第10話「向けられる眼差し」

「入れ」


 ヴェルノの威圧するような声に促され、アーネストは丁度品など一つも置かれていない無機質な小さな部屋へと入る。


 アーネストが室内へと入ると背後でバタンと大きく扉が閉じられる音が響く。


「座れ」


 再び威圧するような声でヴェルノはアーネストに、部屋に備え付けられた木製の固そうな椅子に促す。


 アーネストが運動場での一幕の後ヴェルノに連れてこられたのは、竜騎学舎の職員室のすぐ隣に設けられた小さな一室――指導室と書かれたプレートが掛けられた部屋だった。この部屋は竜騎学舎内で、主に生徒が規律を破ったり行動を起こした際に取調べや説教を行う時に用いられる部屋だ。それだけに他とは違うピリピリとした嫌な緊張感が漂っていた。


 学生時代割かし優等生だったアーネストは今までこの部屋のお世話になったことは無く、それだけにこの部屋の空気はとても耐えられる様なものではなかった。


(まさか今になってここへ来ることになるとは……)


 講師になり生徒を指導していく立て場になってから、叱られる側としてここへ来るとは考えていなかっただけに、より一層責められている気持ちが強くなる。


 アーネストが恐る恐る席に着くと、ヴェルノが向かい合うようにして椅子に腰を降ろし、大きく息を吐いた。


「怪我はないか?」


 指導室の席についてからヴェルノが最初に口にした言葉は、予想外にも先ほどまでとは全く異なるアーネストの身を感じた言葉だった。


「え、あ、はい」


 予想外の言葉にアーネストは慌てて返事を返す。


「む? どうした?」


「あ、いえ。てっきり叱られるものかと思っていましたので……」


 てっきりきつい説教が来ると思っていただけに、予想外のヴェルノの態度にアーネストは戸惑ってしまう。


「ああ、まぁそうっだな。叱らなければならないことはあるが、怪我人に鞭を打つような真似は出来んだろ」


「は、はあ」


 先ほどまでの相手を責めるような威圧さは何処へやら、普段通りのヴェルノの態度にさらに困惑してしまう。


「お前、まさか自分がきつい罰を受けさせられると思ってここに来たのか?」


「違うんですか?」


「違うよ。さっきも言いた通り叱らねばならないことはあるが、ここへ連れてきたのはどちらかというとポーズだ」


「ポーズ?」


「ブレットはあれで侯爵の息子だからな、変にないがしろにすると煩くてな。幸いあいつの親は話の分かる人だから、ほっといても大きな問題にはならんと思うが、まぁ念のためだ。ここできつい罰を受けたってことにしておけば、あいつも何も言えんだろ」


「そう言う事ですか」


 きつい罰則を変えられないことを聞きアーネストは安心からほっと息を付く。


「それに、お前は知らないだろうが、形式上お前はまだ竜騎士なんだ。だから、下手な罰則をお前に課す方が問題になるんだ」


 ヴェルノの口から出た言葉にアーネストは強い驚きを見せる。


「どういうことですか? 俺は竜騎士であることを辞退したはずですよ」


「知っている。だが、形式上お前はまだ竜騎士のままなんだ。でなければ竜騎士という、我が国で特別な地位に付く者達を指導するなど、一介の騎士に任せられるわけがないだろう」


「なんで本人である自分に知らされていないんですか?」


 隠されていたことにアーネストは少しだけ怒りを覚える。


「知ればお前は強く反発すると考えたからだろうな」


「当り前です! 誰ですか、そういう指示を出したのは!」


「フィーヤ様だ」


 ヴェルノが口にした名前に、アーネストは言葉を詰まらせる。


 マイクリクス王国第二王女フィーヤ・ストレンジアス。多少目上の相手ならたてついてでも辞退を通そうかと考えたが、相手が王族とあってはそのような事はとてもできそうになかった。


「フィーヤ様がなぜそのようなことを?」


 フィーヤ王女の名前に驚きと共に疑問が沸く。アーネストは田舎貴族の生まれで、何人かの竜騎士を排出してきた家柄とはいえ王族との関わりは非常に薄い。フィーヤ王女を直接目にした機会は数える程しかなく、言葉を交わしたのは二度しかない。それほどまでに関わりが無いにも関わらず、今の取り柄のないアーネストをわざわざ庇うような真似をすることに疑問が沸く。


「さあな。そこは本人にでも聞いてくれ」


「そんな事出来る訳ないじゃないですか」


 同時に王女が指示を出し、アーネスト本人に伝わらないようにしたのに関わらず、この事を話したヴェルノの行動に対しても疑問が浮かんだ。


「ヴェルノさんは、どうしてこの事を俺に話したのですか? わざわざ俺に伝わらないようにしていたのですよね」


「口止めはされていなかったからな。ただ……今のお前を見ていたくなかったんだ」


「どういうことです?」


「なあ、アーネスト。お前、何で竜騎士をやめたんだ?」


 ヴェルノは静かな声で、真っ直ぐとアーネストを見つめながら尋ねてきた。


「それは……自分が竜騎士に相応しくない人間だと思ったからです」


「部下を死なせたことがか? それとも騎竜を死なせたことがが?」


「両方です」


「……お前も知っていると思うが、俺が現役だったころに何人か大切な部下を死なせたことがある。それでも俺は竜騎士を続けてきた。

 それからお前以外にも騎竜を失った事のある竜騎士はいる。そいつらだって新しい騎竜を見つけ竜騎士に戻っている。

 だからお前が特別竜騎士として劣っている訳じゃないんだが?」


「それでも俺は、自分が竜騎士として相応しい人間だとは思えません」


 ヴェルノの問いかけにアーネストはそう答える。今までそう答えてきたし、そう自分に言い聞かせてきただけに、こう答えるしかなかった。


「そうか」


 アーネストの頑なな答えにヴェルノはただ一言返した。その言葉は酷く寂しそうなものだった。



 アーネストはその後ヴェルノに、決闘を行ったことについての小言を言われただけで解放されることとなった。



「失礼しました」


 形式通りの退室の言葉を述べアーネストは指導室から外に出る。


 重い処罰を受けたわけでもなく、むしろ何もなかった言える処置であったにもかかわらず、アーネストの気分は浮かないものだった。


 直接口で言われた訳ではなかったが、酷く責められている気がして、申し訳ない気持ちに成ってしまった。それが尊敬している恩師であっただけに尚更だった。


「遅いぞ」


 沈んだ気分のまま退出し部屋の扉を閉じると、すぐに誰かがアーネストに声をかけてきた。


 アーネストが振り返るとアルミメイアが不満そうな表情を浮かべて立っていた。


「なんだ、わざわざ待っていたのか」


「お前のせいでやる事が無くなってしまったからな。それに、今のお前は私の一応の保護者という立場なのだろ、ならお前にこの場所を離れられは困る」


 約束を破ったことをまだ根に持っているのか、アルミメイアは嫌味たっぷりの言葉で迎えてくれた。けれどそんなアルミメイアの言葉が今のアーネストにありがたかった。アルミメイアが部外者だからだろう、何も知らない彼女と話すことは気持ちを紛らわすのにはちょうど良かった。


「まだ根に持っているのか……埋め合わせはするって言っただろ」


「ならその埋め合わせとやらをしてもらおう」


「今すぐ? 今からだとちょっとな……」


 アルミメイアに急かされ、アーネストは今から何ができるかと窓のから空を眺め、現在の大よその時刻を確認する。


「オーウェル先生」


 ちょうど空を見上げた時、アルミメイアとは別の声が掛けられた。


 少し日が傾き始めた空を見た後、アーネストは声がした方へ視線を向けた。そこにはリディアが言申し訳なさそうな表情を浮かべ立っていた。


「君もいたのか。何か用か?」


「すまなかった。私のせいで、危険な目に遭わせてしまって!」


 リディアはいきなり頭を下げ、そう謝罪してきた。


「前も言ったがあれは、生徒指導の一環であって君は関係ない。それに飛竜という大きな力と接する以上危険が伴うのは当たり前だよ」


「あれは……一歩間違えれば死ぬこともあり得る状況だった……その原因の一端に私とあいつの諍いがあったのだから、とてもその言葉だけでは私の気持ちが納得しません」


「だけど大した怪我があったわけじゃ無いんだから、良いじゃないか。深く考えすぎだよ」


「結果的にそうなっただけです。だから――」


 アーネストはリディアの目の前に手をかざし、リディアの続きの言葉を遮る。それでもリディアは引く気はないらしく、何か言いたそうな表情を浮かべていた。


 こうなってしまってはそう簡単に引いてはくれないように思えた。


 何かいい落としどころは無いものかとアーネストは思考をめぐらせる。



 キュルルルと小さく場違いな気の抜けるような音が響いた。



 アーネスが音の主へと目を向けると、予想通りアルミメイアが頬を赤らめていた。


「し、仕方ないだろ、これは生理現象なんだ。止めようがない。そもそもここの食事の量が少ないのが悪いんだ!」


 アルミメイアは恥ずかしさを紛らわすように早口で捲くし立てるようにして弁明した。


(そういえばここ最近食事の量が少ないって喚いてたっけ……どれだけ大食いなんだよ)


「お前、少しは空気読もうよ」


「うるさい。これでも空気を読んで待っていたんだ。でも、止めようがないんだから仕方ないだろ。それより、余り待たせないでほしいぞ」


 アルミメイアは腕を組みそっぽを向くようにしながら、睨みつけ視線で「早くしろ」と急かしてきた。


 どうにかしたいものの直ぐには回答が出てこない状況にアーネストはため息を付きそうになる。けれど同時に一つに案に思い至る。


「リディア。君のところはお抱えの料理人なんか居たりしないか?」


「それ位はいますけど……」


 アーネストの問いにリディアは眉をしかめる。


「それで、俺とこいつの今夜の料理とかって頼めないか?」


「可能だと思いますけど……なぜです?」


「それを今回のお礼ということで済ませてくれないか?」


「食事なんかで良いのですか……?」


 アーネストの頼みにリディアは不満そうな表情を浮かべ、一度アルミメイアの方を見る。アルミメイアはそれに、首を軽く傾げて返す。


「案外死活問題なんだよ。今は使える主もいない、田舎貴族で援助も期待できないからさ」


「でも食事なら、講師であれば竜騎学舎の食堂を利用できるはずですが……」


「ここの食事は悪くないけど、やっぱり王都に居るなら一流の料理人による料理も味わってみたいしさ。頼めないか?」


 少し強引な気もするが、これがアーネストのとりあえずの落としどころだった。


「……わかりました」


 やはり不満があるのかリディアは少し考えた後ため息交じりに答えを返した。

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