第14話「見つめる先に映るもの」
灰色の重々しい雲が空を覆い、薄い影を地上に落としていた。
そんな曇り空の下、マイクリクス王立竜騎学舎の裏手に作られた竜舎の広々とした放牧場には、数多くの飛竜が綺麗な列を作って並んでいた。そして、そのほとんどの飛竜達が戦闘用の鎧を装備しており、飛竜と飛竜の間を駆け回る人達もまた鎧を着こみ、まだ鎧を装備しきれていな飛竜達に鎧を装着させていた。
今日、竜騎学舎で二月に一回、年に五回ある最も規模の大きい授業、長距離飛行演習が執り行われる日だった。その演習のために、生徒たちと騎竜、それから警護に付く正規の竜騎士とその騎竜達が竜舎の放牧場に集まっていた。
五十騎近い竜騎士の騎竜がほぼ完全装備で立ち並ぶ様は、まさに壮観と言えるものだった。
そんな居並ぶ飛竜達の姿をアーネストは竜舎から離れた、竜騎学舎の屋上から眺めていた。
「アーネスト、こんなところに居たのか……」
黄昏る様に飛竜を眺めていると、どこからか声がかかった。
アーネストが声のした方へ目を向けると、竜騎士用の鎧を着こみ、腰には剣と
「ここからだとよく見えるので」
「いい眺めだよな。俺も毎回飛ぶ前に、ここからの眺めを見るようにしてるんだ」
ヴェルノがアーネストの横に立ち、竜舎の放牧場へと目を向ける。
「飛ぶ前に、生徒たちに声をかけたりしなくていいのか? 初めての奴らは緊張もあるだろ」
「今の俺が声をかけても何の励みにもなりませんよ。それに、
ため息交じりにアーネストは答える。
「あそこには同期と一個上がいるんだったな。そう言えば」
「ええ」
「なら挨拶に行った方がいいんじゃないか? 竜騎士に戻らないって決めてる以上、どっかでこういう顔を合わせなきゃいけない。なら、早い方がいいんじゃないか?」
「そう、なんでしょうけどね……気持ちの上では判っていても、なんだか動き出せなくて……」
「そうか……」
どこか寂しそうな声でヴェルノは答えを返した。
「悪いな。なんだか湿っぽい話をしちまって」
「いえ、気にしませんよ。それより、飛ぶ前にこんな話をさせてしまって申し訳ありません」
「お前こそ気にするな。話したのは俺だ」
ヴェルノはガシと大きな手でアーネストの頭を掴み、ガシガシと雑に頭を撫でた。それをアーネストは嫌そうに振りほどき、その姿を見たヴェルノは軽く笑みを浮かべる。
「今更ですけど、ヴェルノさん今日飛ぶんですか?」
改めてヴェルノの姿を見返し、アーネストは尋ねる。
ヴェルノは老騎士と呼べるような歳ではないが、それでもかなり高年齢の騎士だ。先ほどまで軽く流していたが、長距離飛行となると騎竜に乗っているだけとはいえ、さすがに労力がいる。現役を退いたヴェルノにそれはきつい様に思えた。
「おう、長距離飛行は今の俺にはちょいきついが、ガリアをめい一杯飛ばせられるのはこの演習だけだから、辛いがやらねえわけにはいかねえよ」
ヴェルノはアーネストの問いに笑って答えた。
「そう言う訳で、俺はまだやる事がある。じゃ、行ってくるぜ」
再び雑にアーネストの頭を撫でると、ヴェルノは軽く手を振って屋上から降りて行った。アーネストはそれを、ぼさぼさになった髪を手で軽く梳きながら見送った。
いつものように長年の相棒であるガリアを慕うヴェルノの姿。それが、今のアーネストは微笑ましくもあり、同時に羨ましく感じるものだった。
再び放牧場へと目を向ける。そこには初めての長距離飛行に挑む期待と緊張を膨らませた生徒たちの姿があった。
それはこれから竜騎士という名誉への期待と、その名誉を背負う事への緊張の現れの様に見えた。
そして、それはかつてのアーネストの姿であり、今の自分が失った姿の様に見えた。
「なあ、シンシア。俺は本当にどうしたらいいんだろうな……」
それは周りからの大きな期待がそうさせているのか、それとも過去の楽しかった記憶がそうさせているのかは分からない。けれど、どうしてか竜騎士への思いは未だに捨て去ることは出来ないでいる事に気付かされた。
そして同時に、アーネストが新たな一歩を踏み出すために、一番傍にいてほしいものはもういないという事を思い知らされる。
もうこの世にはいないものの名と共に、答えの帰ってくることのない問いを投げかけた。
* * *
カチ、カチと鎧を着せるときの金属音が辺りから幾つも聞こえてくる。
「よし」
リディアの目の前、竜舎の放牧場の一角――整列する騎竜達の一体に跨り、飛竜用の鎧のベルトの金具を止め終えた一人の男子学生が声を上げる。
男子生徒は三年次であることを示す青いラインの入った学生服の上に、竜騎士用の鎧を装備した姿をしていた。
男子生徒は鎧のベルトを止め終えると「よっと」という掛け声と共に、騎竜の背中から飛び降りた。
「ごめんね、クリフォード君。手伝ってもらっちゃって」
男子生徒が騎竜から飛び降りると、飛び降りた飛竜の傍らに控えていた、男子生徒と同様に青いラインの入った学生服の上に鎧を装備した女子生徒が労いの声をかける。
「構わないよ。もともと騎竜の鎧は一人で装備させられるように設計されているわけじゃ無いから」
クリフォードと呼ばれた男子生徒は女子生徒に笑顔で答えを返すと、そのやり取りを見ていたリディアたちの方へと向き直り、
「悪いね、待たせてしまって」
と謝罪を口にする。
「遅いっすよ。先輩」
クリフォードの謝罪にかぶせる様にして、リディアの直ぐ隣に立つ、二年次であることを示す赤いラインの入った学生服に、鎧を装備した男子生徒が野次を飛ばす。
「だからこうして誤っているじゃないか。それに、遅くなったのは君の騎竜の鎧装備を手伝ったせいでもあるんだけどな……。と、話を逸らさせないでくれ」
「へへへ、さーせん」
クリフォードの反論に男子生徒は軽く、誠意の欠片もない謝罪を返す。それを見届けた後クリフォードは気持ちを切り替えるかのように、咳払いを一つする。
「さて、本題に入ろうか。まずは、新入生の二人はこの演習についてどれくらい聞いているのかな?」
軽く親しみのある笑みを浮かべクリフォードは、リディアと、彼女の隣に立つリディアと同じ一年次であることを示す緑のラインが入った学生服に鎧を装備した男子生徒に投げかけた。
「概要だけは聞いています。一、二、三年次で合同の班を組み、決められたポイントを決められた空路を通って回る。ですよね」
リディアがクリフォードの質問に対して答えを返す。
「うん。問題なさそうだね」
リディアの答えにクリフォードは満足そうにうなずく。
「それって、わざわざ確認する必要あるんですか? あらかじめ伝えられてないとおかしいはずですよね」
リディアとクリフォードのやり取りを聞いていた二年次の男子生徒が、そう割って入る。
「そのあらかじめ聞かされていないといけないことを、去年聞き忘れていたのは何処の誰だったかな? オズウェル・コーラン君」
「あ、あれ~。よく覚えてますねぇ……」
オズウェルと呼ばれた男子生徒はクリフォードの言葉に苦笑いを浮かべる。そのやり取りと見た、三年次の女子生徒と、二年次のもう一人の男子生徒がクスクスと笑う。それに釣られてか、リディアと同じ一年次の男子生徒も控えめに小さく笑う。
おそらく場を和ませるためのジョークの様なものだろう。その成果があったのか、初めて会話を交わす一年次と二、三年次の間にあった固い空気が少し解れていったように見えた。けれど、それはリディアに少しだけ苛立ちを抱かせるものだった。
竜騎士はマイクリクス王国の国力に置いて重要な役割を持つ。そのため限られた者しか成る事の出来ない特別なものだ。それだけに大きな責任が課せられ、日々絶え間ない修練が課せられるものだと、リディアは考えていた。そこに不必要な馴れ合いは必要ないとも思っていた。
そのためリディアの目の前で交わされた先輩たちの不真面目とも取れる態度は、リディアに怒りを抱かせるものだった。
リディアは手を強く握りしめ、心に湧いた苛立ちを抑える。
「そんなわけで、この演習は規模こそ大きいけど、ただ飛んで回るだけの演習だ。そんなに難しい事じゃない。気楽に行こう」
「は、はい」
クリフォードの言葉に、一年次の男子生徒はまだ緊張の残る声で答える。
「一応目標タイムなんかが有ったりはするけど、これはよっぽどの事が無ければクリアできるから、新入生の二人は、長距離、高高度を飛ぶことに慣れる事を考えて飛びなさい」
「もし何かあったら遠慮なく言ってくれ、俺達が何とかすっから」
クリフォードに続いて三年次の女子生徒とオズウェルがそう続ける。
「話はこんなところかな。それじゃあ、これからしばらくの間空を共に渡る仲間ということで、簡単な自己紹介をしておこうか」
話がひと段落するのを見届けると、クリフォードはそう切り出してきた。
「まずは僕から。今回この班の班長を務めさせてもらうクリフォード・エゼルレッドだ。気軽にクリフォードと呼んでくれて構わない」
クリフォードが名乗ると、手ですぐ隣に立つ三年次の女子生徒に自己紹介を促す。
「私は副班長のメルディナ・ファーディナンドです」
ぺこりとメルディナと名乗った女子生徒は頭を下げる。
「俺はオズウェル・コーラル。先輩なんだから、お前らちゃんと俺の事敬えよ」
メルディナに続きオズウェルが自己紹介をしながら、腕を組み格好を付ける。
「コーラル君みたいな先輩は、僕だったら願い下げかな」
「ちょっと先輩、せっかく後輩の前なんですから、格好つけさせてくださいよ」
「敬えと大仰しく言う人を敬うだなんて、難しいと思いますよ」
口に手を当ててメルディナがクスクスと笑う。
「ファーディナンド先輩も酷いじゃないですか~」
「ほら、話が関係ないところに流れていってるよ。次、アンズワース君頼めるかな」
「はい。俺はイオン・アンズワースだ。オズと違ってまともな先輩だから、頼るなら俺を頼ってくれ」
「おいイオン。その言い方ひどくないか?」
「日頃の行いのせいだ。あきらめろ」
「ほら、時間は有限なんだ。サクサクいかないと、今日中に終わらせられないぞ」
パンパンと手を叩き、クリフォードがそれ始めた流れを元に戻す。
「では次、新入生の二人、頼めるかな?」
「は、はい。俺は――私はフィル・マーティンです。よろしくお願いします!」
フィルは自己紹介を促されると、勢いよく頭を下げ自己紹介を終える。
「うん、よろしく。緊張するのは判るけど、もうちょっと肩の力を抜いたほうがいいかな。長時間の飛行となると体力を使うから、今からその調子だと最後まで持たないよ。
それに、僕達はまだ学生だ。そこに爵位の違いなんかがあるわけじゃ無い。下手な事をいった所で、そう簡単に咎められるようなことは無いよ。気楽に行こう」
「は、はい。気を付けます」
クリフォードに指摘されフィルは少し萎れた様に項垂れる。
フィルの自己紹介を終えるのを見届けると、クリフォードは自己紹介を促すようにリディアへと視線を向けてくる。
「私はリディア・アルフォードです。よろしくお願いします」
リディアは素気ない自己紹介と共に、軽く頭を下げる。
リディアの言葉で、一瞬にして周りの空気に緊張が張りつめる。
「こちらからもよろしくお願いします」
侯爵の名に気圧されたのだろう。貼り付けたような笑顔で、クリフォードはリディアにどうにか返事を返してきた。
(ここでも……か)
リディアは小さくため息を付く。
「私の事はリディアで構いません。先ほど先輩が言ったように、私たちは学生で爵位など持ちませんから、そのように接してもらって構いません」
「それは助かる。いくら後輩とはいえ、侯爵様の名を呼ぶのは抵抗があるから、ありがたい」
クリフォードがどうにか取りつくり笑顔を浮かべる。それでも、失言はないかという緊張の色が伺えた。
カン、カン、カンともうすぐ演習開始である事を知らせる合図である鳴り物の音が響き渡る。
『おらぁ。お前たち、準備は出来てるか!?』
最終確認というように、よく通るヴェルノの声が響く。
「さて、そろそろ開始みたいだ。みんな、騎竜に騎乗してくれ」
鳴り物の音を聞いたクリフォードが、そう指示を飛ばす。その指示に従い、それぞれ自分の騎竜の元へと散らばり、騎乗していった。
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