射撃と思われる閃光を見たと言う者もいましたね」


 フィーヤの返事を聞くと、スイラスは呆けた様な大きな驚きの表情を浮かべる。それに、少しだけ気分を良くしたのか、フィーヤは少し表情を綻ばせる。


「これだけ重要な情報を知らないとは、お父様の家臣はよっぽど忠誠心が薄いのですね」


「全くだ。注意せねばならないな」


 今日何度目かの大きな溜め息をつく。


「それで、その竜騎士が誰であるか、判っているのかね?」


「残念ですけどそこまでは……。私なりに調べてはみるつもりではいまが……」


「やめろと言って、やめる様な娘ではないな……。だが、無理はするなよ。私にとってお前は大事な娘の一人だ。死なれるのは困る」


「覚えておきますわ、お父様」


 それでフィーヤは満足したのか、手にしていた古書を閉じ、立ち上がると、古書を座っていた椅子の上に置き、ゆっくりとした足取りで、国王の執務室から立ち去って行った。


 相変わらず何を考えているのか良く判らない娘だった。


 執務室から出ていくフィーヤの後姿を見届けると、スイラスは本日最後の溜め息をついたのだった。

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