第24話「約束」

 悪竜襲撃の件の事後処理はあっさりと終わり、すぐに何事もなかったかの様な平穏が訪れた。それは、事後処理の殆どを正規の竜騎士などの外部の者達が行ったため、竜騎学舎で暮らすアーネストには、そう見えただけなのかもしれない。


 大きな負傷を負ったのは、戦闘に巻き込まれた騎竜数体だけで、学生達の中で大きな負傷を負ったものがいなかった為かもしれない。


 そういう訳で、竜騎学舎にはいつも通りの日常が戻ってきていた。



 そんな竜騎学舎の休日に、着なれない質の良さそうな礼服に身を包み、花束を手にしたアーネストは、竜騎学舎に併設された竜舎の裏手――マイクリクス王国王都の裏手に聳える山へと続く山道を歩いていた。


 青々とした木々に囲われたなだらかな傾斜の斜面に、真っ直ぐと走る山道には古く綺麗な石畳が敷かれており、それなりの手入れが行き届いているようだった。


 先の見えない長い山道をアーネストは迷いなく歩いていた。


「なぁ、アーネスト。これはどこまで歩けばいいんだ?」


 アーネストの少し後ろを付いて歩いて来ていた、人の姿をしたアルミメイアが不満そうな声を上げた。


「付いて来なくて良いっていったと思うだけど?」


「休日で暇なんだ。だから別に良いだろ。それと付いて来られるとまずいのか?」


「まずいって事は無いけど、わざわざ付いて来たのなら、文句は言わないでほしいな」


「これだけ遠いとは思わなかったんだ……。この先に何かあるのか?」


「もうすぐ着く。すぐわかるよ」


 アーネストの言葉を合図にしたように、道の先――開けた場所へと出る。


 そこには古く巨大な石造りの建造物が立ち、その周りには古く緻密な彫刻が施された石柱が並んでいた。それはまるで、太古に忘れ去られた神殿の様な建物だった。


「これは……」


 文明の影をほとんど見せなった山奥に、これ程の建物があったことに驚いたのか、アルミメイアは感嘆の声を漏らした。


 石造りの建物を前にしたアーネストは一度大きく深呼吸をして、建物の中へと踏み込んだ。


 建物の、人間にはあまりにも大きすぎる入り口を抜け、踏み込んだ内部は、大きな入口と崩れた屋根の隙間から入り込んだ光によって、明るく照らされていた。


 そして、建物の内部には、建物の古さに反するように、新しく綺麗に磨かれた石材で作られた石碑がいくつも並んでいて、内部の最奥には建物と同様に古く緻密な石造りの、卵を抱えた竜の彫刻が安置されていた。


「アスプ=レティス……なるほど」


 アーネストに遅れた中へ入ってきたアルミメイアは、建物の最奥に置かれた彫刻を目にすると、それが何であるかの理解したような声を漏らした。


「分かるのか?」


「分かるも何も……お前はここが何であるか判ってて来たんじゃない無いのか?」


「竜族に関する何か、としか知らないし、教えられてなかったからな。詳しく知らないんだ」


 アーネストの返答に、アルミメイアは呆れた様にため息を漏らす。


「アスプ=レティス。竜族の神の一柱だ。ここは、飛竜達の墓、なんだよな?」


「そう、だね。ここは竜騎士の騎竜になった飛竜達の墓だ」


 答えを返すと共に、アーネストは歩きだし、立ち並ぶ石碑の内、一番新しい石碑の傍へと近付く。石碑には多くの名前が刻まれていた。そして、その並ぶ名前の最後に「シンシア」と刻まれていた。この場所で初めて見る名前に、アーネストは小さく安堵の息を漏らす。


「ずっと来れなくて、悪かったな。寂しかったよな」


 石碑の前に膝を付き、花束を置く。


「そこが、お前の騎竜、シンシアの墓なのか?」


「死体は回収できなかったから、ただ名前が刻まれているだけだけどな」


 少し震えた様な、静かな声でアーネストは答えを返し、そっと冷たい石碑の「シンシア」と刻まれた辺りを、手で触れる。


 空っぽの棺に、空っぽの墓標。それらが許せなくて、認められなくて、アーネストは今までここへ足を運べなかった。ここで何かを告げようとも、シンシアには届かない様な気がしたからだ。


(違うな……)


 それはただの言い訳だ。ここへ来ることは、シンシアの死を認める事になる。だから、アーネストはここへ来たくはなかったのだろう。


「死後の魂は肉体を離れ、死後の世界を渡り、守護する神の導きによって、その神の元へと渡る。だから、ここに肉体が有るかどうかなんかなんて関係ない。

 この場所は、竜を守護する神アスプ=レティスの聖域だ。なら、ここでの言葉は神に届けられ、望むもののもとへ届けられるよ。きっと」


「そっか」


 心中を察したような、アルミメイアの暖かい言葉に、アーネストは顔を綻ばせる。


「なあ、竜族には、こういう時の正式な手順とかはあるのか? こういった事は殆ど聞いたことなくて、知らないんだ」


「アスプ=レティスは形式に囚われる様な神じゃないし、そもそも仕来りなんてない。だから、お前がいつもやっている通りで問題ないと思う」


「そうか、ありがとう」


 アルミメイアに返事を返すと、アーネストは石碑の前に膝を付いたまま、そっと胸元で印を結び、黙祷を捧げる。アルミメイアもアーネストに倣い、印を結び黙祷を捧げる。


(シンシア、ごめん。本当にすまなかった、ずっと、ずっと一人にさせちゃって……俺、お前がいない事に耐えられなくて、ずっと、逃げてたんだ。お前の事を、忘れたわけでも、嫌いになったわけでもないんだ。もし、許してくくれるなら、許してほしい。大好きだよ。シンシア)


 長く、静かに、アーネストは黙祷を捧げた。


 穏やかで、俗世から切り離されたようなこの場所では、一切の音は無く、無音の時が流れた。


 しばらくして、アーネストは黙祷を終え立ち上がる。


「俺、最低な人間だな……」


 すぐ後ろにアルミメイアが居て、聞かれる事を理解しながら、アーネストはそう言葉を漏らす。


 おそらく、自分の胸の内を誰かに聞いてほしかったのだろう。


「どうしたんだ? 急に」


「好きだとか、大切だとか言いながら、結局自分の事ばかりだ。ここへ来るのに、シンシアが亡くなってから二年もかかってしまった。最低なやつだよ、俺」


「……でもそれは、お前がシンシアの事を大切に思い、その死を受け入れたくなかったからだろ? だったら――」


「そんなのはただの言い訳だよ。それはただ、傷ついて、悲しみに暮れる自分を慰め、守るためだけの言い訳だ。

 本当に相手の事を大切だと思うなら、相手の為に成る事をするべきだったんだ。

 俺は、それができなかった……」


 手を強く握りしめ、悔しさを滲ませる。自分の不甲斐無さと思いやりのなさに、怒りを覚える。


「それにさ、あいつは俺の騎竜となるためだけに育てられ、生きてきたんだ。それなのに俺は、竜騎士をやめようとした。

 それはさ、やっちゃいけない事だったんだよ。それは、あいつの生きてきた意味を無意味なものにする行為だ。

 俺の為に、竜騎士である俺の為に生きてきたあいつの、シンシアが生きてきた時間を、無駄にする行為だ……」


「なら、竜騎士に戻るのか?」


「今は、許されるのなら戻りたい。でも、無理だろうな。あれだけ色々な人が、俺に手を差し出してくれたのに、俺はそれを全部振り払ってきた。そんな俺の願いを、今更聞いてくれる人なっていないよ」


「なら、どうするんだ?」


「さぁな。判らない……」


 自嘲気味にため息を付き、呆れた様な返事を返す。


「今の俺に、何が出来るかは判らない。でも、出来るなら。俺はあいつに、シンシアに誇れるような生き方をしたい。あいつが、俺と共に生きたことを誇れるような、そんな生き方がしたいかな」


 そして、照れくさそうな声で、アーネストは宣言した。それを聞いたアルミメイアは、少し呆れた様な、笑みを浮かべる。そして、一度息を付き、アルミメイアは口を開いた。


「アーネスト。お前に頼みがある」


 先ほどまでとは違う、真剣みの帯びた声。何か重要な事を話すのだと分かる声音だった。


 アーネストはそれに釣られ、振り返り、アルミメイアと視線を合わせる。


「私はずっと疑問に思っている事がある。今の人と竜の関わり方。それが、本当に正しいのか。

 前に見た竜騎士の姿は、私の眼には残酷なものに映った。多くの飛竜を戦場へと駆り、死なせていった。彼らの――飛竜達の意志を無視するかのように、戦争に従事させている様に見えてならなかった。私はそれが許せなかった」


 アルミメイアは一度自分目の手の平に目を向けると、その手を強く握りしめた。


「それは母様が語ってくれた竜騎士の姿とは、大きく違っていた。だから、それを確かめたくて私はここへ来た。

 竜舎の小さな柵の中に、飛竜達が閉じ込められているのを見たとき、私はこの国のすべてを壊したと思えるほどの、怒りを覚えたよ」


 アルミメイアは握りしめた手を開き、再びアーネストの方へと視線を戻す。


「でも、お前の話。お前の見る目。それらは、ちゃんと飛竜達に向いていた。これほど優しく、飛竜の事を思える人間がいるんだと、驚かされた。こういう人がいるなら、母様が話したことは本当だったんじゃないかと、少し思えた。

 でも、すべての人がそうだというわけじゃ無いし、私はこの国のすべてを見たわけじゃ無い。だから、今のこの国の姿が、正しいのか、間違っているのか、私は良く判らない。

 だから、人であるお前に、飛竜を愛することが出来るお前に頼みたい。

 人と竜が向き合って、共に生きられる世界。母様が望んだ世界を示し、築いてほしい」


 目の前の少女はそう言って、同意を求める様に、そっと手を伸ばしてきた。


「けど俺、飛竜のシンシアの事をないがしろにした最低な人間だ――」


「確かに、前のお前はそうだったかもしれない。でも、今はそうじゃない。だから、頼みたい」


 真直ぐ真剣に、黄金色の瞳はアーネストを見つめ続ける。その瞳には、自分は大した地位も権限も繋がりもない人間で、体制を変えられる様な人間ではない。そういった一切の言い訳を許さない。そう思えるものだった。


 ただ、それを行う意志が有るか、無いかを尋ねて来ていた。


 アーネストは小さく笑った。


「俺は、シンシアや他の飛竜が悲しむ世界は見たくない。だから、俺の持てる力のすべてで、それを実現したい」


 アーネストはアルミメイアの差し出した手を握り返す。それを見て、アルミメイアは小さく笑みを返す。


 風が吹く、夏の訪れを感じさせるような、暖かさのある風。それと同時に、飛竜の羽ばたく音が響き――



『クオオオォォ!』



 遠くの方で祝福するような、澄んだ様に高く綺麗な飛竜の咆哮が響いた気がした。

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