第23話「別れの言葉」
灰色の雲を抜けると、雲の上、茜色に染まった空が顔を出す。眼下には茜色の空の色を反射した雲が、何処までも広がっているかのように、地上を覆っていった。
雲を抜けきり、ちょうど良い高さまで高度を上げると、アルミメイアは高度を上げるのをやめ、羽ばたいていた大きな翼を、大きく伸ばしたまま、ゆっくり滑空するように飛ぶ。
雲の上。地上から優に数千
「ありがとう」
力を貸してくれた事、気遣ってくれた事、諸々を含め、アーネストはアルミメイアに感謝の言葉を口にする。
「さっきから何度目だ。私がしたくてしただけだ。そんな気にしなくていい」
軽く笑うような声で、アルミメイアは答えを返してくる。普段と変わらないアルミメイアの声、その声を聴くと、ここ数日の日常が思い出され、今まであった緊張が解れる様で、落ち着いた気持ちになっていく。
アルミメイアの軽い声に釣られ、アーネストは小さく笑みを浮かべる。
今まで下を向いていた視線を上げ、辺りの景色に目を向ける。
ゆっくりと飛行するアルミメイアの速度に合わせ、景色もまたゆっくりと流れていく。それでも、辺りの景色は殆ど変わる事は無く、空も雲も茜色に染まり、西の空には沈みかけの太陽の姿があった。
何処となく2年前の赤い空を思い出させる景色であるははずなのに、アーネスは目の前に広がる景色が綺麗だと感じた。
「なあ、アルミメイア。君は、竜……なんだよな?」
「今更か? もう隠す必要はない、見ての通りだ」
「なら、さ。君と飛竜は……近しい存在、なんだよな?」
「ああ、そう言う事か。……私は詳しくは知らないが、厳密には私達とは違うもの達らしい。けど、同じ竜族ではあるだけに、近しい隣人、そんな感じの印象を抱くな」
「なら……悪竜に対しても同じ印象を抱くのか?」
今になって気付いた事。それが、もしかしたら取り返しのつかない事をさせてしまったのではないかと、不安にさせられた。
竜と飛竜、この二つの間にどれほどの違いがあり、竜は飛竜に対しどういった思い抱き、親近感を持つのか、人間であるアーネストにはわからない。けれどもし、自分たちが同じ人間やエルフやドワーフなどの異種族と同じような感情を抱くのなら、それはそのまま、同じ竜族である悪竜に対しても同じ思いを抱いてしまうのでは無いだろうか。そんな風に思ってしまった。
飛竜と悪竜。姿に能力、その殆ど同じの竜族。この二つにどのような違いがあり、種族的にどれほどかけ離れているのかについては、良く判っていない。判っている事と言えば、飛竜と悪竜とでは敵対的な存在である事、そして悪竜は人間に対しても敵対的である。という事だけだ。
そもそも分類の分け方が、千年前のマイクリクス建国の際、神聖竜レンディアスに従い人間と手を組んだ竜族の一部を飛竜、それ以外の敵対的だった竜族を悪竜と分けただけのものでしかない。その二つに違いはなかったのかもしれない。
アーネストの問いの真意を察したのか、アルミメイアは一度口を閉ざした。
「……正直に話すと、本当は怖かった。自分が自分で無くなるんじゃないかって。
狩りで他の動物を狩った事は何度かあった。けど、やっぱりそれとは違うな……」
「それは……悪かった。君の事を、考えてあげられなく……」
ひどく後悔した。アルミメイアにとって悪竜を殺める事は、人が人を殺すようなものなのかもしれない。それを、アーネストはただ自分の都合だけで、アルミメイアに強要したようなものなのだ。そのような事、許せるわけはなかった。
「気にするな。いつかは起こる事だ。私にとっても、悪竜達は敵対する存在である事は変わりない」
「けど――」
「私が、私の意志で行った事だ。それ良いだろ?」
念を押すように強く、アルミメイアは答えを返してきた。
「……悪かった。それから、ありがとう」
アルミメイアの気遣いに改めて感謝の言葉口にした。
アルミメイアが大きく羽ばたき、身体を傾け、大きく旋回していく。それは、まるで飛ぶ事を楽しんでいるかのようだった。
(そういえば、シンシアともこうやって、意味のない飛行をしたっけな)
竜舎の小屋や、放牧場から離れ、自由に飛ぶ事が滅多にできなかった、シンシアは今のアルミメイアの様に、飛べる時は全力で飛び回っていた事思い出した。
アルミメイアも、竜騎学舎での生活で、竜の姿に成る事は出来ず、自由に飛び回れなかった事が、少なからずストレスになっていたのかもしれない。少ない時間を満喫するように、アルミメイアは飛んでいる様に思えた。
アルミメイアの動きに合わせ、流れていく景色。それは、どこまでも遠く、果てしないもので、自分の小ささを教えてくれるようだった。けれどそれは、とても荘厳で、美しかった。
何もかもを忘れさせてくれるような、そんな光景を見せられ、アーネストは少しずつ、少しずつ緊張と力が抜けていき――流されるように瞼を閉じた。
* * *
こくり、こくりと船を漕ぐように、ゆりかごに揺られるように、身体が揺れる。
いつの間にかに眠っていたのか、アーネストは重たい瞼を開き、目を開ける。
目を開くとアーネストは茜色の空を、白い飛竜の背に乗り、飛んでいた。
「クルルウゥ?」
アーネストが目を覚ましたことに気付いたのか、白竜はアーネストの方へ顔を向け、小さく喉を鳴らした。
鋭さと愛らしさを兼ね備えた様な黄金色の瞳、雪の様に白い鱗、高く透き通ったような鳴き声。一つ一つが記憶の奥底に焼付いたものと酷似していた。
シンシア。ずっと探し求め、焦がれた者の姿が、そこに有った。
驚きの表情を浮かべるアーネストに、シンシアは軽く首を傾げ、そして、何かを求めるような、そんな表情を浮かべた。
笑えばいい。あの頃の様に笑って、撫でてあげればいい。
判っているはずなのに、引きつった頬では笑顔を浮かべる事は出来なかった。
目元に涙が浮かぶ。それを見たシンシアが「クルウゥ」と不安そうな声で無く。
「ごめん。そうじゃないんだ」
涙を拭い、そしてアーネストは今度こそ笑った。それで気分を良くしたのか、シンシアは『クオオォォ!』と高く、大きな咆哮を上げた。
そして、大きく羽ばたき、茜色の空を舞った。他の飛竜達なんかより綺麗な弧を描きながら、華麗にゆっくりと、舞って見せた。それは、何処までも記憶の中にある、シンシアのものと同じだった。
どこまでも、どこまでも、記憶の中のシンシアの姿そのもので、本当に目の前にシンシアがいるような気がした。
シンシアは楽しそうに空を舞う。それがとても眩しく、嬉しかった。これが、ずっと、ずっと続けばいいと思えるほどだった。けれど、この時間はそう長くないと、そう思えた。
「シン……シア」
楽しそうに飛ぶシンシアに、アーネストは寂しさと、嬉しさを綯い交ぜにした声で、言葉を探りながら声をかけた。
シンシアは「クルルウゥ」と喉を鳴らし、顔をこちらへと向けた。
「シンシア……ごめん。すまなかった」
最初に出てきたのは、謝罪の言葉だった。
「助けられなくて、ごめん。傍に居てやれなくて、ごめん。それから――」
笑っていたかった。けれど、できなかった。ずっと求めていた場所なのに、どうしてか涙を抑えられず、崩れていく。
「ありがとう。俺と一緒に飛んでくれて、俺の傍に居てくれて、嬉しかった。大好きだよ。シンシア」
ずっとずっと伝えたかった言葉。傍に居るのが当たり前で、今までまともに口にした事のなかった言葉。その言葉を、伝えたかった。
「クルルウゥ~」
それを聞いたシンシアは嬉しそうに喉を鳴らし、大きく羽ばたき空を舞い、天へ高く、高く、上って行った。
周りの雲が晴れていき、大空が広がっていく。どこまでも、どこまでも広がる大空を、高く、高くシンシアは飛んで行く。
ふわりとアーネストの身体がシンシアの背中から離れ、宙に浮く。そして、アーネストが背中から離れるとシンシアは優雅に舞い、アーネストの方へと振り返った。
別れの時が来た。なぜだかそんな気がした。
シンシアはゆっくりとアーネストの方へと近付き、じゃれる様に頬をアーネストの頬にこすり付けた。
しばらくされる事のなかった、くすぐったく感じるその仕草が、とても懐かしく思えた。
シンシアは顔を離し、再びアーネストへと向き直り、何かをねだる様な、そんな表情を浮かべる。
「シンシア。ありがとう。さようなら」
受け入れられず、口にできなかった言葉。その言葉を口にした時、何かがすっと抜けおちた様な気がした。
シンシアはアーネストの言葉を聞くと、一度目を細め、笑みを浮かべると、大きく羽ばたき、空へと舞いあがった。
『クオオォォ!!』
最後に甲高い鳴き声を上げシンシアは、アーネストを残し、高く、高く飛び立っていた。広く、どこまでも続く空の果てに、シンシアの姿は消えていった。
それをアーネストはただ見上げ、届くはずのない手を伸ばした。
温もりが離れ、再び寂しさと、冷たさががアーネストの身体を包んでいく。
これでいい。
伝えたかった言葉、伝えるべき言葉を伝え、すべてが納得いく形になったはずなのに。それでも、離れた温もりが愛おしかった。
ゆっくりとアーネストの身体が重力に引かれ、落ちていく。天に上ったシンシアと自分との距離を引き離すように、落ちていた。
『私が傍に居てやる。だから、お前は一人じゃない』
暖かく、優しい声が聞えた気がした。
ふわりと何かがアーネストの身体を包んでいく。それは、冷え切った身体を暖かく温める様にアネストを包み込み、拾い上げていた。
それでも、心に空いた寂しさを拭うことは出来なかった。けれど、少しだけなら前を見れる気がした。
「さようならだ……」
* * *
ふと、背中に有った違和感が消えていく。
振り向くと、アルミメイアの背中から、アーネストの姿が滑り落ち、宙へ投げ出されていた。
アルミメイアは即座に方向転換し、落下していくアーネストを手で拾い上げる。
「お前は……仕方がない奴だ」
拾い上げたアーネストは、力なく倒れ、静かな吐息をたてて、眠っていた。その表情はとても安らいだ表情をしていた。
片手で簡単に握りつぶせそうな、小さく、ひ弱な存在。そうであるはずなのに、彼の言葉一つ一つに心を動かされ、目を離せなくさせられたのは、とても筋義でならなかった。
母様が語った人間の話とは、大きく異なるものであったが、それでも母様が人間に好意を抱いていた理由が分かった気がした。それだけに、今の手の上で眠るアーネストの姿が愛おしく思えた。
寝息をたてるアーネストの姿を見て、アルミメイアは小さく笑う。そして、視線を前へと戻し、大きな羽ばたきと共に舞うようにして、大空を飛んで行った。
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