第17話「わたしの立ち位置」

 灰色に染まったままの空に、八騎の竜騎士による編隊が飛び立っている。竜騎学舎に残っていた最後の竜騎士達だ。


 竜騎士達が飛び立っていくと、竜舎には竜舎の飼育員と演習に参加せず待機することに成った講師の竜騎士のだけが残され、最後に飛び立っていく竜騎士の姿を地上から眺めていた。


 結局アーネストはあのまま竜騎学舎の屋上から動くことは無く、最後の竜騎士達が飛び立っていくまでの間、飛び立っていく竜騎士達の姿を眺め続けていた。


 六年前の竜騎学舎に入学してから何度も見続けた光景、けれど今目の前に見える、飛び立っていく竜騎士達の姿はあの頃より遠くにいる様に見えた。



「クゥオオオォォン」


 飛び立った竜騎士達の姿が灰色の空に消える頃、何処からか可愛らしい飛竜の鳴き声が響いた。そして、パタパタという小さな羽音が続き、カツっと固い石畳に飛竜の爪が当たる小さな音がアーネストの足元の辺りから聞こえた。


 アーネストが音のした方へ目を向けると、そこには小さな飛竜の幼竜が一匹立っていた。幼竜はアーネストに見つめられると、視線を返しコクリと首を傾げる。


 どこかで見た事のある、細身で小さな幼竜の姿だった。


「お~い、こ~ら。勝手に飛び回るんじゃないって、さっき言っただろ~」


 しばらく幼竜と見つめ合っていると、屋上の入り口の方から少し間の抜けた窘める声と共に、アルミメイアが屋上へと上ってきた。


 アルミメイアの声を聴くと幼竜はすぐさまアーネストから視線を外し、屋上の入り口の方へと向き直ると、パタパタと跳ねる様に飛び、入り口から顔を出したアルミメイアの胸に飛び込んでいった。


「こいつ」


 胸に飛び込んできた幼竜をそのまま抱きかかえると、アルミメイアは軽く叱るように、指でトンと幼竜の頭を叩く。それに幼竜は「クウゥン」とくすぐったそうな反応を返す。


 そんなアルミメイアの姿は、子供が背伸びをして妹か弟を叱るかのような姿に見え、少し微笑ましいものがあった。


「なんだ、アーネストか。こんなところで何やってるんだ?」


 アーネストの姿に気付くとアルミメイアは声をかけてきた。


「暇だったから、ここから飛んで行く飛竜達を眺めていただけだよ。


 それより、その幼竜どうしたんだ?」


 アルミメイアに抱きかかえられた幼竜に目を向けながら尋ねる。


「ああ、こいつか。今、竜舎で飼育の手伝いをしているんだ。その一環としてこいつの世話を任されているんだ」


「ケージから出して大丈夫なのか? まだそんなに大きくないだろ」


「勝手に出してはいけないんだけどな。けど、ずっとケージの中だと逆に成長に悪いから、今は外に出してやってる」


 ペロリと、抱えられたままの幼竜がアルミメイアの頬をなめる。唐突の出来事にビクリと身体を震わせ、舐めてきた幼竜を軽く一睨みする。


「ずいぶんと懐かれているんだな」


「こいつ、私を母親と思ってしまっていらしい。私はまだそんな歳ではないんだがな」


 少しアルミメイアは困ったような表情を浮かべた。



『グオオオォォ』



 飛竜の数が少なくなり静かになった竜舎の方角から、飛竜の咆哮が響く。


 何かあったのかと視線を向けると、飛び立っていたったはずの竜騎士達が竜舎の方に戻ってきていた。


「何かあったのか?」


 少し慌ただしく動き回る竜舎の職員たちを眺め、アルミメイアが尋ねる。


「ここからだと良く判らない。けど、何も……なさそうだけど……他の班か?」


 竜舎に戻ってきた学生とその騎竜達には何の異常も見る事は出来なかった。そうなるとトラブルがあったのは他の班と思われる。けれど、それだと同時に別の疑問が浮かぶ。


 長距離飛行演習ではそれぞれ各班に一騎の講師の竜騎士か、正規の竜騎士のどちらかが随伴しており、トラブルがあった場合は基本的に随伴の竜騎士が問題に対処する事になっている。そのため一つの班にトラブルが発生した場合に、その影響が他の班に及ぶことは少ない。少なくともアーネストが知る限り、そうなった事例は知らない。


 頭に浮かんだ疑問が次第に嫌な予感に変わっていく。


「ちょっと、見てくる」


 まだ状況が読み込めていないアルミメイアに、アーネストはそう告げ即座にその場を後にして、学生と竜騎士達が集まる放牧場へと急いだ。



「何かあったのですか?」


 放牧場へとたどり着くと、戸惑う様子の学生たちをかき分け、人だかりの中心の辺りへとアーネストは声をかける。


 人の数は思ったよりも多くあった。よく見ると戻ってきていたのは最後に飛び立っていたった班だけでなく、その一つ前の班の学生の姿もあった。


「あなたは?」


 返事はすぐにあった。返事を返してきたのは未だに騎竜に跨ったまま、周りの竜騎士や学生に指示を飛ばしていた竜騎士だった。


「私は竜騎学舎の講師の騎士です。何か問題があったようなので、それを確認しに来ました」


「講師の騎士ですか、それはちょうどいい。演習は中止になりました。あなたには学生たちの先導をお願いします。この場から退避させてください」


「何かあったのですか?」


 テキパキと指示を返してきた竜騎士に、アーネストは詳細を尋ねる。すると竜騎士は少し険しい表情を浮かべ、一度辺りを見回すと


「ちょっとこちらへ来ていただけませんか?」


 と小さな声で返してきた。


「お前たち、一旦ここで待機していろ。良いな!」


 大声で未だに戸惑いの表情を浮かべる学生たちにそう指示を飛ばすと竜騎士は騎竜から飛び降り


「こちらへ」


 と人の場所から離れた場所へ移動するように促される。アーネストはその竜騎士に従い離れた場所へと移動する。


 人気のない場所に移動すると竜騎士は、一度辺りに誰もいないかを確認すると口を開いた。


「すぐに報告が届くと思いますが、実は演習参加中の一班が、空路上で悪竜の群れと遭遇――」


「え」


 『悪竜の群れと遭遇』の言葉を聞いた瞬間、アーネストの目の前に悪竜が口をあけ、ぎらつく牙を覗かせる姿が浮かぶ。そして膝から力が抜けたかのように、ぐらりと体勢を崩す。竜騎士はアーネストの腕を掴み、どうにか倒れるのを止める。


「大丈夫ですか?」


「すみません。大丈夫です」


 どうにか足に力を入れ、アーネストは立ち直る。


「悪竜の数は……?」


 少し呼吸を荒げながら尋ねる。


「報告では十七と言っていました」


「じゅ、十七……」


 アーネストは再びふらつく。竜騎士が手を貸そうとするが、アーネストは壁に手を付きどうにか踏みとどまる。


 演習の班は六騎、それに随伴の竜騎士を含めた七騎が基本。ということは、たった七騎で悪竜十七体に襲われたということに成る。たとえ七騎すべてが正規の竜騎士だったとしても、十七体の悪竜相手では敵うはずがない程絶望的な数の差だった。


「なんで……そんな数の悪竜が……」


 過呼吸気味になりながらどうにか尋ねる。


「わかりません。とりあえず近隣の砦に駐屯する竜騎士と、私達で悪竜達を撃退することに成りました。襲われた生徒たちは、今安全な場所まで下がってもらっています。私たちは迎撃の為一旦この場を離れます。ですので、あなたには生徒の誘導を頼みます」


「わ、わかりました……」


「それとこの事は生徒達には黙っておいてください。無用な混乱は避けたいので」


 そう的確に指示を出すと竜騎士は一度アーネストに頭を下げ、自身の騎竜の元へと戻っていった。


 残されたアーネストはふらつく体を近くの壁にあずけ、過呼吸気味の息をどうにか整えようとする。


 『悪竜の群れとの遭遇』この言葉を聞いてから、あの赤い空での出来事が思い出され、焼けついたように頭から離れてくれなかった。


 鈍く青白いごつごつとした鱗。黄金色の瞳。霜の降りた牙。それらが頭の中をぐるぐると駆け巡り、赤い鮮血をまき散らしながら人を噛み潰す姿と、白い鱗を噛み砕き、引き裂いていく姿が頭によぎる。


「うっぷ」


 唐突に胃が収縮し、内容物が逆流する感覚が襲う。アーネストは手で口を押え、しゃがみ込みどうにか耐える。


 しばらくその場でうずくまり、アーネストはどうにか吐き気と押え、息を整え立ち上がる。


 そしてのろのろと未だにふらつく体で、どうにか元の場所へと戻っていった。



 アーネストが再び放牧場へと戻ると、先ほどより学生の数が増えている様に思えた。確認してみると、さらにもう一班戻ってきたところで、何騎かの騎竜が着地しているところだった。


 それと入れ替わるように、演習に参加せず待機していた講師の竜騎士達がそれぞれ騎竜の装備を整え、編隊を組みながら飛び立って行っていた。


 やはり学生たちには詳細を聞かされていたのか、困惑した表情であれこれ学生同士で詳しく知らないかと情報の交換をしていた。


「みんな、演習は中止だ。この場に合留まると邪魔になるから、一旦校舎へ戻ってくれ!」


 アーネストは声を張り上げ、生徒達を誘導するように叫ぶ。


「先生。一体何があったんですか?」


 アーネストが学生たちの誘導を始めると、当然と言える質問を投げかけられる。残された竜騎学舎の講師がアーネストだけとなり、自然と詳細を求める学生たちの視線がアーネストへと集まる。


「それは……詳細は後で説明します! ですから、とりあえず一旦校舎へ戻ってください!」


 とりあえずという様にアーネストは詳細を語らず、校舎へ戻るよう誘導する。学生達も最初は不満を訴えたものの、次第に諦め指示に従い、ゆっくりと校舎へと歩き始める。


 どうにか任された仕事を全うできた事に、アーネストはそっと胸を撫で下ろす。


 けれど、事はそううまくは行かなかった。



「え、それ本当か?」



 学生たちの中からそんな声が上がった。


「ああ、俺随伴の竜騎士達の話聞いたから間違いない」


「何があったんだ?」


 次第に話が広がっていき、学生達は足を止め、視線がそこへ集まっていく。


「一班――クリフォードとメルディナの班が悪竜に襲われたらしい。それもすげえ数だって。だから、今動ける竜騎士かき集めて迎撃に出てるらしい」


「マジかよ。それ、やばくねえか?」


 事の詳細が広がっていき、すると今度は学生たちの視線がアーネストへと向けられる。


「先生。この話、本当ですか?」


 確信を持って尋ねられたその質問に、アーネストはすぐさま答えを返せず、動揺し、目を逸らしてしまった。そしてそれが、問いに対する明確な答えとなってしまう。


 大きな動揺が学生達の間に走る。


「みんなは一旦校舎へ戻って。悪竜達は正規の竜騎士達が対処することに成った。問題はない」


 動揺してしまった気持ちをどうにか切り替え、アーネストは再度誘導を試みる。


「それでクリフォード達は大丈夫なのか?」


 けれど学生達はそれでは動いてくれなかった。


「竜騎士達は迅速しているはずだ。だから問題はいはずだ」


 何の根拠もない言葉だった。むしろ、あり得ない可能性を語る言葉だった。


 悪竜の数は判っているだけで十七。曇り空の中では容易に隠れられる。そのため、もっと多くの数が居てもおかしくない。実際アーネストはそれを目にしている。そんな数を相手に、倍近い数の竜騎士を用意したところで死傷者が出る事は避けられない。その上戦場にいるのは実戦経験のない学生では、まず生き残る方が無理と言える。


「敵の数、二十近いって話ですが、すぐ動ける竜騎士十五騎もませんよね?」


「近隣の竜騎士団から竜騎士を派遣してもらう事になっている。だから――」


「それ、どれだけ時間かかるんですか? そんな数の竜騎士すぐ集められるんですか?」


「それは……」


 強く問い詰められアーネストは答えに詰まってしまう。それを見て、問い詰めていた男子生徒は舌打ちをし、踵を返し竜舎の方へと歩き出す。


 周りで見ていた学生達はそれで何かを察したのか、男子学生に続き一部の学生たちが歩き出す。


「どこへ行く! 校舎へ戻れ!」


「助けに行くんですよ! 今騎竜の準備が整っていて、すぐ動けるのは俺達だ。なら、俺達だって動くべきだ」


「ダメだ。危険すぎる。死にに行くようなものだ!」


 アーネストは急いで男子生徒の目の前へと回り込む。


「危険なことくらい判ってる。けど友達を見捨てられる分けねえだろ!」


「だからと言ってお前たちを死なせるわけにはいかない!」


「俺達だって戦うための訓練は受けている。死ぬつもりなんかない」


「いくら訓練を受けていようと、悪竜はそう簡単にかなう相手ではない。危険な真似はするな! 今すぐ校舎へ戻れ!」


 怒鳴るような強い言葉で強引に学生を引き留める。けれどその言葉が男子生徒を逆なでしたのか、さらに強く怒りの表情を浮かべた。


「竜騎士でないアンタに、俺達の力の何が分かるんだ? 見くびるなよ。悪竜程度、簡単にやられるほど軟じゃない」


 学生に胸倉を掴まれ、鋭い瞳で睨まれる。


「地べたを這うだけしかできない騎士が、俺達を推し量るんじゃねえよ。ただ狩られるだけのアンタらじゃ、悪竜はさぞ脅威だろううさ。でも俺達は竜騎士だ。対抗する力を持っている。何もできない奴はすっこんでろ!!」


 怒声と共に突き飛ばされる。アーネストは一度たたらを踏むが体勢を立て直し、男子生徒を睨み返す。


「俺だってドラ――」


 そして男子生徒を止めるために口にしようとした言葉は、そこで閉ざされてしまった。


 正規と竜騎士と同様の装備が有るとはいえ、今ここで学生達を生かせてしまっては、彼らの多くを死なせることに成る。そのような事させられる訳はなかった。


 騎竜を持たず、竜騎士として戦う力のないアーネストに出来る事は――学生達を守る術は彼らを行かせないことだと判っている。けれど、言葉は続かなかった。


 自分が竜騎士であり、悪竜との実戦経験からその危険性を説けば、生徒たちは考え直してくれる可能性は高かったかもしれない。けれど、その口にするべき言葉をアーネストは口にすることが出来なった。


 それは今までずっと否定してきた言葉。そして、ずっと逃げ続けてきた言葉。


 そんな自分にその言葉を口にする資格がないという様に、喉を詰まらせた。


「どけ」


 何も言わず立ったままのアーネストを、男子生徒は冷たく突き飛ばした。アーネストはよろよろと体勢を崩し、尻餅をつく。


 男子生徒はそんなアーネストに目もくれず、竜舎の方へと歩き出す。他の生徒達も同様に続く。



 竜舎から竜騎学舎の校舎へと続く道の上にアーネストだけが残される。


 やるべきことは判っているつもりだった。けれど、身体は動くことは無く、そのまま地べたに座ったままだった。


 後方から複数の羽ばたく音が見える。目を向けると騎竜が複数飛び立って行く姿が見えた。おそらく学生達のものだろう。


「やめ、ろ……」


 距離的に届くははずの声で呟き、手を伸ばす。


 飛び立って行く学生達の姿は、どこかあの赤い空での部下たちの最後の姿と重なって見えた。

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