第15話「わたしの理想」

 灰色の重々しい雲の下を八騎の竜騎士が飛んで行く。


 先頭の二騎、赤茶色の鱗に覆われた飛竜には三年次の学生であるクリフォードとメルディナが編隊を先導するように飛ぶ。そして、隊の中央で最小学年であるリディアとフィルが飛び、それを囲うように二年次のオズウェルとイオンが飛ぶ。そして編隊から少し離れた後方を警護目的の正規竜騎士二騎が左右に飛んでいた。


 正規の竜騎士である後方の二騎は当然完全装備の状態であるが、他の六騎のリディアとフィルの騎竜を除いた四騎もそれぞれ竜騎士の標準装備のすべてを装備しており、リディアとフィルはそれから武装のみを外した状態で飛んでいた。


「そろそろ半分。というところか」


 先頭を飛ぶクリフォードが辺りを見回しながら、長距離飛行演習の空路上でどの辺りであるかの、大よその辺りを付けながら呟く。


「今回は、結構速く回れていますね」


 クリフォードの言葉を聞き、メルディナは銀の懐中時計で時刻を確認しながら返事を返す。


「ああ、けど……少しペースを見誤ったかな」


 クリフォードは後方を確認し、不安の色を滲ませながらに言う。


 クリフォードの視線の先には新入生うちの一人、フィルの姿があった。フィルは辛そうな表情で、額に脂汗を浮かべ、息を荒げていた。


 地上へ目を向けると、そこにはなだらかな平野が広がっており、ぽつぽつと木々が豆粒の様に見える。これだけの高さから地上を見ることは、普通に生活しているだけでは体験する事は無い。その上、地に足がついていない状況である。成れない者にとっては、大きな精神的負担になる。その長時間の精神的負担が、肉体にもおよび、体力を消耗してしまっているのだろう。フィルの容態は長距離飛行演習を初めて体験する新入生によく見られるものだった。


「マーティン君。大丈夫かい? きつい様なら一度地上に降りて、休息を取る事出来るよ」


 フィルの容態を心配するようにクリフォードは声をかける。


「だ、大丈夫です。まだまだ行けます」


 それに対しフィルは顔を上げ気丈に振る舞って見せる。それが逆にクリフォードは不安にさせられるものだった。


(どこかでパタリといかないといいけど……)


 次にクリフォードはもう一人の新入生であるリディアへと視線を向ける。


 リディアはフィルとは対照的に、涼しい顔を浮かべあたりの景色を眺めていた。


(気丈に振る舞って見せる原因は、これかな)


 年度最初の長距離飛行演習の際、新入生は皆大なり小なり辛い思いをする事になる。そのため、大抵は新入生がばてた時、傍に同じような仲間である新入生がいるはずだが、フィルの場合はその仲間であるはずのリディアが涼しい顔を浮かべていては、自分一人が班全員に迷惑をかけてはいけないと思い、気丈に振る舞ってしまうのだろう。


 どうしたものかとクリフォードは頭を悩ませる。


「どうかしましたか?」


 リディアに目を向けていると、その視線に気付いたのか、リディアがこちらへと顔を向け、問いかけてくる。


「いや、大した事は無いよ。君は随分と平気そうだなと思って」


「飛ぶことには慣れていますから」


 リディアは素気ない返事を返し、用がないとわかるとそのまま視線を外し、また遠くの景色へと目を移していった。


(とりあえず、次のチェックポイントまで様子を見て、酷くなるようなら休憩を取ろう)


 クリフォードはもう一度フィルの方へと目を向け、そう結論付ける。


(それにしても、何かあったのだろうか?)


 今度は編隊の後方を飛ぶ二騎の竜騎士へと視線を向ける。


 クリフォードが知る限り、今までの長距離飛行演習では警護目的で随伴してきた正規の竜騎士は一騎だけだった。召集された竜騎士団の関係で、そういう班が生まれたというわけでは無く、今まですべての班が警護目的の随伴は一騎だけだった。けれど、今回はそうではなくすべての班に警護の竜騎士が二騎ずつ付いていた。


 理由も告げられず、今までと違う警護体制は少しだけ不気味さがあった。


「どうしたの?」


 しばらく思案し後ろを眺めていると、それが気になったのかメルディナが声をかけてくる。


「いや、なんでもない」


 きっと気のせいだろうと流すようにクリフォードは答えを返し、前へと向き直った。



「大丈夫?」


 襟に付けられた通話用の魔導具を軽く操作し、通信範囲を最小に設定し、リディアはすぐ隣を飛ぶフィルに声をかける。


「大丈夫だよ」


 先ほどと同じようにフィルは気丈に振る舞って見せる。


「同級生ですから、遠慮することはありませんよ」


「いや、本当、大丈夫。だいぶ、慣れてきたから」


 フィルは息を整えながら答える。その表情は先ほどより少しだけ、顔色が良くなってきている様に見えた。


「そう。それならいいですけど」


 フィルの容態を見て取るとリディアは素気ない声で答えを返す。それを見たフィルは小さく笑う。


「ありがとう。気遣ってくれて」


「今はチームですし、仲間です。仲間なら心配するのは普通ですよ」


 リディアは再び素気ない声で答える。


「それでもありがとう」


 リディアにそう告げるとフィルは、一つの懸案事項をこなしたかの様に、大きく息を吐いた。


「あ~、よかった。俺、ちょっとリディアさんの事誤解してたみたいだ。印象と違って安心したよ」


「誤解?」


「俺、リディアさんってもっと冷たくて、厳しい人だと思ってた。でも違ってて安心した」


 そう言ってフィルは嬉しそうな笑みを浮かべる。


「もし、よかったらさ。これから長い学舎生活、仲良くしていかないか?」


 そして、フィルはそう告げた。


 クスクスクスとフィルの言葉の直ぐ後に、小さな笑い声が耳に付けた通信用の魔導具から聞こえる。


 すぐ前を見るとメルディナがリディアとフィルの方へ顔を向け、笑っていた。どうやら通信範囲を制限していなかったフィル側の声が、周りに届いてしまっていたようだった。


「いいわね。若いって」


「メルディナ。君と彼等とで歳はそんなに変わらないぞ」


「そう、ありがと。でも、ああいった会話はこれからがあるから、出来るものじゃない? 私達三年生よ。もうすぐ終わりを迎えるわけだし、ああいった会話は出来ないわ。ちょっとうらやましい」


 そう言ってメルディナは少しからかう様に笑う。


「おら、お前ら! 見せつけてんじゃね!! 相方が野郎な俺の事も考えろよなぁ!」


「全くだ。相方がオズではなく、もっとまともな相手だったら少しは楽しく眺められたものを。むなしくなるではないか」


「てっめ、イオン。そりゃどういう意味だ!」


「言葉通りの意味ですが?」


「お前後で覚えてろよ!」


 どっと話が広がり、それと共に笑いが広がっていく。からかわれたフィルは顔を赤く染め下を向く。


 その光景はとても楽しそうなものだった。ドクンと鼓動が胸を打つ。少しだけ身体が熱くなり、胸から何かが湧き上がってくる。


 リディアは小さく笑みを浮かべてみる。



 私は今、笑えているだろうか? 誰にでもなく、そう問いかけた。



 ふと頭に、姿が掠めた。それは5年近く前に見た竜騎士の姿だった。


 その竜騎士を見たのは、王都で行われた小さな武闘大会を見に行った時だ。その武闘大会は王都の何かの祭りの時に行われた小さなもので、参加者の中には竜騎学舎の学生も含まれていた。


 競技は竜上槍試合の一騎打ち。競技とはいえ初めて目にする竜騎士同士のぶつかり合いに、リディアは大きな衝撃と共に恐怖を抱いた事を覚えている。


 そして多くの熱狂する観客の中で一際注目を集めていたのが、目立つような白い騎竜に騎乗した竜騎士だった。若く、学生の身でありながら、正規の竜騎士に劣ることなく打倒していく姿は、リディアを含む多くの観客を魅了していった。


 当代最強の竜騎士フレデリック・セルウィン。名前を知ったのはその武闘大会から少したってからの事だった。


 彼は下級貴族の出身ながら、竜騎士としての活躍によって賞賛され、評価されていった。今では上級貴族と同じような扱いを受け、将来近衛竜騎士団の席を望まれるようにさえなっている。


 出自に縛られず、自分の世界に生きるフレデリックの姿は、侯爵の娘としての肩書で見られ続け、それにしばれてきたリディアには輝いてみ見えた。そして、自分も彼の様に生まれに依らず、何かに縛られた世界ではなく、自分の世界に立ちたいと思った。それがリディアの竜騎士を志すきっかけだった。


 目の前に映る竜騎学舎の学生たちの姿は、かつて見たあの竜騎士の姿と重なって見えた。



 自分が思い描いた世界が、直ぐそこに有る様な気がした。そして、同時に、自分はまだそこに立てていない寂しさを感じた。



 私は今、笑えているのだろうか?



 あの武闘大会で輝いていた、白竜の竜騎士はどんな思いで、あの場所に立ち、どんな思いで笑顔を浮かべていたのだろうか? そう、届かない問いの答えを求めた。



『グオオオォォ!!』



 轟音を思わせるような重たい咆哮が、どこからか響いた。その方向によって、埋没していたリディアの意識が引き戻される。


『グオオオォォ!』


 対抗するかのように編隊の騎竜達も咆哮を上げ、殺気立ち始める。


「な、なんだ!?」


「何が起こっている?」


 突然の状況に先輩たちの慌てたような声が、通信用の魔導具を通して聞こえる。



『十時の方向、雲の隙間! 悪竜を確認!』



 演習が始まってからずっと黙ったままだった護衛の竜騎士の声が、割って入ってきた。


「うそ……」


 護衛の竜騎士の示す方向へ目を向けると、灰色の雲を背に、ぽつぽつと黒く大きな点の様な悪竜の姿が目に入った。


 それも一つや二つではなく、十を超える数の影が目に入った。



『学生ども! 演習は中止だ! 今すぐ引き返し、助けが来るとこまで引くぞぉ!』



 怒鳴りつけるような護衛の竜騎士の声。その声で、目の前の信じられない様な光景から現実へと引き戻させる。


『先頭、班長が先導しろ! 一つ前のチェックポイント目指せばいい! くれぐれも隊列は乱すな! シリル、今すぐ『送致センディング』を飛ばせ!』


 矢継ぎ早に護衛の竜騎士が指示を飛ばし、指示を受けたもう一方の護衛の竜騎士が空中に竜銃を空撃ちするとともに『演習空路67空路上、プルーフ平原、悪竜と遭遇、数は十七! ポイント6まで後退します』と大声で告げるとともに、護衛の竜騎士二騎は速度を上げ、編隊のすぐ前――悪竜と学生たちの間に移動していく。


「えっと、これは……演習ですよね?」


 唐突に殺気立ち始めた竜騎士達を見て、恐る恐るといった声音でクリフォードが尋ねる。


『いいから早く引き返せ! 食い殺されたいのか!』


 何かの間違いであってほしいと言う言葉だったのだろう。けれど、帰ってきた言葉は非情なものだった。


「ぜ、全騎反転しろ!」


 慌てた様にクリフォードが指示を飛ばし、騎竜を大きく旋回させる。それに続き他の学生たちも騎竜を旋回させる。


 大きく旋回していく学生たちの姿を見届けると、護衛の竜騎士達も学生たちの後ろに付く様に騎竜を旋回させお後を追う。


「学生ども、今のうちに竜銃に弾を込めておけ。いざとなったらそれで迎撃しろ、発砲は俺が許可する。ただし、打つ時は味方を打つなよ」


 リディアたちの後ろに付いた護衛の竜騎士がそう告げる。


 竜銃――竜騎士用に設計された魔導銃。竜騎士の標準装備で、最も殺傷性が高い武器。それだけに、使用が制限される武器。その武器の使用許可が出たことが、それだけこの状況が差し迫ったものである事を示す。



『グオオオォォ!!』



 先ほどよりも大きく、近くから悪竜の咆哮が響く。


 背後へと目を向けると、先ほどまでは遠くに見えた悪竜の姿が直ぐ傍で、はっきりと分かるほどの距離にいるのが映る。


 鈍く青白い鱗、黄金色の鋭い瞳、ぎらついた霜の降りた牙。それらがはっきりと目に映り、獰猛な殺意をもって、こちらに狙いを定めているのが分かった。

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